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エッセー「47年前(1973年)の今日(12月22日)、世界を興奮の坩堝へと叩き込んだ衝撃の作品が日本で公開された。その名は”燃えよドラゴン"」

 今を遡ること47年前(1973年)の今日(12月22日)、世界中にカンフーブームを巻き起こした「燃えよドラゴン(Emter the Dragon)」が日本で公開された。

 公開初日、上映館の一つである渋谷の東急文化会館(現在のヒカリエ)5階の渋谷東急に初回から観ようと勇んで出かけたが、あまりの人の多さに叶わず、結局観れたのは公開から3ヶ月後の3月に入っ得からだった。それでもなんと立ち見。あまりの人気に半年以上の長期に渡るロードショーとなったこの作品は、公開から3ヶ月を経ても観客の動員数はまったく衰えないどころか、逆に動員が増えるという前代未聞の怪現象を引き起こした。

 動員増加の要因としては、一度観た観客のほとんどがリピーターとなり複数回劇場に通い、さらに、その口コミでどんどん観客が増えたことが挙げられる。

 ホームビデオもネットも無い時代、映画を観たければ劇場に通うしかなく、作品の良さを広めるには口コミしか手段がなかった。一度でも「燃えよドラゴン」を鑑賞し、ブルース・リーの魅力にハマってしまった観客は、まるで熱に浮かされた新興宗教の信者のように熱くその魅力を伝え、さらなる信者を増やしていったのである。

 事実上ブルース・リー最後の作品となった「燃えよドラゴン」には、カンフーの真髄と中国古来の思想である「道(タオ)」の世界観が凝縮されている。

 映画のOPで黒パンツ一丁で若きサモ・ハン・キンポーと対決するシーン、初めてこの作品を観た時、このOPだけで頭をバットで殴られるような衝撃を受けた。

 まだ総合格闘技の片鱗すらない時代にオープングローブを着けて戦い、パンチ、キックといった立ち技のみならずサブミッション的な関節技までもが包括される格闘技。これこそがブルース・リーが編み出した究極の格闘技「ジークンドー」であり、その精神的バックボーンは中国古来のタオイズムなのである。それを象徴するごとく、OPシーンのラストはいわゆる「腕ひしぎ十字固め」で決めている。

 このシーンで衝撃を受け、人生変わった男たちを数多く知てっいる。それほどこのシーンは強烈だった。そして、このシーンこそがブルース・リー伝説は始まりなのである。


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