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CAR COLUMN

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モータージャーナリストの鳴海邦彦が徒然に綴るカーコラム。
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#コラム

カーコラム「鳴海邦彦 1981年式いすゞ PF60型ジェミニ 1800 ZZ-R 4ドアセダンを語る P…

PF60型ジェミニZZのサスペンション形式はフロントがダブルウィシュボン式独立、リヤがトルクチ…

カーコラム「鳴海邦彦 1981年式いすゞ PF60型ジェミニ 1800 ZZ-R 4ドアセダンを語る P…

 1979年11月、かのアルファロメオンのエンジン設計も手掛けたイタリアの名チューナー「コンレ…

カーコラム「鳴海邦彦 1981年式いすゞ PF60型ジェミニ 1800 ZZ-R 4ドアセダンを語る P…

 ISUZU ジェミニは、当時世界最大の自動車メーカーであるGMが推し進めていたグローバル戦略…

カーコラム「鳴海邦彦 1986年式トヨタ AE86スプリンター・トレノ2ドアクーペGTを語る …

1986年式TOYOTA AE86 スプリンター トレノ 2ドアクーペGT(5.1規制ジムカーナ仕様)スペック …

カーコラム「鳴海邦彦 1986年式トヨタ AE86スプリンター・トレノ2ドアGT を語る Part.…

歴代4代目となる愛車トヨタ AE86型スプリンター・トレノ2ドアGT。1986年12月、そのAE86トレノ…

カーコラム「鳴海邦彦 1981年式三菱A175A型ランサーEX1800ターボを語る」

鳴海邦彦歴代2代目のマシンは1981年式三菱自動車のA175A型ランサーEX1800ターボ、通称ターボⅠ…

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カーコラム「タクティカル・ドライビング・テクニック」

 日本ではまだ縁遠いかも知れないが、今なお世界ではVIP(富裕層及び政府要人)をターゲットとした誘拐事件が多発している多発している。  かつては政治的な色合いが濃かった要人誘拐は、今や国際的な犯罪カルテルが身代金目当てに行う営利誘拐ビジネスへと変貌を遂げている。  誘拐事件の殆どが、VIPがクルマで移動中に発生しており、プロフェッショナルによる計画的犯行が多い。  誘拐犯はまずVIPの乗ったクルマを止める。そのためには交通事故を装ったり、路面に爆発物を仕込んだりと、まさに手段を選ばない。  相手のクルマを止め、ターゲットを外に引きづり出してしまえば誘拐はほぼ成功したも同然。誘拐されないためには、クルマを止めず、素早く危険な状況から脱出するしかない。  そうした極限の状況において必須となるのが " エマージェンシー・ドライビングテクニック "である。  地球上のありとあらゆる地形、地質、環境下で戦うラリーはモータースポーツの中でもとりわけ多彩なテクニックが要求されるカテゴリーである。また、完走するためには刻々と変化する状況に応じ臨機応変な対応も不可欠となる。  そうしたテクニックや状況判断はそのままエマージェンシー・ドライビングへの転用が可能である。  全米プロラリー選手権を戦うラリードライバーにして、戦術的スペシャルドライビングの第一人者として合衆国政府の各法執行機関職員のインストラクターを務めるワイアット・ノックスが主催するドライビングスクールの映像はすべてのドライバー必見の内容となっている。

カーコラム「鳴海邦彦 1994年式MITSUBISHI CE9A型ランサーエボリューションⅡを語る …

異次元の超弩級スポーツカーBNR32型日産スカイランGT-Rから乗り換えたのは、軽量コンパクトな…

カーコラム「鳴海邦彦 1991年式NISSAN BNR32型スカイラインGT-Rを語る 」

 1973年、排気ガス規制のため僅か197台を数えるのみで生産が打ち切られた幻の名車KPGC110型(…

カーコラム 「追憶のランボルギーニ・ガヤルドLP570-4 スーパーレジェーラ」

 今を遡ること14年前の2010年、別件でイタリアに滞在中、ちょうどスイスでジュネーブモーター…

カーコラム「鳴海邦彦 MAZDA BFMR型ファミリア4WDを語る 」

BFMR型ファミリア4WDは思い出深いクルマである。 当時、取材でダートラ会場やラリー会場に行…

カーコラム「鳴海邦彦 1979年式 TOYOTA TA45型カリーナ1600GT4ドアセダンを語る」

鳴海邦彦3代目の愛車となったのは1979年式のトヨタ・カリーナ1600GT4ドアセダン。経費込みアン…

カーコラム「鳴海邦彦 MITSUBISHI E38A型 GALANT VR-4 RSを語る」

自らが副編集長を務める参加型モータースポーツ専門誌の企画や取材でVR-4の速さポテンシャルの…

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カーコラム「Lancia Rally 037 Spec 1983」

1983年、前年の移行期間を経てWRC(世界ラリー選手権)の車両規定はそれまでのGr.4からGr.Bへと変更された。 Gr.4の公認を取得するには年間400台(当初500台)の生産台数が義務付けられていたが、Gr.B規定の導入により年間僅か200台を生産するのみでホモロゲーションの取得が可能となった。 Gr.4時代、ベルトーネの鬼才マルチェロ・ガンディーニによる前衛的且つ未来的なボディフォルムに、フェラーリ・246ディノのV6パワーユニットをミドマウントした"ストラトス"で輝かしい戦績を誇ったランチャは、新たなGr.Bマシンとしてストラトスの正常進化モデルとでも言うべき2WDのラリー037を開発、実戦に投入した。 フィアット131アバルトのエンジンにスーパーチャージャーを装着したパワーユニットは、中速域でのレスポンスとトルク特性を重視したセッティングが施された。エンジンのチューニングはアバルトが手掛け、当初1998ccだった排気量は、1984年のエボリューション2では2111ccまで拡大され、最高出力も325馬力までパワーアップされた。 サスペンションは前後ともダブルウッシュボン式、リヤのショックアブソーバにはダブルダンパー方式を採用している。 1983年、4WDマシンであるアウディ・クアトロと激戦を演じ、僅か2ポイント差でチャンピオンカーに輝いたラリー037は、2WD最後のチャンピオンカーとしてWRCファンの心に刻まれる事となった。