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ここだけ読んでもらえたら、もうこれで、終わっても、いい...。 このnoteのbest10作品です。
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#コラム

伝わらなかったモノたちの死骸

伝えたいことが伝わらない。 思い返せば6歳の頃。 たまたま1人で留守番してた。そのときクリーニング屋のお兄さんが洗った父のスーツを届けてくれた。ぼくは「少し待てば大人が帰ってくるよ」「その間は楽しませるよ」という趣旨のことを拙い言葉で伝え、幼稚園であったこと、最近発見したこと、珍しい虫の話をずっと話し続けた。 母が帰ってきて、ホッとしつつ、何か言い放ちながら去っていくお兄さんが見えなくなるまでずっと手を振っていた。 「あの人の言った『小生意気』ってどういう意味?」 そ

「何者かになりたい」は捨てたはずなのに

高専4年。19歳。 一念発起して弁護士を目指すことに。 ぼくは「何者か」になりたかった。 その後、スタートアップに転職し、急成長かつIPOも一番近いと言っていいところで体験。周りには「何者か」がたくさんいた。 周りにいた「何者か」はみんなかっこよく、憧れた。 だけど、それに自分がなりたいとはどうしても思えず、一度ゼロになるために地元岡山に帰郷。自分の心が動かされること、正しいと思うこと、善いと思うこと、美しいと思うことだけを人生に加えて行く生活を始めた。 今では、 作

なにか「おかしい」ものを否定するために、その「おかしい」世界の中で成功しないとならない。

昔こんなCMがあった。 「学歴なんて関係ない!」 東大出てから言ってみたい。 幼きぼくは、「たしかに!」そんなふうに思って、勉強を頑張って大学に行った。 また、とあるきっかけで弁護士になろうと思って、司法試験に挑むとき、その順位を上げることに必死だった。 弁護士になったあとも、事務所に入るために100倍近い「就活」をして勝ち残った。 イケてるスタートアップに入ったあとも、資金調達◯億円!IPO!売上◯億円!・・・ あ、これ限りないわ そう思って、そんなふうに考え

「好きに生きる」に踊らされた僕の結論。

弁護士になって、上場企業で働いて。 この道でまっすぐ生きていくのも十分楽しそうだなーって思ってた年末に謎の高熱で3日間ほど寝込んだ。 その時どうしても 「本当にやりたいことがあるんじゃないか?」 という考えが頭にこびりついて離れなくなった。 だから、めちゃくちゃめちゃくちゃ悩んで、会社をやめて地元に帰ってみることに。 もう二度と仲間と世界を変えるような挑戦はできないんじゃないか? 仕事も決まってないのに食べていけないんじゃないか? そんなたくさーんの不安を抱えて