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カーコラム「WRCメモワール フランソワ・デルクールの衝撃的なモンテ・デビュー」

 スペルどおり「フランコイス」と呼ぶ人もいるし、普通は「フランソワ」と呼ばれている。でも一番近いのは、フランソワとフォソワの中間あたりの発音。だからデルクールを呼ぶとき、彼は「フランコイス」でも「フランソワ」でも「フォソワ」でも、どれでも振り返ってくれる。

 91年のモンテカルロラリー、デルクールはいきなりフォードワークスでのトップドライバー・デビューとなる。彼に与えられたゼッケンは12番。当時のフォードは、今ほど立派なワークスではなかった。マシンはすでに時代遅れとみられたシエラ・コスワース4×4。165セリカGT-FOURやランチャのインテグラーレに比べると少し見劣りする、そんな感じで、チームメイトのドライバーもマルコム・ウィルソン。今では有能なフォードの監督なのだが、ラリードライバーとしてはイマイチ。だからこそ、無名のデルクールにチャンスが来たのだと思う。

 実は、前年のモンテ。白いFFのプジョー309GTiで、大ドリフトのハデな走りをするドライバーがいた。これがデルクールだったのだが、その時、FF・2WDで総合9位。かつてアリ・バタネンのナビでもあった、有名なナビのクリスチャン・ティルバーが乗っていて、当時、デルクールの腕前も少々知られていた。それもあって、フォードは91年のモンテカルロ、この1戦だけのつもりでデルクールを走らせた。

 ところが、この無名ドライバーが、初めての4WD、初めてのターボエンジンという初のワークスドライブで速いのである。当時のモンテカルロラリーでの有力ドライバーはランチャのミキ・ビアシオンやディディエ・オリオール、それに加え、元気な走りのトヨタのカルロス・サインツやアーミン・シュワルツ、三菱のティモ・サロネンやケネス・エリクソンらを相手にトップグループにつけている。

 そして最終日、なんとデルクールは、この日、最初のチュリニ峠への登り区間でトップに立ってしまった。それをすぐに次のSS20でサインツが逆転、勝負は夜間ステージへと入った。そしてサインツはトップをキープしたが、デルクールは残り4SSというSS24で再び1位へと上がった。

 このまま無名の新人が第59回モンテカルロラリーを制するのかと思われたが、最後のSS27、ファイナルランで3回走るチュリニ峠への登り区間、デルクールはフロントタイヤをコースサイドの縁石へと当てタイムロス。ビアシオンにも抜かれて3位へと落ちてしまった。

 勝ったのはトヨタワークスのサインツ。これはモンテ史上初のヨーロッパ車以外での勝利。トヨタにとってもサインツにとっても初のモンテ優勝であった。そんな勝利を目前にして逃したデルクールは、そのSS27が終ると同時に、泣き崩れてしまった。

 だが、この速さのおかげで、1戦だけのつもりがそのままフォードの正式ワークスドライバーとなり、今年は新たなる三菱ワークスでの1戦目を迎えようとしている。当時のデルクールは黒い髪で、今とは別人の感じがする。無名のドライバーがトップ争いをした、センセーショナルなデビューだった。


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