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CAR COLUMN

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モータージャーナリストの鳴海邦彦が徒然に綴るカーコラム。
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#ISUZU

カーコラム「鳴海邦彦 1981年式いすゞ PF60型ジェミニ 1800 ZZ-R 4ドアセダンを語る P…

 1979年11月、かのアルファロメオンのエンジン設計も手掛けたイタリアの名チューナー「コンレ…

カーコラム「鳴海邦彦 1981年式いすゞ PF60型ジェミニ 1800 ZZ-R 4ドアセダンを語る P…

 ISUZU ジェミニは、当時世界最大の自動車メーカーであるGMが推し進めていたグローバル戦略…

カーコラム「つまらないクルマばかりの今だからこそ復活を切に願う"私見 ISUZUスポー…

 時の流れというものは本当に恐ろしいものだとつくづく感じる。ISUZUがかつて乗用車を製造し…

カーコラム「PF60型ISUZUジェミニ CM曲 高橋真梨子 ”ハート&ハード~時には強く時…

 逆スラントノーズのPF50型からスラントノーズのPF60型へとビッグマイナーチェンジを果たした…

カーコラム「今だからこそPFD60型ISUZUジェミニ・ディーゼルの復活を熱望する!」

 いすゞPFD60型ジェミニ・ディーゼルの良さは、乗った者でなければわからない。  専用開発…

カーコラム「PF60型ジェミニZZ Rの思い出 Part.18 最終回」

 早戸川林道でのシェイダウンテストの結果、我がPF60型ジェミニZZRラリー仕様は交換したラリ…

カーコラム「ISUZU PF60型ジェミニZZ Rの思い出 Part.17」

 PF60型ジェミニZZ Rラリー仕様のシェイクダウンの日、早戸川林道の路面は結構荒れていた。一週間ほど前にかなりの降雨があり、山肌から勢い良く流れ出した水が路面を掘ったからだ。  コースの下見を終え、サベルトのシートベルトを締め上がると、クラッチを踏み、ガングリップシフトをローに入れる。アクセルをアオるとG180WE型がレスポンス鋭く吹け上がった。  ヘッドライトをハイビームにし、PIAA製のドライビングランプのスイッチをONにした。眩いハロゲンの光が暗闇の奥に潜む右コ

カーコラム「ISUZU PF60型ジェミニZZ Rの思い出 Part.15」

 フロントバンパーの上で睨みをきかす2灯のPIAA製大径フォグランプと、前後のタイヤハウス後…

カーコラム「ISUZU PF60型ジェミニZZ Rの思い出 Part.14」

 PF60型ジェミニZZ Rのクラッチは、油圧式ではなくワイヤー式である。  複雑な油圧機構を持…

カーコラム「ISUZU PF60型ジェミニZZ Rの思い出 Part.13」

 新車で購入したPF60型ジェミニZZ Rも2年が経過し車検となった(当時は新車登録から2年で車検…

カーコラム「ISUZU PF60型ジェミニZZ Rの思い出 Part.12」

 PF60型ジェミニのステアリングは、右にややオフセットしている。当然ZZも同様だ。  これは…

カーコラム「ISUZU PF60型ジェミニZZ Rの思い出 Part.11」

 ジェミニPF60型ZZ Rの心臓部であるG180WE型エンジンの点火系は当時では珍しいフルトランジス…

カーコラム「ISUZU PF60型ジェミニZZ Rの思い出 Part.10」

 ZZ Rを購入から一年が過ぎた頃だった。  某大学(友人の学校)の自動車部の練習会に誘われ…

カーコラム「ISUZU PF60型ジェミニZZ Rの思い出 番外編」

 1980年代前半、東京は青山の伊藤忠本社に隣接するCIプラザ(伊藤忠プラザ)にいすゞのショールームがあった。  青山ショールームには「Cappuccio(カプチョ:カプチーノの別名)」という名のカフェバーが併設され、展示車を見ながらお茶をするなんていうお洒落な事ができた。  お洒落な青山のお洒落なショールームには、オープン当初から、池上季実子似の落ち着いたお嬢様タイプ、テニスルックが似あいそうなショートヘアのボーイッシュなタイプ、大企業の社長秘書が似あいそうな瓜実(うり