〔本質の逆は形式〕エッセンシャルマネジメントスクールのすすめ

この記事は、エッセンシャルマネジメントスクール Advent Calendar 2019の、6日目の記事です。
7日目の記事は、「2020年は、働き方改革から学び方改革へ。 ネットもリアルと同じ学び方ができる時代へ」です!

「本質の対義語は形式である」

先日、「社会人の不幸の8割は合意のない期待から」という記事を書いた際に、エッセンシャルマネジメントスクール(EMS)にて学んだ「本質行動学」について、少し紹介しましたが、来年1月からEMSの第二期が開講されることになり、どんな感じなの?って質問をよくうかがうので、改めて紹介したいと思います。
ちなみに、EMSのオフィシャルサイトを見て、自己啓発セミナーや情報商材的なものと勘違いされる方も多いそうですが、御茶ノ水のソラシティで開催されているドラッカー学会唯一の公認のマネジメントスクールです。
開講場所は東京の御茶ノ水ですが、Zoomで遠隔参加も可能で、実際に1/4くらいの人はリモート参加していて、私も何回かリモートで参加しましたし、修了式以外ずっとリモートの人も結構おられました。100人100通りの学びを実現しており、リアルタイムでの参加が難しい方(場合)には録画ベースドでZoomでディスカッションして、といったMBALコースも用意されています。
ちなみに、東京にいつつもZoomで出ていた人もいて、現地での懇親会と深夜の二次会にこだわらない人の場合には、Zoomの方が学びが深かったとも聞きましたし、地方からも参加できるのは魅力です。

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それでは本題に入りたいのですが、EMSは早稲田大学のMBAで最年少で専任講師となり客員准教授をされていた西條剛央さんを中心に、有志の方々で運営されている学校です。
西條さんがMBAで教鞭をとっていたときに、働きながら多数のコマ数をとらなければならないため「家庭か身体が壊れる」と言われていた状況や、実際にディーンズリスト(成績優秀者)に入った学生が卒業前に過労死して亡くなったといったMBA講師をされる中での葛藤から始まります。
この辺りは、クリステンセン教授の、「イノベーションオフライフ」でも語られるテーマですが、どう生きるか、どう望ましい状態を作るのかというのが、人生における本質かなぁと思っています。
また、西條さん自身は、2011年の東日本大震災の際に、ふんばろう東日本支援プロジェクトという3000人からなる日本最大級のボランティア組織を率いておられたのですが、そのときに本質行動学の「原理」に基づく運営とか、とはいえ世の中があまりにも形式的に動きすぎていて、おかしいなという話など、あまり気づかない視点を色々と気づかせてくれる場でした。
なお、EMSのクレドは「肯定ファースト」。もちろん、Always肯定!ではなく、最初に相手や意見を肯定的に受け止めて、その上で批判も含めてちゃんと議論できるようにしようという事です。
なので、リモートの人も含めて、活発に議論していたのが印象的でした。

さて、そもそもEMSに通うことになったキッカケも紹介しておきたいと思います。
それは今年の3月の事なのですが、私が経営するさくらインターネットが急激に社員数が増えて成長する中で、色々とマネジメントにおいて悩むことが多く、なぜすごく良い人たちが集まってるのに、すごく良い会社にならないんだろうかという、難しい問いに直面していました。
それを、サイボウズの青野さんに、なんとなく相談してたのですが、突然「きょうの夜空いてる?」ということになり、急遽EMSの第0期の場に連れて行かれたというのがキッカケです。
その時の誘い文句は、イラスト解説ティール組織という本のオビを書いた人が、私以外全員が受講しているというものでした。

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確かに、技術評論社さんから依頼を受けてオビを書いたのですが、実は講師の西條さんや鎌倉投信の新井さんも書いていて、同じくオビを書いていた青野さんやソニックガーデンの倉貫さんが、第0期生として参加していたことが分かりました。
その日は、第0期の7回目で、すでにチームも仲良くなっていて、私自身も人見知りなこともあり、最初は疎外感を感じました。
ただ突然登壇することになり、200人近くの前で自己紹介や会社のことを話すうちに、肯定ファーストな雰囲気にも助けられて色々と話すことができ、すっかり輪の中に入ってしまいました。

そして、講義も聴講させて頂いたんですが、ちょうどその回は、小さな命をどう守るかという話で、全く涙もろくない私が、その悲しさと理不尽さに、涙するくらいにショッキングな内容で、佐藤敏郎さんとおっしゃる、東日本大震災の際に女川中学校の先生をされていた方が講師でした。
佐藤さん自身は、震災の際はずっと中学校にかかりっきりで、家族とも連絡が取れなかったそうです。数日後に泥だらけになりながら女川中学校まで歩いてきた奥さんと再会を喜びあったのも束の間、「娘の遺体が上がった」と言われたそうです。
いや、娘の小学校は津波が来ても裏山があるし、そもそもなんでそこで亡くなるわけがあるんだと、嘘だと思いたい気持ちを抑えながら小学校にたどり着くと、何十体もの小さな子どもの遺体が地面に並べられていて、その中に娘さんも居たそうです。
その小学校の名前は、皆さんご存知かもしれません。大川小学校といいます。
なぜか裏山があるのに、反対側に逃げてしまって、児童の7割が亡くなったその現場です。
佐藤さんは被災した中学校の先生であると同時に、大川小学校の悲劇の遺族となられたのです。
正直なところ、大川小学校の件については、悲劇であると同時に、どこかで災害だから仕方がなかった、遺族の人が訴訟をしている、くらいの認識しかありませんでした。

