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文庫と珈琲と。文章はやっぱり素敵で不思議なツール

寄せ文庫 ふみぐら小品

ふみぐら社さんに贈りたくて、寄せ文庫の制作に参加しました。現在、病を抱えているふみぐら社さん。入院のお知らせnoteを読んだとき、胸がざわざわしました。何かしたいけど、わたしに何ができるでしょうか。「お大事に。何かできることがあったら言ってね」というのは簡単。でもふみぐらさんとわたしは noteやTwitterでテキスト会話を交わす間柄。とても大切な友人ではあるけど、物理的にもそして精神的にも「何かあったら」「言い合える」関係性ではないのです。これは、謙遜でも建前でもない正直な思い。その言葉を私が言うのは、とても優しくてとても無責任です。

そんなとき、友人猫野サラさんが「寄せ文庫」に向けて動き出しました。noteで知り合ったふみぐらさんに伝えるならコレだ!  サラちゃまナイスにゃー。思い上がりかもしれないけど、noteでふみぐら社さんと知り合ったわたしが参加するならこれしかありません。

私は挿絵と校正を担当。プロの絵描きさんも参加してくださっていたので、うっそー!と右手が震えましたが、これもまた面白い集まりですよね。私は、山羊ことふみぐらさん(逆?) に笑ってもらいたくて、ふみぐらさんの文章を独自に読解してイラストを書きました。笑いは免疫力を高めるから。笑ってくれたかな。ちなみにお気に入りはライオン。

無事に届いて、楽しんでくれているようです。ふみぐら小品よ、頼んだぞ。これから病と付き合っていくふみぐらさんの日常を見守ってください。

そしてサラさん。寄せ文庫の企画・編集・入稿・発送全てを担ってくれました。皆で手分けをして作業したけど、印刷物の入稿作業をする人のプレッシャーはいかばかり。同じ岡山暮らしなので、こんなご時世じゃなきゃ発送くらいは集まってわあわあ騒ぎながらやりたかったです。スタッフになったことで、ひとあし早くみなさんの感想文が読めたり、デザインやレイアウトが拝めたり、贅沢な作業だったなあと感じています。今回は本当にありがとう。これ言うの100回目くらいになるけど、落ち着いたらゴハン食べようね、飲もうね。温かいサポートや、声援をくださったみなさん、本当にありがとうございました。


ものがたり珈琲

友人、サトウカエデさんが小説で参加している、コーヒーのサブスク「ものがたり珈琲」が届きました。コーヒー豆や小説、その他ノベルティのセット。月イチ定期便と、単月購入が選べます。

今回は単月購入で。写真はすでに珈琲を淹れてしまったので1袋しか写っていませんが、セットの珈琲豆は挽いたもの75 g×2袋。その他ノベルティがたくさん。

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そして、やっぱり楽しみにしてたのはコレ。

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カエデさんの小説です。ポストカードの裏にQRコードがあり、そこから小説を読み込みます。今回は、カエデさんと西岡朝紀さんの小説でした。二編の小説の朗読タイプもあり、色々な楽しみ方ができます。

小説やエッセイの文章、そして歌やイラスト。鑑賞者は「これは、わたしのことだ」と思ってしまったら負け。全てではなくてもいいんです。笑い、涙、怒り、憂い、なんでもいい。感情を揺さぶられたら、その時点でその創作物を認めたことになると私は思っています。人の心を動かすもの、そこにプロとアマチュアの境目はありません。

カエデさんの小説。今回は無料の読み物ではないので内容は公表できませんが、誰しも心の中に必ず持っているけど、露呈しないように包んで囲って守っているもの……そこをちょんと突かれてしまう、そんな感じで。突かれたくないとこ、そこ、やめてよ。

小説をひとつ書き上げるたびに、ぐいぐい手腕が磨かれているカエデさん。同人誌的にエッセイをnoteに書いているときとは違い、人間の感情の鋭さが際立ってきているように感じます。彼女の持ち味の美しい描写は磨かれ、その上でより深いひとの心に潜っているというか……。うまく言えませんが、小説を書きたいと言っていたカエデさんが、ひとつずつ目標をかなえていて、ファンとして友人としてなんだか嬉しくてしょうがないのです。

あ、肝心の珈琲の味。酸味が強めで夏っぽい飲み口でした。爽やかで飲みやすい。ひとつ悔やまれたのは、小説を読みながら飲もうといそいそと淹れ、「ホットコーヒー」で飲んでしまったこと。く、くやしい。(小説を読んだ方なら、わかりますね)

文章は素敵で不思議なツール

寄せ文庫も、ものがたり珈琲も、キーワードは文章です。人に伝えるために書いた文章が、色んな人の手を介して自分に戻ってきたり、不特定多数の人たちに読まれたり。

池澤夏樹さんの著書に「昨日の会話は消えてしまうが、昨日の文字は眼前に残っている」という一節がありました。

今や写真や動画で色んなものが手軽に残せますが、古代に「記す」という行為に気がついた先人の想いを感じて楽しみたい。彼らが、木に、石に、地面に印を刻んで他者への「伝達」を見出したそのとき、何を思ったのだろうと想像するとワクワクします。

記号が文字になり、文字が文章になり、それらが紙に画面にと姿を変え、今もなお、私たちの伝達手段としてなくてはならないものになっています。

こんなにも可能性の広がる遊び道具を手にしている私たち。趣味で内省を記すもよし、仕事として世に発表するもよし。そして、文庫本になったり、珈琲のおまけになったり、形を変えて生活の中に飛び込んできます。


文章はやっぱり素敵で不思議なツールですよね。

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