マガジンのカバー画像

Essay

321
鳴海邦彦が思いつくままに、そして気ままに綴るフリーエッセー。
運営しているクリエイター

#ドリフト

再生

ショートエッセー 「コントロールする喜び Driftmob feat. BMW M235i」

 街なかや公共の場で、何の前触れもなくどこからともなく一人、また一人と人が現れ、突然ミュージックライブやダンスパフォーマンスが始まる。そして終演後は何事もなかったかのように各々が立ち去って行く。  フラッシュモブいわれるこのハプニングショーの手法を使い、ランナバウトのロータリーを舞台に5台のBMW M235iが大ドリフトショーを繰り広げる。  題してドリフトモブ(Driftmob)!  理屈でクルマは語れない、クルマは走ってなんぼ、コントロールしてなんぼ。  まさにBMWが提唱する " 駆け抜ける喜び " そのものの具現化である。  日本の自動車メーカーよ、悔しかったこんな洒落たインフォマーシャル作ってみろ。

エッセー 「なぜドリフトなのか? 」

よくラリードライバーのドリフトとドリフト屋さんのドリフトと何が違うのかと質問されるが、ハッキリ言ってまったく違う。 簡単に言えば「ラリードライバーにとってドリフトは手段であって目的ではないが、ドリフト屋さんはドリフトするのが目的」ということ。 つまり、ラリードライバーにとってのドリフトは、コンマ一秒を詰めるために必要なテクニックの一つであり、ドリフトすること自体が目的ではない。故に、ドリフトさせる必要がないコーナーなどはひたすらグリップで走ります。その方がロスがなく速いか

エッセー 「スーパーカーは遊び倒しこそ意味がある!」

 何度でも言おう、スーパーカーであろうが、高級スポーツカーであろがクルマは乗りこなしてなんぼ。  そしてモータースポーツは楽しんでなんぼ。そもそも「スポーツ」とは「楽しむ」という意味の単語。  荒ぶる悍馬を意のままに乗りこなす、それこそが快感なのである。  例えそれがランボルギーニ・ガヤルドであろうが、床を踏み抜くまでアクセル全開、タイヤがズタボロになるまでグラベルロードやスラロームを楽しむのが男の粋というもの。  スーパーカーは高速道路で弱者をいじめて悦に入るような

エッセー「プロデューサーオフトーク "CARBOYドリコンGPスペシャル 超ドリフトテクニック 古口美範 Super Special Drift Technic"製作の想い出」

 AE86でカッコよくドリフトをキメるつもりが、スピードが足らず、スピンを披露して登場、動揺が走ったのか、"CARBOYの西です、Carboyの西です"とリフレイン。  このテイクを撮るためだけにCARBOY西編集長にエビスサーキットまでご足労頂き、現場では10テイク以上リテイクした伝説のビデオ「CARBOYドリコンGPスペシャル 超ドリフトテクニック 古口美範 Super Special Drift Technic」は、当時クルマビデオのヒットメーカーとして"TDKコアに

エッセー「人間、何歳になってもドリフト三昧」

 軽量ボディにハイパワーエンジン載せ、機械式LSDを組み込んだ後輪駆動車があれば、老いも若きも血沸き肉踊る " 天下御免のドリフト三昧 "。  80歳のお婆ちゃんがホンダS2000でドーナツターンを楽しんでいる姿を見ると、これぞ人間の本懐と感じ入る。  人間いくつになってもSpeed Mind!

エッセー「男なら生粋のサラブレッド(スーパーカー)を乗り倒せ!」

 終始一貫した持論であるが、クルマは床の間に飾っておくものではなくドライビングを楽しむためのもの、走ってなんぼ、乗って、乗りこなしてなんぼである。  たとえそれがFerrari EnzoやJuguar XJ220 のような歴史に名を残す超弩級のスーパーカーであろうとも、クルマである以上アクセル床まで踏んでカウンター当ててドリフトしてなんぼである。