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カーコラム「WRCメモワール Rally Argentine '98 曲がったサスペンションを落ちていた石で叩いて直したコリン・マクレーの荒ワザ」

 「石は工具か?」そんな現代のWRC規定に関する話題が出たのが1998年のアルゼンチンラリーだった。第2レグまでトップで走っていたスバルのエース、コリン・マクレーがサスペンションアームを岩に当ててしまい、そのSSを抜けたところで、道路わきにあった石を使って曲がったリヤサスペンションアームを直したからである。

 グループAが始まった頃のWRCというのは、SSのゴールと次のSSのスタート前にサービスができるポイントがあった。それは、ほんの5~10分という短いものだったが、ワークスチームは腕利きのメカニックをヘリに乗せ、次から次へとサービスをしまくった。しかし、過剰ではないかと物議を醸し、その結果現在の「サービスパーク制」が制定され、決められたサービスポイント以外ではメカニックによるサービスはできない規定になった。

 ただし、ナビとドライバーのクルーは、自分のマシンに車載されたパーツと工具を使って、壊れた部分を修理することはできるのである。といっても、いざ勝負となったらスペアタイヤさえも持たずに行くワークスドライバー。持っているパーツに工具といってもごく少ないものである。

 そして98年の第7戦、5月20日から23日にかけて行なわれたアルゼンチンラリー、ここで勝ったのはランサーエボリューションVのトミ・マキネン。彼は96年以来の3連勝を達成、アルゼンチン出場3戦にして3勝という強さを見せたのである。しかし、ラリーの戦いのほうは、スバルのコリン・マクレーのリードで進んでいた。そしてマクレーがマキネンを逆転してトップに立ったのは第2レグ2番目のSS11。前回はマキネンに負けて2位のマクレー、「今年こそ」の気合いで第2レグをリードしていた。

 しかしSS15、ここはアンデスに近い標高2000メートルの高原。加えて、有名な岩山のステージ。ここでマクレーのインプレッサの右リヤタイヤの異状が判明した。タイヤが八の字に開いているのである。彼は岩にリヤサスペンションを当て、そのままタイムロスしながら、すぐ近くのゴールを目指していた。このトラブルでラリーリーダーはマキネンになった。

 そして次のSS16、これまた有名なエル・コンドルという名のSS。ここまでは一直線のハイウェイを使って、ほんの数分で着ける。この間にマクレーとニッキー・グリストの二人は、曲がったリヤサスペンションを直そうとした。

 タイヤを外し、なんと曲がったサスペンションアームを、近くにあった石でガンガン叩いたのだ。当然、ちゃんと直るハズもない。彼らは不完全なリヤサスペンションのまま次のエル・コンドルへと入った。
 
 だが、ここでのSSベストは、なんとマクレーのスバル。当時のSTi久世降一郎会長は「たいしたものだ。でもね、主催者側は"マクレーの使った石は工具なのか。もし工具だとすれば車載したものでないといけない"と言うんだ」と、第2レグ終了のサービスで語った。

 これは結局、"石は工具ではない"と判断され、無事にOKとなった。結果的には、この時のトラブルでマクレーのスバルは5位となった。


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