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【#一日一題 木曜更新】 ねなしぐさでいいや

山陽新聞の「一日一題」が大好きな岡山在住の人間が、勝手に自分の「一日一題」を新聞と同様800字以内で書き、週に1度木曜日に更新します。ほらいつか岡山在住ライターとして一日一題から依頼が来るかもしれないし……し…? 

移住ですかと期待に満ちた目で聞かれるとね、ちょっとつらい。「輝かしい希望を求めて」ココに住んでいるわけではないのです。
こっちには帰ってこれないのと屈託なく言われるとね、ちょっとさびしい。「戻れないからしょうがなく」ココに住んでいるわけでもないのです。

春はなにかと人が動く季節ですね。卒業入学、転勤に異動などなど。引っ越しはひとりだったり家族と共に複数人だったり。

私がこの地に住むようになったのは、つつじの季節でちょうど満開、白とピンクの花がマンションを囲む歩道を彩っていました。

不動産屋に勧められて選んだ地域は、ザ・住宅地。

ロードサイド型の大手量販店とファミレス、ケータイショップが並ぶ幹線道路が目と鼻の先に走っていて、住まいの窓からの借景は住宅地の素っ気ない家並みが見えるのみ。公園は整地された土地を金網で囲って遊具を置いただけの味気ない雰囲気で、以前住んでいた地域の緑の多さとつい比べてしまう。子どもたちが坂を駆け上ったり木登りをしたり、小さな崖を緊張しながら移動したり、そんなふうにそこにいるだけで運動神経が養われるような場所は皆無でした。

それでも、「住めば都」とはこのこと。

家族は土地の雰囲気に慣れ、地域の慣習を受け入れ、日常を積み上げてきました。子どもたちを見ていると、「多感な時期を過ごした場所」はとても大きな心の糧になるのだなとわかります。同じ年数だけ暮らしていても、大人のそれとは明らかに違うんです。

ふと私にわきあがる、「なんでこの土地に住んでいるんだろう」という根無し草的な思い。きっと子どもたちにはないんだろうなあ。彼らはしっかりここに根を下ろしている感じがしますから。でも動けないほど深く深くではない気もするのは子ども特有のみずみずしさのせいでしょうか。

動けないほどの根はいらないし、かといって丈夫な根っこがないのも心もとない。何や色々考えて気が付きました。わたしが欲しいのは、根ではなく芯かもしれません。ん、芯ってなんでしょうか。

まあいいかいいか、ねなしぐさで。

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