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大丈夫、周りにはもっとスピード上げてる人がわんさかいるよ。

自分の行動をx100くらいにしたい。実践量と時間の掛け算の虜です。
自分が今の高熱量のままを続けていった先に、過程で、どんどん研ぎ澄まされる感覚があります。

そして、「久しぶりにきたわこの感覚♪」
「まだまだだよね。」(←テニプリみたいなセリフですね。)
「いけるよ、行ける。」
「もっと、こんなもんじゃない」
そんな内言が聞こえてくる今日この頃です。

「40にして不惑」

という言葉があります。時には、「まだ焦らなくても良いか。」と自分に語り掛けたこともありました。
反対に、
「40まで待つ必要なくね!!?」
なんて前のめりな想いになったこともありました。

時代に即して、自分も変わっていくことを前提に、脳内に描いているものを高速で実現する。

もしかしたら、気づいていないところで何かミスってるかもしれない。
タイミングや確率の妙で痛い思いをするかもしれない。
そしたらその時に柔軟に変わる自分を発動させたら良いだけのこと。

もっともっと抽象的なところで、自分は命を完全燃焼させようと決めているのだから。違う言葉で言えば、人の2倍生きるということ。

「60で死んでもいい。でも2倍の濃さで生きたら120年生きたことになるから。」

大学生のころは平気でそう思っていた。実際に、部活とバイトと忙しかった。
そう忙しかった。
「心を亡くす」
と書いて忙しい。心があるようで、自分の心と身はくっついていなかったと思う。いくつもの思いをうまくしないといけなかった。
いっぱい周囲に嫌な気持ちにさせてしまったと思う。

ごめんね」だけで取り返せないのは、そのあとの苦労で知っている。
今も少し、その苦労は引きずっている。やり直せる時間機会があるなら、大学時代は1つの候補の時代。

でも、今はその痛みから学んで、繰り返さないように未来を選択するだけ。
痛かったことは、その分しっかり刻まれてる。実際身体にも刻んだし。

そんな心を亡くしていた時代に得たものはなんだったんだろう??

そんな自問を繰り返す。

今の答えは、「悔しさ」


あの時代に得たものは、やっぱり「悔しさ」だったと思う。
それは、世間知らずな小中高から、世の中の現実が身近にやってきた大学生活だからだろう。

余裕そうにしている仲間。あとあとわかったら親が地元の大地主。。
すっごいきれいなあの子は親が秋葉原にビル持っている。。。
卒業旅行は親がお小遣いをくれて海外へ。なクラスメイト。
大学生になって、「初めて自転車2人乗りした」というクラスメイト。
大学行くために、「志望校下げて学費免除もらってるの。」といった昔好きだった子。

そんないろいろな事情が見え隠れするのは、大学生だからなのかもしれない。
高校生の時にバイトしていたコンビニで、学費出してる早稲田の大学生が夜勤にいた。少し上のお兄さんだった。同い年くらいで、学習院に通う成田から通っているお姉さまがいた。
自分はまだまだだった。何にもなかった。

「わっけーな、いいな!!」

っていろいろな人にちやほやしてもらえてた。。
だいたいどこのバイト行っても、高校生のころはそう言ってもらえてた。

若かった。

でも、週4ー5で原宿で途中下車してウインドウショッピングを繰り返していた時代、今思い出しても好きだし、多くを学べた。
そして言葉にできなかったけれど、自分の実家が息苦しくなってきたのもこのころからだったんだなって。

仲間に誓うこと。

当時の仲間と、次に会う機会があると思う。本当は、同窓会の幹事というかクラス代表であったわけで、ほかのクラスとの連携も、他の学年のOBOG活動も務めないといけないところ。ごめんねの気持ちでいっぱい。

自分の状況に限らず、定期的に開催するとかもっと公的な気持ちで臨まないとあかんのやろうって思って自分で自分を苦しめているところ。
小さなプライドが邪魔している自分。。
でも、会おう。あのころみたくみんなが笑えるように。もう一度みんなで新しいものやりたいさ。。

それぞれが20年、25年努力したわけで、あのころよりみんなレベルアップしてる。
そんなみんなで何か1つできたら、めっちゃくちゃ楽しいと思う。
年相応に、日本のこれからに向けてね。
やっぱりそんな発起人、想いが向かいます。

誇れる人になろう。
そんな気持ちで、日々精進。

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