昭和であった13 〜やっぱ、夏はアイス!〜
昭和中期、少年時代の『美味しい』について語ってきた。
カテゴリー分けて掲載してきたが、今回の思い出情報はちょっと季節を逸してしまった。
もうすっかり肌寒くなって、すぐ傍に『冬』が迫っているのだが、当初から予定していたのでそのまま押し切ってこのジャンルの話をしようと思う。
季節外れの話題…ご容赦願いたい。
夏の『アイス』の思い出である。
私の子供時代の東京の夏は、もちろん温暖化の進む現在よりもずっと猛暑日は少なく過ごしやすかった。
無舗装路や土の庭も多く、夕立が多くて朝夕は過ごしやすい。
陽の高い日中でも概ね30℃前後…最も暑い夏休みの間でも30℃を超える日は半分くらいだった様に思う。
それでも、まだまだエアコンや冷凍庫はおろか家庭用冷蔵庫すら普及していなかった時代である。
当初は我が家でも暫く冷蔵庫は氷式の冷蔵庫っだった。
なので、『アイス』は夏の間の特別な楽しみ。
保存することは出来ないので、食べる時に買うのが当たり前だった。
そんな時代の『アイス』の世界である。
思い出してみよう…
『アイスキャンディー』
夏になると街にアイスキャンディー屋さんが徘徊し始める…
大概は『チリンチリン』と鈴の音を響かせ「アイスキャンディ〜♪」と売り声が聞こえる。
自転車の後部に保冷ボックスが備えてあり、そこから冷たいアイスキャンディーを1本取り出してくれるのだ。
確か、1本5円だった。
夏限定で保冷ケースを持つ駄菓子屋さんでも売っていた。
オレンジ味、ミルク味が定番。
たまにはメロン味やグレープ味もあったりする。
美味しかったかどうか?
冷たくて甘〜い…それで充分なのだ。
暑い日には5円玉を握りしめて『早くキャンディー屋さん、来ないかなあ〜』と心待ちにしていたものである。
懐かしい夏の風物詩であった。
『ホームランバー』
一本10円のバニラ味アイスクリームバー。
今で言うとラクトアイスである。
発売元はアイスクリームの老舗協同乳業。
お菓子屋さんの冷凍ケースで売っていた。
買ったら、店頭付近で舐める…
何故なら当たりくじが付いているからである。
舐め切ると、バーに『アウト(三振)』とか『ヒット』『ホームラン』とかの表示が書かれている。
『ホームラン』ならもう1本貰える。
『ヒット』は3本集めるともう1本貰えるので大切にとっておく…という仕組みだ。
確か長嶋茂雄氏が広告キャラクターだった。
『今だったら絶対大谷翔平くんだろうなあ…』と思う。
『おっぱいアイス』
駄菓子屋さんの定番アイス。
ゴムの小さめの風船の中にミルク味のアイス(キャンディー)が入っている。
確か1つ5円。
買うと駄菓子屋のおばさんが先っぽをハサミでチョンと切ってくれる。
そこにしゃぶりつくのだ。
味は結構ミルキーなので満足感がある。
まさにおっぱいアイスである。
チュパチュパ意外と長持ちするので、子供には人気だった。
私もよく買った。
『ゴムアイス』
同じく駄菓子屋のアイス。
ゴムの中身はアイスキャンディー。
1つ5円の色とりどりのアイスキャンディーだが味は甘さも薄くイマイチだった様な気がする。
それでもすごく冷たいので、これも時々買っていた。
持つ手もひんやり…暑い日に一息入れるにははもってこいだ。
『カップアイス』
市販のアイスクリームといえば、カップアイスかアイスバーが定番だった。
お菓子屋さんの冷凍ケースに並んでる。
お小遣いでは買えないので、親に頼んで買ってもらう。
特にカップアイスはご馳走。
駄菓子屋のアイスキャンディとはミルクのコクが違う。
それでもラクトアイスなのだが…
大事に大事に食べるのだが、あまり大事に食べると溶けてしまうので、そこは丁度良い按配を探るのである。
