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「読んでもらう」ということは。

ある日ふと思い立ち、二人のnote仲間に私のnoteを読んでとお願いした。タイムラインに流れてきたのをnote上で読んでもらうのではなく、「私のこのnote読んで」とタイトルまで指定して押し付けた。

リモートワークだおうち時間だなんだと言ったって、お二方はそれぞれ忙しい。それでも快く「はいよ」と引き受けてくれた。有難い。

そのお二人はこちら。皆さまおなじみ、池松おいちゃんと仲さん。

お二人は4/25に嶋津さんとzoomトークイベントをやりますね。

話題の「note読み手スペシャリスト」が三つ巴。(嘘。巴ってなんかいない)楽しみです。何話すんだろねと、それはさておき。

池松さん、仲さん。お二人とは時々オンライン呑みをする。「最近どうよ?」と言い合いながらとりとめのない話をして、笑う。真面目な話もしたっけ? したかなあ。したと思うけど、それもきっととりとめなく。



私は大勢のnoterさんがやっている「note読みます企画」に参加したことがない。コンテストでも仕事でもないのに「読んで」とお願いする意味が、よくわからなかった。

「読む」そして「感想を出す」ってすっごく時間の食う話だ。仕事でもそうだけど、自分で書くより人の記事を読んで校正して指示を出す方がHPを消耗する。私の真剣なのかおふざけなのかわからないnoteで相手の大事な時間をもらうなんて、申し訳ないと思ってしまう。

だってタイムラインでいつも読んでもらってるじゃないの。noteってそういうものでしょう。ベースはSNSなんだから、流し読みでもなんでもいい。スキしてくれたらうれしい、コメントしてくれたらうれしい、ツイートで紹介してくれたらうれしい、交流が楽しい。それだけのことだと思っていた。

それでも、昨年末の嶋津さんの教養のエチュード賞には参加した。嶋津さんから「応募してくださった作品は私への手紙だと思っています」という魅力的な宣言があったのと、その先に私設賞であれ「賞」があったからだ。皆が慕う嶋津さんってどんな人なんだろうという好奇心に素直に従った。そして私は順位のつくものがとても好きなのだ。(嶋津さんは教養のエチュード賞を「順位」とされるのは本意ではないかもしれない)

私の参加記事に対して、嶋津さんはとても温かく染みるコメントをくれた。

「クニミユキさんの文章は安心する」という総評をもらい、私はうれしかったしホッとした。読みやすい文章をと心掛けてこれまで書いてきた。いうなれば、中学生でも理解できる文章。ああよかった、私の目指す書き方は間違っていなかったと胸をなでおろした。

嶋津さんは応募作品の長所を徹底的に洗い出し、それを自身の言葉で紡ぐ。その言葉のひとつひとつが、繊細で心に沁みる。

いや、まてよ? 

私は、嶋津さんのたくさんのコメントと教養のエチュード賞の参加記事を読んで考えた。

違う。

欠点さえも嶋津さんの美意識に触れると長所に変わる。嶋津さんが、それを意識しているのか無意識なのかはわからない。noteというプラットフォームの性格を重んじると、きついコメントはどうにもそぐわない。そして教養のエチュード賞の場の主は嶋津さんであり、主が不要と思う言葉はここに置く必要がない。まるでBarの主が知らず知らずのうちに客を選んでいるように。

お? ガラにもなく情緒的になってしまいそうなので、立て直し。嶋津マジック、こわいね。嶋津さんのコメントを熟読してわかったのは、秀逸な書き手は短所までも前向きで美しい言葉に置き換えられるということ。

「文章がうまい」は、私が他人からよく評される言葉だ。その言葉はとてもうれしいしありがたい。私の文章の師匠は新聞出身のひとだったので、徹底的に読みやすく正しい文章を叩き込まれた。その後に長くお世話になったディレクターからも、厳しいチェックで構成や言葉運びを鍛えられた。言うなれば、それだけ書かされた状況でうまくならなきゃおかしいのだ。

しかし、本当に「文章がうまい」人は何をどう書いたって「うまい」

「うまい」に「センス」と「企画力」が加わると、周囲を翻弄する破壊力が生まれる。noteの中にもそんな書き手がたくさんいる。

きっとココが私の限界なんだろうと思う。と、それは決して悲観的な話ではなく。(ここまで来たら腹をくくっている)


そこで、ここから本題。

つい最近、私はくだんのお二方に「このnote読んでくれい」と押し付けた。

今、私が請け負っている仕事は私にフィードバックをしてくれる人がいない。どちらかというと私がフィードバックする側で、ああでもないこうでもないとチェックして返す作業が多い。

ああ、誰かに自分の書いたものをああでもないこうでもないと言われたい。ビシバシと赤を入れられたい。

そこで、池松さんと仲さんに「読む」をお願いしたのだ。お願いするにあたり、コメントは「超辛口でお願いします」と注文も付けた。

で、結果。

皆さまご存知の通り、聡明なお二人。池松さんからは分析的かつユーモアあふれるコメントを、そして仲さんからはいつも通り冷静で温かく「何が良かったか」という点がわかり易く記されたコメントをいただいた。

でもね、お二人ともやっぱり甘口で。辛口でってあれほどお願いしたのに、やっぱりnote仲間はやさしい。

もちろん、コメントはとてもうれしかった。けれどもスカイプ呑みのノリで、何かしら辛口で返してくれると思っていたのでかなり拍子抜けした。私は仲さんがくださったコメントにきちんとお礼とお返事をした上で、仲さんに絡む。

「甘口。超甘。バーモント甘口です。りんごとはちみつとろーりとろけて」

こんなくだらない絡みにも仲さんは「辛口の時もありますよ」冷静に返してくれた。DMの向こうで仲さんが「やれやれ」と苦笑している姿が浮かんだ。ごめんね、仲さん。

さて、私はお二人からいただいたコメントを二度三度と読み返す。嶋津さんの例もあるので、温かいコメントの中に私の欠点は必ず隠されている。こういううがった見方はいけないのかしらと思いつつも、貴重な時間を割いてもらったのだ、絶対に「ありがとーん」で終わらせるわけにはいかない。読んでもらう、感想をもらうってこういうことだ。


あ、やっぱり。


読み解くと色々なことが見えてくる。見えてきたものは、目をそらさずに飲み下さなければいけない。それが例え毒まんじゅうでも(byイケマツ)。褒め言葉の中にある自分への批評を掬い出した時、人はきっと、もう一段階成長できる。



イケマツ、仲、嶋津。さあ、そんな狂った読み手が三人、4月25日に何を話すのか?  楽しみですね。


私は幸せです。星の数ほどいるnoteユーザーの中で、楽しい仲間をたくさん見つけました。書くのが好き、読むのが好き。いつも私と読み合いしてコメントし合ってくださるみなさん、本当にありがとう。これからもnoteでたくさん遊びましょう。

読んでもらうとは? というテーマだったのに、はからずも今回はこのお三方の紹介になってしまいました。トークイベントも近いので、ご容赦くださいね。









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