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いちいち、たちどまる。

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ほっとけばいいのに「あれ?」って思ったことを書いてます。 400〜800字程度の短いエッセイです。 メンバーシップに入ると全部読めます。
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2024年4月の記事一覧

きっとあなたの今を振り返ったとき青春と呼ぶんだろう。

とうきょう。 久しぶりに訪れるからと多くのアポを入れる。カフェはしごによるカフェインで「うっ」ってなる。でもお話は楽しい。 元々東京に住んでいたので、この街自体が珍しいというわけではない。だけど一度地元に戻ったからこそ珍しがって会ってくれる人たちがいて、そういう人たちには東京にずっといたら会えなかった人なんだろうなーと不思議な気持ちになる。近いと会えない。遠いから会える。不思議。 何かを必死に追い求める、ってことをうまくおろせたのがこの数年。以前よりも成果が出せるようにも

好かれるということ。嫌われるということ。

わたしは文章を書いている。 わたしにとって書くということは、できるだけ正確に今の心や感覚をとどめておくこと。今持ってる語彙とロジックとを駆使して。うまくいくこともあるし、うまくいかないこともある。だけどこのことにずっと挑戦してる。 書いて表現することは、誰かに届く可能性があるということ。それは時に好かれることにつながる。「読んで元気をもらえた」「もやもやを言葉にしてもらった気がした」そんな誰かからの応答を受け取ると書いてよかったなぁって気持ちになる。 一方で嫌われることも

「コミュニティをつくりたい!」ってのは寂しいからなのかな?

立ち飲み屋。ホタテのバター醤油を食べた。貝の上に残った汁に、お米を入れてリゾット風。おかわりを2回した。倉敷駅徒歩1分のこの立地で、この味のクオリティは反則。こっそりまた来よう。 「コミュニティをつくりたい!」 そういう人にときたま会う。熱い想いを持ってて素敵だなと思いつつも、でもどこか自分の居場所を求めてるのかな?とも思う。まっすぐに言うと、寂しいのかな?と。 わたしの周りにはコミュニティをつくってきた人が何名かいる。その人たちの特徴は、みんな「コミュニティをつくろうと

ぽちぽちと、想像の外まで歩いてく。

今日はnoteを書いた。

夢に本気は必要か?

東大寺の再建。 京都を碁盤の目上に一軒一軒回って、7年かけて費用を集めたらしい。並々ならぬ実行力。 13歳の頃から夢描き、諦めることなく実現。 とっても格好いい。 でも、わたしはこういう話を聞くといつも思うことがある。

イベントの振る舞い。

イベントに誘われて参加する。 素敵な登壇者のお話。でも、座って1時間話を聞くことができない。昔はできたのに、なんでだろう。 交流の時間が始まる。 わたしから話しかけることなんて当然できず、ご飯を食べる。美味しい。とくにおにぎりが。ビジネスチックなイベントの交流会でおにぎりはなかなかない。二つ食べる。お腹が良くなる。眠くなる。 前から歩いてくる人と視線が合いそうになり目を伏せる。あからさまにしたくないから、焦点をぼかす。わたしは後ろのポスターを見てるんですよー、と心の中で呟

不幸に無関心な人。

たとえば道でこけちゃった人がいたとき、救助者がいて、転んだその人自身も大丈夫だと遠目に確認できたら、声をかけることで騒ぎになってしまうかもしれないから近寄らずに立ち去る。 そんな人と、人に無関心で立ち去る人。 この二人をわたしたちは見分けることができない。 もしかしたら、この世界は想像しているよりずっと優しさに溢れているのかもしれない。 他のエッセイはこちらから👇