エッセー 「バブル英雄伝 ②-1」
男の名はN・アレキサンダー・K、愛称アレックス。
ハーフでもなければ日系人でもない。浅草田原町生まれのチャキチャキの江戸っ子である。
奴は中高一貫の進学校時代に6年間同じ釜の飯を食った同級生である。
先述した通リ、奴の生まれは浅草に近い浅草田原町。小学校の頃から地元のパイセン(地廻りの893さん)から夜の街の遊び方の手ほどきを受け、中学時代にはすでに立派な遊び人になっていた。
我々の母校は、明治の軍神 廣瀬中佐といった歴代海軍将校を多数輩出した元海軍士官学校だったこともあり、校則や風紀は極めて厳しかったが、奴はその隙をつき、昼間は外に飯を食いに抜けだすわ、事業中にはエロ小説(しかもホモ小説)を書くわ、やりたい放題し放題、故に教師からも相当目をつけられていた。
奴は学校が終わると一度自宅に帰り、そこでサタデーナイトフィーバーのジョン・トラボルタもかくやという、大きく胸のはだけた紫のシルクシャツ、裾が巨大なラッパのように広がったパンタロン、白のエナメルのシューズというド派手な服装に着替え、通勤ラッシュで混みあう" 銀座線 " を利用して夜のギロッポン、新宿のディスコに出撃するという日課を毎日こないしていた。
もちろんケーサー(酒)は当たり前で、飲み過ぎて大抵翌日は二日酔いのため授業中は就寝時間だった。
当然成績も悪く、特に英語、数学といった主要科目は常に赤点。中校一貫校の利点で、それでも担任教師の温情で、なんとか座布団敷いてもらって落第せずに高校を卒業した。
そのため、大学受験で志望校をすべてに滑り、やむなく一年浪人することになったが、彼の親が、このまま日本にいたのではダメになると判断し、いきなりアメリカへ留学させられることとなった。
当時の英語力はゼロ以下。しかし、実家が裕福だったので、金にものをいわせ、留学業者を通してなんとかアメリカの大学進学予備校に送り込んだ。
太平洋を渡り、対岸のロサンゼルスに到着した彼は、地元の留学斡旋業業者のエージェントの出迎えを受け、そのまま留学斡旋業者がフィックスした学生寮へ。
学生寮に到着し、部屋に案内されて入っると驚愕の光景が展開されていた。部屋の左右の隅に二段ベッドが置かれた室内では、黒い肌に滝のような汗をかきながら腕立て伏せを繰り返す身長が2mはあろうかというブラザーが二人もいた。
日本では個室と聞いていたのだが、これは。。。と思っていると、腕立て伏せをやめ、腕組みしながら東洋から来た小男(奴はそれでも身長180センチ)を眺めていた。
呆然と立ち尽くす奴に、一人のブラザーはこう聞いた。
「お前は中国人か?」
「日本人だ」
それを聞いた二人のブラザーは顔を見合わせ興奮気味にさらにこう聞いた。
「日本人ならカラテができるだろう? やってみろ」
実は、奴は高校時代に大山倍達の「空手バカ一代」に感化され、東京池袋にある極真会の本部に入会し、カラテを習ったことがあった。しかし基本がヘタレな奴は、入門初日に見た、フルコンタクト空手の凄まじさに怖気づき、たった一週間しか道場へは通わなかった。
即されしかなたく「な~んちゃって型」を披露すると、なんとブラザー二人は大興奮。
そこで調子にのった奴はカバンの中からおもむろに極真会のマークが刻印された道場生の会員証を、水戸黄門の印籠よろしくブラザーの前につき出した。
それを見た二人のブラザーは目を丸くして、何事かを早口の英語でまくしたてながら奴の手を握り、熱いシェイクハンドを繰り返した。
その日から、奴はなぜか「日本から来たカラテマスター」となり、いつの間にか何十人もの弟子ができていた。
そのお陰で危険なロスの街を歩く時でもいつも心酔するブラザー達が取り巻きとして常に同行していたのでまったくもって無問題。楽しい寮生活を送りつつ、アメリカの大学共通試験であるSATの勉強ができ、2年後にはSATでハイスコアを獲得し、見事UCLAへ進学を果たした。
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