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CAR COLUMN

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モータージャーナリストの鳴海邦彦が徒然に綴るカーコラム。
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2020年9月の記事一覧

カーコラム「1967年 NISSAN R380の奇跡」

 昭和42年(1967年)10月7日、茨城県筑波郡谷田部町の自動車高速試験場(谷田部自動車高速試…

カーコラム「ドリフトブームの裏事情」

 今となればD1とかドリフトとか、極端に言えば小学生でも知っているくらいメジャーな存在とな…

カーコラム「DOHCエンジンの歴史 Part.2」

 ガソリンエンジンの歴史は高回転化、高出力化の歴史でもある。  サイドバルブ式からOHV方…

カーコラム「DOHCエンジンの歴史 Part.1」

 ドイツのダイムラーとベンツによガソリンを燃料とするエンジンが発明・実用化されたのが1886…

カーコラム「追憶 '85オールスター ダートトライアル フェスティバルin鈴鹿」

 その走りは後の世に「伝説」として語り継がれる事となる。  1985年12月1日、鈴鹿サーキッ…

カーコラム「大井競馬場の駐車場で気軽にジムカーナ "MODAC 東京シティジムカーナ" の…

 1980年代、東京品川区勝島にある大井競馬場(現在のTCK)の大駐車場でジムカーナのシリーズ…

カーコラム「1989年 SUBARU BC/BF5型LEGACYオーストラリア PRESS試乗会の想い出」

 1989年にデビューした初代レガシィ(BC/BF型)は、非常に思い出深いクルマである。  当時、富士重工は、多額の累積赤字を抱えていた。その起死回生を期して誕生したのが初代レガシィである。 レガシィに自社の命運をかけていた富士重工は、1989年9月、国内の主要紙媒体(新聞、雑誌)を対象としたプレス向け試乗会をオーストラリアのシドニーで開催した。  当時副編集長を務めていたモータースポーツ専門誌にも富士重工広報部からご招待があったため、急遽シドニーに飛ぶことになった。

カーコラム「Legend of All Japan Rally Championship 桜井幸彦伝説」

 その衝撃的な走りを初めて目撃したのは1985年全日本ラリー選手権第10戦モントレー'85だった…

カーコラム「NAⅠ型初代HONDA NSXとアイルトン・セナ」

 HONDAのスーパーカーNAⅠ型NSX(2005年に生産中止)は、世界でも屈指の難コース「ニュルブル…

カーコラム「KP47パブリカ スターレットとクリスタルキング”大都会”の想い出」

 クリスタルキングの " 大都会 " が大ヒットした1979年、バイトの先輩から譲り受けたKP47型パ…

カーコラム「NISSAN R35GT-Rの魅力が随所に散りばめられたお洒落なショートフィルム "…

 NISSAN R35GT-RのCoolなショートフィルムである。  湖畔周回道路を一周レースの勝者に遺産…

カーコラム「PF60型ISUZUジェミニ CM曲 高橋真梨子 ”ハート&ハード~時には強く時…

 逆スラントノーズのPF50型からスラントノーズのPF60型へとビッグマイナーチェンジを果たした…

カーコラム「STPガストリートメントは単なる水抜き剤ではない」

 赤いプラボトルでお馴染みの 'STPガストリートメント 'は、単なる水抜き剤ではない。  ガ…

カーコラム「米軍基地でジムカーナ "TSCC 横田基地ジムカーナ"の想い出」

 かつて、東京福生市にある米国空軍横田基地内にあるハイスクールの駐車場でTSCC(東京スポーツカークラブ)が主催するクラブマンジムカーナ(草ジムカーナ)が開催されていた。  排気量別(1300cc以下、1600cc以下、1600cc以上)の3クラス、改造なんでもOKという大雑把なレギュレーションは、いかにもアメリカン草レースそのもの。  ハンバーガーとコーラ片手にワイワイガヤガヤ、それは楽しいイベントだった。  しかし、参戦ドライバーは超テクニシャンの走り屋が多く、秩父