『シャーベット』
お客さんが手土産に持ってきてくれる森永のシャーベット。
これは大ご馳走である。
箱にドライアイスと一緒に入っている。
アルミ箔のカップ容器に入っていて、大抵オレンジ味だった。
多分結構高価なものだったのだろう。
自分で買おうと思った事は1度もない。
製造方法がちゃんとシャーベットなので、果汁味がしっかりしていて滑らかで、滅多に食べられない贅沢アイスだった。
『氷いちご』
夏も盛りになると、街の甘味処や外食店に『氷』の旗が掲げられる。
親や叔父が氷を食べに連れて行ってくれる。
そんな時、私は絶対に迷いなく『氷いちご』を選ぶ。
何故頑なに『いちご』味だったのか…その理由は…思い出せない。
大人は『あずき』や『抹茶』、兄はアイスクリーム付きの『……クリーム』とか『……ミルククリーム』とかを選ぶのに、私は赤くシンプルな『いちご』にこだわった。
今振り返れば、『もったいないことをしたなあ』とつくづく思うが、その時はそれが一番の選択で一番の幸せだったのだろう。
今では私もすっかり大人になって(笑)小豆系のものを選ぶようになった。
『もなかアイス』
和菓子店からの手土産や外食甘味処のメニューの『もなかアイス』。
通常食べているカップアイスやアイスキャンディーとはクオリティーが違う。
もちろん大人からご馳走して貰うものである。
来客の多い我が家では、夏の間に口にする機会はちょくちょくあった。
普段駄菓子浸けの私には、しっかりとしたアイスクリームは思いがけない贅沢なご馳走である。
和菓子系なので、大体の場合がミルクアイスと小豆アイスだった。
もちろん私はできる限りミルクアイスを選んだが、これなら小豆アイスも美味しかった。
嬉しい嬉しい記憶である。
『ソフトクリーム』
東京でソフトクリームが売り出されたのは、昭和27年、銀座の不二家だったらしい。
家内の母親は娘時代に東京に下宿していた時期があり。休みの日に銀座の不二家でソフトクリームを食べるのが楽しみだったという話をよく聞かされる。
丁度その頃のことだった。
昭和27年は私が生まれた年だ。
私の子供時代にはデパートのレストランや繁華街のパーラーではソフトクリームはしっかりメニューに定着していた。
それでもソフトクリームは衝撃的な美味しさだった。
クリームと呼ぶに相応しい滑らかさは市販のラクトアイスとは比較にならない。
今ではコンビニでも買えるが、当時の私にとってソフトクリームは夏のアイスの異次元空間だった。
『外食アイスクリーム』
父は毎週日曜日の朝に品川の社宅から高輪にあるゴルフ練習場(現在の高輪プリンス)に行くことを常としていた。
距離にすれば2kmくらいの上り坂だ。
その時には必ず足の悪かった私を連れて行く。
少しでも歩かせたかったのだろう。
打ちっ放しの練習を終えると、立派なクラブハウスで父はコーヒーを、私にはアイスクリームを注文してくれた。
銀座に連れて行ってくれた時には千疋屋や資生堂パーラーでもアイスクリームを食べさせてくれた。
こういった外食のアイスは普段食べていたラクトアイスとは異なり本物のアイスクリームだ。
ミルクアイスの色も真っ白ではなく少し黄みがかっていて、クリームのコクが全く違う。
ちょっぴり添えられたウエハースも嬉しかった。
今でも夏のアイスクリームは冷凍庫に欠かさない。
ハーゲンダッツも近所のスーパーで買えるし、コンビニには驚くほど種々様々なアイスが顔を揃える。
こんな飽食の時代が来るとは夢にも思わなかった。
あの頃の私に教えてあげたいものだ…
さて、次回は美味しい飲み物…あの頃のドリンク類を辿ってみたい…