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夢と目標について考える

おおきくなったら何になりたい?
こどもに何気なく聞いたりします。

夢はありますか?
おとなになっても聞かれたりします。

「夢と目標」について聞かれるとなぜか怖気づいてしまうのは、影響されやすく冷めやすいミーハー気質だからかもしれません。その都度ころころと変わりどうなりたいかを聞かれても「とくにないしわからない」と答えてきました。たいていの会話はここでプツリと途切れてしまいます。

なぜでしょう。夢と目標という響きに苦手意識がつきまとのです。

”夢は見るもの。壮大で一部のひとだけが叶えられるもの”

”目標は計画を立て達成するもの”

目標は夢に向かうまでの具体的な計画なのかもしれません。

私の場合ですが、身近な問題や仕事での課題はタスクとして取り組みます。
放っておくと僅かな心の負債が増え、どんどんデッドラインが近づいてきて、日々が圧迫されていきませんか。実行すると案外スムーズなのに、後回しにして早くやればよかったと思うのは人生で何回目でしょうか。未完了を完了していく過程は心地よく、ちょっとした余裕も生まれます。

これは夢に向かう目標というより、現実世界で快適性を保つためのもの。

だとすると夢がないと目標は生まれないのでしょうか。そこがいまいちわからないのです。

今年のはじめ小さな挑戦をしました。
オンラインでの場づくりです。

場づくりの右も左もわからず、オンラインで知り合った方に相談をしました。2時間ほどノンストップで様々な話を聴いてもらいアドバイスをお願いしたのです。このときの様子をコーチングだと夫に言われハッとしました。たしかにその方はコーチングのプロなのです。ほんと図々しいにもほどがあります。でもやりたいことに正直に向き合い、書き留めたノートはわたしの宝物です。

いくつかの広場づくりを重ねて気がついたのは、主催する側でしか学べないことがたくさんあることでした。規模はちいさいですが、共同企画や持ち込み企画としてのポップアップ、参加してくれるメンバーの素晴らしさ、終わってみると楽しくて恵まれた3ヶ月でした。最初に相談をしたことで計画を立て、約束事を決め、無理をせず欲張らず「ちょっとだけ」を実践できたのです。

前説が長くなりましたが、ここでコーチングに興味を持ち受講したことが今回のnoteのきっかけなのです。

コーチングってどんな感じだろう。
ワクワクしていたあとに待っていたのは、今が良ければいいと置き去りにしてきた自分と対峙し、曖昧にしていた過去を振り返る時間でした。こころの蓋を開けて覗く対話は、なかなかしんどいけれど避けては通れない道なのです。少し長いですが、ここから過去の話をします。



20数年前、アパレルで販売のパートをしていたときのこと。
元来、周りがみえなくなるほど突っ走ってしまう性分ゆえに、頑張れば数字で現れ成果となる接客販売の面白さにすぐ目覚めていきました。しかし、いつしか求められていたパートの役割を超えてしまい、周囲との小さな摩擦を生んでいました。開店の準備を滞りなくすませ接客をし社員のサポートをする。それ以上でも以下でもない役割。極端な表現だけれどそういうことでした。
地元の老舗で、ブランドも多岐にわたり異動も頻繁にある会社でした。ある日、店長に辞令がおります。数字はみんなであげればいいのよと労ってくれていたけれど、たまに見せる表情は明るくなかったことを今でも憶えています。懸命に接客をして数字もあがり自信はついたけど、人の気持ちに鈍感でした。最悪です。
パートから正社員を希望しているなら、がむしゃらに邁進するのはアリだとおもいます。そうでない場合(いわゆる扶養控除内問題)自己満足で頑張るのは誰かの居場所(仕事)を奪うこともあるのだと知り、「分をわきまえる」が身に染みました。

そんな過去もあり、制限のない正社員で働くのは楽しいものでした。

前職(洋菓子店)では、人をまとめる立場となり多忙を極め、次第に採用や新人教育も任されることになりました。やることが多いのに誰かを頼ることが出来ず、次第に流れが滞りはじめ、いくつかの問題点があぶり出される事態となります。(なぜ頼れないのかは長くなるので割愛)ひとりで抱え込みやってきたことを全て書き出し、みんなでやることへとシフトしていきました。やっていたことを人へ説明するのは容易ではなく、ここが一番鍛錬されました。任せたあとに口を出さないのも修行のひとつです。ひとには自分のやり方があり得意分野も違っていて、互いに多少の不平不満はあってもみんながいきいきと仕事をしていました。分かちあう達成感はなによりも心地よいものでした。またおなじ過ちをしていたことに気づき愕然としましたが、次第に後進が育つと自分の出番も減り、老害かもと実感する出来事も増え、気力も体力も湧き上がらなくなり退職を決めました。お店とお客様へ意識を向けてきた日々から一個人になる開放感はとても気持ちよかったし、仕事のない日常はどこかさみしくもありました。


