見出し画像

エッセー 「バブル英雄伝 ②-2」

 さて、渡米してからは色々とあったものの、無事難関のSAT(全米高校学力検定試験)をクリアし、名門UCLAに進んだ奴ことN・アレキサンダー・K。UCLAでの単位習得も順調で、大学2年生の時にはLAから600km離れた隣り町サンフランシスコの名門公立大SFSU、サンフランシスコ州立大学(San Francisco State University )に編入、ビジネス学部において経済学のBA(学士号)を取得し卒業する。

 見事BAを取得した奴は、担当教授の推薦によりバンク・オブ・アメリカ、通称バンカメに就職。世界経済の中心地とも言えるNYウォール・ストリートでバンカーとしてのキャリアをスタートさせる。

 入行当初の彼の担当はスワップ(為替取引)部門。それこそ早朝から深夜、翌明け方までと、いつ果てるとも知れない壮絶な神経戦を戦い、ワンブロック離れた自宅のアパートメントに這って帰るような生活。自宅ではマリリン・チェンバースやブリジット・モネ主演の濃厚なハードコアポルノの鑑賞と、WWF(現在のWWEの前進団体)のプロレスを観るのだけが楽しみの日々を送る。

 そんなある日、奴はボスのオフィスに呼ばれた。

 前日のスワップで200万ドルほど逆ざやを生じさせた事を叱責されるのかと戦々恐々としてドアをノックすると、ボスのデーイヴィス・テイラーが野太い声で「カミン」と答えた。

 オフィスのドアを開けると、東海岸のエスタブリッシュメントであるデーイヴィスが、NYの巨大ビル群をバックに巨大なマホガニーのデスクに腰掛けていた。そして唐突に、

 「アレックス、君は日本人だよな?」と聞いた。

 奴が「そうです。」と答えると。

 「日本人なら忍者を知っているか?」

 ????? 奴の頭が混乱し始めた。なにゆえ忍者??

 しかし知らないとは答えられないので「イエス」と答えると、

 「やはりそうだったか。君の同僚のジェフに聞いたんだが、君は忍者ウォークができるそうじゃないか。ぜひ見せてほしい。」

 まったくジェフリーの奴、とんでもないことを。。。と思いながらも、上司の命令ではしかたがないので、昔観た東映の忍者映画を思い出し、部屋の端から端までを横向きでいわゆる「抜き足差し足忍び足」いわゆる"カニ歩き"で歩いた。

 「素晴らしい!! やはり君はジェフの言うとおり忍者の一族なんだな!!」

 そう言うと、デーイヴィスは奴の両手を固く握りしめると熱くシェイクハンドを繰り返しながらこう告げた。

 「アレックス、明日から君はシニア・ディーラーだ」

 ピンとこない方のために説明すると、それまでの彼は役職なしの単なるスワップディーラー、それがジュニア(≒課長職)をふっ飛ばし、いきなりシニア(≒部長職)に特進してしまったのである。

 もちろんシニアになれば年俸も跳ね上がる。彼の場合、それまでの年俸40,000$(≒400万円)から一気に年俸100,000$(≒1,000万円)へと所得倍増!

 忍者ウォーク恐るべし!!

 後日同僚のジェフリーに聞いたところによれば、なんでもボスのデーイヴィス・テイラーは、当時全米で大流行してた忍者ムービーのファンで、特にショー小杉(ケインの親父さん)の大ファンなのだそうだ。一緒に呑んだ席で、実はアレックスは日本の忍者ファミリーの出身で、凄い技を持っていると話したら、ぜひこの目で見たいと大興奮したとのことだった。

 ともかく、奴ことN・アレキサンダー・Kは「抜き足差し足忍び足」で出世と所得倍増を勝ち取ったのである。

 やがて日本は1985年のプラザ合意を端尾とする空前絶後のバブル時代に突入。その潤沢なジャパンマネーを狙って、世界中の名だたる銀行が日本に進出し、東京にブランチ(支社)を展開し始めた。

 その頃には名実ともに辣腕シニア・ディーラーとして、また専門領域であるデリバティブのアナリストとしてウォール・ストリートで広く名が知られていたN・アレキサンダー・Kを、世界中のヘッドハンター達が虎視眈々と狙うようになった。

 そんな中、NYでの不健康な生活に嫌気がさしていた奴は、多数のオファーの中から、その年の秋に東京にブランチをオープンさせるイギリスの名門銀行ロイズ・バンクの転職を決意、デリバティブのプロとして年俸200,000$(≒2,000万円)のオファーをアクセプトし、永年住み慣れたNYでの生活に別れを告げ日本へと帰国した。

 1988年夏のことである。

宜しければサポートをお願い致します!