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【#一日一題 木曜更新】 世に出したらそれは

山陽の「一日一題」が大好きな岡山在住の人間が、勝手に自分の「一日一題」を新聞と同様800字程度で書き、週に1度木曜日に更新します。

「翼をください」の歌詞を読み読み、これは大人が嘆く歌だったのか?と考えるようになったのは、自分が完全に大人になり子育てをするようになってから。私が歌った30ウン年前と変わらず、この歌は今も小学校や中学校の合唱曲の定番です。

子どもの頃、この歌を大人に歌わされていた頃は、心地よい旋律と「翼をください」というストレートな表現に、単に「自由がほしいんだな」「飛び立つ手段が欲しいのだな」としか考えていませんでした。病気の子どもが入院部屋の窓から空を見上げているという設定を、勝手に作り上げたりして。

でも私の第一子が小学校高学年の頃、小学校の掲示板に貼ってあった歌詞を見て驚愕しました。驚愕だなんて大袈裟ですけど、2番の歌詞の冒頭をきちんと咀嚼してオイコラ待てと思ってしまった私がいました。
「今  富とか名誉ならば  いらないけれと    翼がほしい」
富や名誉を欲しがるのは、富や名誉の恩恵を知る者。きっと大人。そしてそんなものいらないから翼をくれというのも、何かに窮した大人だろうなあ。

ええと。これはどういう趣旨でつくられた歌なのだろうと、インターネットで調べてみると(浅はかですみません…)「当初予定していた曲から曲調が変更になり、その段階で締め切りまであと3日。作詞家が七転八倒して書いた」という情報がいくつも出てきました。そして「作詞家は子どもの頃に小児喘息を患っていて小学校に満足に通えなかった。その時の苦しい思いも含められていたのかもしれない」という情報も。でも後者は作詞家自身の後付けで、あくまでご本人が言う「かもしれない」の話です。

ネットの海に漂流している膨大な量の「翼をください」の考察を読みくらべてみると、今も昔も、創作物というものは世に出してしまえばおしなべて人のものになるのだなあと感じます。人の考察に苦言を呈したり、自分の考えと違うからと怒ったり、ましてや書き手なら、受け取った人の考察にケチをつけるのはお門違いってものです。

作品を世に出したらそれは、潔く受け取った人のものにしてあげるのがよし。人の思考に制限をかけるなんて悲しいので、他人に見せたからには自分の意図と違う感想も受け止めなければいけません。良い評判ばかり聞こえるのは、きっと自分のまわりにいる人たちが優しいから。そこから一歩外へ出たら、聞きたくない言葉も飛び込んでくる覚悟を持たないといけない。でもそこで難しいのは誹謗中傷と酷評の違いってやつですが、おっと800字を超えたようだ。残念。








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