現在は夫のデザイン会社で事務と経理を担当しています。二人いた社員は、二年前に解雇しました。そこでデザインの勉強をしようと一から教えてもらいましたが一向に覚えられず早々に諦めてしまいました。夫もやる気のない人間に教えるほど暇じゃないし、これまでPCに触れてこなかった苦手意識はなかなか拭い去れません。唯一、退職後の職業訓練で簿記と給与計算を学んだことは役立っています。このままで終わるのか。もう一度働いてみようと考え始めています。だけれど50代で10年現場から離れている私になにができるだろうと不安ばかりが押し寄せます。

コーチングの対話のなかでは、やりたいことがあるのに出来ずにいる理由を探っていきました。

・採用されずがっかりする不安
・完璧主義でジャイアンになる不安
・誰かの居場所を奪ってしまう不安
・チームとして協調、協力ができるかの不安

想像以上に、まるで自信がない!
しかも謎の上から目線です。嫌なやつです。
こんなひとは面接で不採用です。
根っこにある不安が露呈しました。
もう少し謙虚で挑戦するやつだとおもっていたのに残念過ぎます。
これがいまの自分です。
情けないけれど、自信(自分への信頼)を取り戻すにはいま出来ることから始めるしかないのです。集中して出来るようになる自分との約束は、デッドラインを決め小さいことを完了させていくことなのです。

少しづつでも自己信頼を取り戻したい。

失敗してもいいから進んでみよう。

今回コーチングを受けてみてよくわかったのは、出来ない自分をダメだと思い込んでいること。そうでないと受け入れてもらえない不安があること。
不安の正体の明確化。受けなければのんきなままだったとも言えます。

祖母の口癖は「ちゃんとしなさい」でした。
よく言われるのも「ちゃんとしているね」です。
いつのまにかそこへ向かっていました。
長年の思い込みで、人前でちゃんと振る舞うスキルは身についているようです。わるいことじゃないはず。でもね、もっとくだけてもいいと思うんです。ちょっとだらしなかったり、自分にないものや欠けてる部分に惹かれたり魅力ってそんなものですよね。完璧主義でダメなところを見せられないタイプだと思っていましたが、最近ではだらしないところもいつのまにか露呈しているようです。

いまのわたしはなにかダメでも落ち込んだりしない(たぶん)
できないことだらけに飛び込む勇気を出すだけ(そうだよ)
勇気が出ないなら誰かに応援してもらおう(そうだそうだ)
セルフコールアンドレスポンス。これだ!


夢と目標に向かっているひとがキラキラ眩しい理由がわかりました。
勇気を振り絞り挑戦し、ときに失敗したり、努力しながら突き進むその姿勢が眩しいのです。羨むだけでは自分は変われません。
自分の無意識な部分と心のなかを見つめる時間は思考にも変化をもたらしてくれます。その様子を残しておくといいと言われました。
コーチングという対話を通して、人生の残り時間を意識するようになりました。「今ここ」しか見てこなかった私には大きな変化です。

こうやって苦手意識のたねが見つかり、土にうめて、水をやり、果たしてどんな芽が出るのかわからないけれど、育ててみることにしました。

まずはゆるっと6月の目標
・父の日noteを書き公開する
・初タルトを作る
・平均歩数5000歩以上を目指す
・スパイス教室でチキンカレーを作る

大きなことばかり書いてきたのに、ちいさな目標で驚いたでしょう。
でもこれを宣言するのが目標のひとつなのです。

また来月、目標の結果についてnoteを書こうと思います。

ダメでもだいじょうぶ、を大事にします。

まじめでびっくりしますね。


夢と目標のないわたしが受けた今回のコーチング。興味のある方は下記のnoteを読んでみてくださいね。よく分からない、もっと知りたいと思われる方は、私かしんちゃんのツイッターDMまでお気軽にどうぞ。


ひさしぶりのnoteはちょっと緊張しました。
たくさんの挑戦と失敗を繰り返してきた仕事の一部ですが、書くのも初めてで公開するのもドキドキです。働いた場所に顔をだせることは幸せのひとつだと実感しています。

次回はたのしかった東京旅のnoteでもいいかなぁ。








読んでくださりありがとうございます。