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外へ外へ

居心地のよさはときに甘えに。

やさしい言葉と、わかりやすい言葉。温かい友情は、すいっと私の内側に入り込み、肯定感を高めてくれる。オンラインツールのミュート機能はとても便利で、何かあっても何もないようにしてくれる。臭い物に蓋をするとはまさにこのこと。都合の悪いこと、聞きたくないことを手軽に遠ざけられる。

そうして徹底的に居心地よくした先に残るものは、「これくらいでいいか」と惰性になるみっともない自分の姿。頭のどこかでその気持ちよさに罪悪感は、ある。でも、それじゃいかんよと気が付かせてくれる言葉は、ミュートにしているから聞こえない。その上、つぼんだ耳はいつしかぬるい状況に慣れ、ミュート機能をオンにしなくても、聞きたくない言葉を無意識に遠ざける。

なんだろうこれは。

そうこうしているうちに、信頼を置いている人から、とても愛のある叱責を受けた。私が、「これくらいでいいか」と後ろに追いやっていたものが一気にあふれ出し、成長のない数年を思い返し、穴にも入りたい気持ちになった。

私は襟を正す。色の付き始めてた帯を白に戻し、「わかりません。できません」と言える場所を探す。

先日、辞書を引いても引いても歯が立たない文献を前に途方に暮れた。すらすらと見解を述べるひとたちに劣等感を持ち、何か話さなくてはと慌てて言葉を紡ごうとするが、無理だった。理解をしていない文章に対して、自分の言葉が出てくるわけがない。もう、素直になれと腹をくくった。

「すみません。辞書を用いても、さっぱりわからなくて。でも事前に読んだときに、ひとつだけわかったのでは、黙読よりも音読の方が頭に入ってきます。口に出して言葉にする、というのは目で文字を追うよりも理解度は少しは高まる…のかな」

これで精一杯だった。人前で自分を恥ずかしいと思うのは、本当に久しぶりだった。

そして進行の友人は、使っていた文献にも通ずるように、「回り道しない」を引き合いに出して私の言葉を丁寧に拾ってくれた。そしてある参加者の方は「歩くこと」に着目して活動をしているため、回り道をせず時間をかける先に、どんなことが待っているのかと、私の鼓舞を促すような話をしてくれた。

友人の、参加者さんのファシリテーション力に救われて、イベント終了後に涙が出た。恥ずかしさを味わうこと、自分の無知を認めて悔いること。それを大らかに受け入れて、相手をしてくれる場を見つけること。今の私に必要なこと。


外へ外へ。



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