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でも、大川小学校の時計は15時37分で止まっています。皆さんご存知のとおり、震災は14時46分に起こって、50分近く経ってから津波が大川小学校の児童や先生たちを襲いました。
その時間に、保護者が津波来るらしいよと投げかけたり、逃げたほうが良いよという先生や児童の声もあったそうです。
でも、裏山に逃げるとコケて怪我をする子もいるかも知れない、津波なんて来ないじゃないかって言われるかもしれない、そんな小さな勇気をくじく雰囲気の中で、結果としてその津波が来たそうです。

ただ、これだけで終わったら、単なる悲しい話にしかならず、物事の本質を捉えるというスクールの目的のためにも、それまでに、その時にどういう風にすれば良かったんだろうか、というのをディスカッションする事になりました。
ちなみに、大川小学校の調査においては、佐藤さんと一緒に働いた同僚もいる教育委員会の場で、やっぱり裏山に逃げるのは難しかったんじゃなかろうか、という結論に持って行きたいような資料がたくさん作られたと聞きました。
鉄道航空機事故調査委員会というのがありますが、罪を追及するよりも先に、なんでそういう事になったんだろうかという本質を見極める、同じ悲劇を生まないようにするというのがとても大事です。
ちなみに、肯定ファーストなく批判だけに晒されると、人も組織も守りに入り、嘘をつき、なかった事にしようという行動を取るそうです。
教育委員会を批判するのは容易ですが、日々保護者から批判にさらされ、どんどん形式的になり、なんなら嘘をついて隠して、なかった事にしてしまう、そしてさらに批判を受けるって事を続けて、世の中が良くなるとは思えません。
桜を見る会が批判の的ですが、確かに後援会のために私的な目的があったとすると良くないものの、批判を加速させる中で、霞ヶ関も政権も無かったことにしちゃって、本質が結局見えなくなってしまいました。結局逃げ切るのです。
大川小学校の場合でも、もし裏山に逃げて怪我をする子が出ても、そして津波がこなかったとしても、正しい行動ができたと先生が思えて、周りも批判しない安心の場があればよかったのかもしれません。
よく安全安全と言いますが、安全を優先し、ミス起こさないために何もしないという選択肢を取った挙句、裏山に逃げるという選択肢を失い、最も守るべき「命」を優先できなかった事は本当に残念な事です。

少し個別の話にはなりましたが、EMS第0期の第7回でこのような経験をして、EMSへの興味を持つとともに、社員の中でも何人かが興味を持ってくれたこともあり、EMS第1期へ参加しました。
なお、第7回はシリアスな話でしたが、基本的には各回講義形式になっていて、本質と形式の話とか、無かったことにしてしまうマネジメントの話、相手に向けている指を自分に向けて見る話、自分の関心に沿ってやりたいことやありたい姿をベースにマネジメントする話などがあります。
また、ドラッカー学会公認ということもあり、ドラッカーのマネジメントの講義もありますし、サイボウズの青野さんの「良いチームを作る」話もありました。
あと、遅刻の本質ってなんだろうとか、待ち合わせの本質ってなんだろうとか、世の中に形式的に存在することの背景を考えるのも大変勉強になりました。
ちなみに、EMSでは講義を受けるだけなく、同じチームの人とディスカッションすることと、講義後にオンラインで提出するリフレクションを通じて、他の人の意見を聞いたり、自分の意見を深掘りしたりしながら、学びに変えていくのが特徴です。
本質的な議論というのは、ともすれば理屈っぽいし、開けたくない箱を開けてしまうかもしれないし、嫌がられたりしがちですが、真正面から議論する場に入って、時には内省しながらも、他者に対してどう関わるのかを考えた事は、マネジメントとして非常に勉強になりました。

全然余談ですが、遅刻という概念は、大昔には無かったそうです。
そもそも時計もないし、同時に集まる必要もなかったのですが、近世においては例えば工場などで生産設備を稼働させるために同時に集まらないといけないとか、会議をするために同じ時間と場所に来ないといけないとか、電車を効率よく走らせるために同じ時間に駅に集まるとか、時間は重要です。
とはいえ、遅刻の本質を突き詰めると、昔と違って携帯電話があり駅に同時に集まらないと目的地に行けないって事もないし、会議をせずにSlackで済んだりするし、そもそもプログラマーの生産設備であるパソコンは一人一台あるからわざわざ時間を合わせないといけないこともないし、電車だってリモート出勤だったら時間関係ないし、IT化した現代においては、実は遅刻しちゃダメって形式的な議論は本質ではないのかもしれません。
ルーズな気分は仕事に影響する!って意見もあるかもしれませんが、ルーズがダメなのであって、用事がないのにその時間に集まる事に疑問を持つ事とルーズさは関係ない気がします。

…なんて話をしていると、なんとも屁理屈っぽい奴だと思われるかもしれないですが、肯定原理主義、本質原理主義にならない範囲で、将来に良くない形式化を残さないためにも、明るく楽しく本質を学ぶ場がEMSであり続けると良いなと思います。
ちなみに、原理主義になると宗教に近くなりますが、あくまでもEMSは宗教ではないし、本質行動学という学問の延長なので、その点はご留意ください。
なんとも散漫な紹介になってしまいましたが、もし興味があられれば来週12月11日が第2期の申し込み期限ですので、ぜひご検討ください。

第2期の申し込みサイト
http://ems2apply.mystrikingly.com

7日目の記事は、「2020年は、働き方改革から学び方改革へ。 ネットもリアルと同じ学び方ができる時代へ」です。


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