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8.國部龍太郎 その人とvol.2 -革命の春-

自分の人生を変えるなんて簡単だ

僕はそう思って生きてきたし、これからもそのスタンスで生きていたい。
「人生」なんて言うから大袈裟なだけで、所詮は「昨日今日明日」のような毎日の連続でしかないとすると、今日の晩御飯をカレーにするかラーメンにするかだけでも「人生」は簡単に変わる。
1回の食事を変えるくらいなら大した変化は無いかもしれないが、毎日カレーを選び続けた人と、毎日ラーメンを選び続けた人だと、数年後の見た目も職業も、住む地域や、周りの人間関係ですら変わっていくだろう。
逆に言うと、「今日の晩御飯」を自分で選ぶことは、自分の人生の軌道を0.0001mmくらい変えていることに等しいと思っている。

最近髪の毛の色を金髪から黒くした。
勿論、純日本人の僕の地毛は黒色なのだが、金髪にした時よりも黒に戻した時の方が周りのリアクションが大きい。
4万円弱を払ってブリーチを4回施し金髪にした時ですら、特に大きな理由は無かったのだから、黒に戻した理由なんて「なんとなく」以外は無い。
それなのに「なんとなく髪の毛を黒くした」という僕の行動は、周りの人からすると「なんか悩んでるのかな?」ということを思わせるかもしれないし、「金髪がトレードマークだったのに黒だと普通じゃん」と失望させることもあるかもしれないし、実際にそのどちらも言われた。

面白いのは、そう言われて初めて「自分悩んでるのか?」「自分個性無くしちゃったのか?」と思ってみたりしたことなのだが、いずれにせよ良くも悪くも自分に対する人の目線や印象が少しでも変わったことは確かだし、今後の人間関係も変わっていくかもしれない。
自分の想像以上に人生は簡単に変えられる。

人生を変えたい人は、髪を金色にしてみよう。






中学1年生の夏、僕は不登校になった。
とは言っても3日くらいサボって行かなかっただけなのだが、それまで比較的優等生のレールに乗っていた自分にとって初めての不良行為だった。

理由はいくつもあるのだが、あえて一つに絞るとすれば通学時間が長すぎることだった。
同級生の中には歩いて家から学校まで徒歩数分の奴もいたりする中、毎日毎日電車で2時間強、往復5時間を通学で過ごす苦痛。
「神戸⇆大阪」というルートだから電車は常にほぼ満員で、当時複雑な場所に住んでいたため、乗り換えが3回もあり、4つの電車に乗らないと行けなかった。
加えて、その当時スマホも無ければ、本を開く空間的余裕もほとんど無い。
学校に近付かなければ同級生に会わないから話し相手もいない。

それでも学校生活が少しでも楽しければ我慢できただろう。
やっとこさ学校に着いたと思ったら、狭い中庭に坊主頭の男が数千人集まって朝から般若心経を読む。
部活なんて無いから運動してストレス発散することもできず、勉強勉強。
たまの校外学習でテンション上がっても、お寺に入って精進料理と修行。
思春期真っ盛りでも女の子を見るのは行き帰りの満員電車の中だけ。

もーやだ!!!


となるのも仕方がない。
しかも僕はこの学校のことを何も知らなければ、何の覚悟もせぬまま入ってきた彷徨い人。
ヤワな心はポキッと折れて、それまで12年間積み重ねてきた、親や先生といった周りの大人からの信頼や期待の一切を捨てて部屋に閉じこもった。

今思えば、人生の中で自分の意思で行動をしたのはその時が初めてだった。
それは「行かない」という行動なのだが、敷かれたレールを踏み出した初めてのアクションだった。
勿論、当時は「やってやった!」なんてスッキリした気持ちは1mmも無く、罪悪感と絶望感で胸がいっぱいで部屋で一人泣いていた。
親は今まで何の問題も無く育ってきた息子が突然どうしてしまったのか理由が分からないといった感じで、学校に行くように僕を説得した。


とは言え、当時の僕にその先の選択肢はなく、少しお休みしてからは何事も無かったかのように学校に再び通うようになった。
親も一時の気の迷いだと安心し、僕は再びレールに乗ることになる。

「諦め」

それが3日間休んだ僕の出した答えだった。
冒頭に「人生は簡単に変えられる」と書いたが、当時の僕には学校を辞める根性も無いし、他の選択肢を生み出す想像力も無い。
何より行動力が皆無で、「立ち止まる」というアクションしかとれなかった。
受験に失敗した時に、家の近くの公立学校を自分の意思で選んでいれば今頃は...なんて過去の自分を呪ったりもした。
そんな人間に人生を変えられるはずもない。

そこから先の2年半の記憶は、僕の中にほとんど残っていない。
残っているのは大量の小説
当時の僕は学校にいる間、授業中も休み時間中もずっと小説を書いていた。
学校にいる間の退屈な時間を埋めるためには何かをしなければいけない。
僕は狂ったように小説を書いていた。
そして授業が終わったら真っ直ぐ家に帰り、少しの勉強をして寝る、そんな生活だった。
学校は典型的なマンモス校で一学年に300人ほど同級生がいたのだが、そんな学校生活を送っていたので、中学3年間で話した同級生は5人もいない。

そう。
かの有名な「中二病」である。

小説と言っても、何を書いていたのかはほとんど思い出せない。
そもそも小説と言えるような大層な物ではなかったのだが、今でも家の押し入れの中には、捨てることもできない気持ちの悪い文章が書かれた原稿用紙が眠っている。
今思うと、たかだか受験に失敗したくらいで人生に絶望を感じて、友達と遊ぶこともせずただただ訳の分からない文章を書き殴っていた自分が甚だ滑稽ではある。

今となっては文章を書くことは自分の頭の中の考えやイメージを整理して具現化することだと思うが、当時の僕にとってはそれは創造行為ではなく、発散行為だった。
ただ発散できれば良いわけだから誰かに見せるわけでもない。
嘘を書く必要も、格好をつける必要も、良い文章を書く必要も無い。
ほとんどの学生が部活や恋愛や遊びに時間を費やす間に、そんなことだけを3年間毎日していたのだから、そりゃ人格もひん曲がって当然だ。

ただ、この思春期真っ只中に突如訪れた魂の抜けた虚無の時間と果てしない自己分析体験は、その後の自分の人生や価値観にとって、なくてはならない時間だったと、今なら言える気もする。
よく「悩みは?」と聞かれて無いと答えると「悩みがなくて幸せだね」と言われるのだが、この3年の間に「悩む」という行為を一生分やったと本気で思う。
「悩みが無い」というよりは「悩むことの無意味さをこの3年間で実感した」と言った方が正確だが、ある種の「諦め」の精神は何が起こっても変じゃない人生を生きる上では大切なのかもしれない。
結局人生はなるようにしかならないし、行動を起こさなければ何も変わらないし変えられないのだから悩むだけ体力と時間の無駄である。

そんな鬱屈とした3年間を過ごし、エスカレーター式に高校に入学した國部少年。






彼女欲しい!!!!!

革命の春が訪れる。

今回の教訓:悩むなんて暇だからできること、まず動こう

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