【活動録】第30回カムクワット読書会
こんにちは。今回は坂崎かおるさんの『海岸通り』を課題作品に、ユニコーヒージョイナス店にて開催しました。
参加者は2回目が2名、何度も参加してくださっている方が1名でした。
答えは人の数だけ
以下は、あくまでもイメージの羅列であり、何らかの答えを出すものではない。
クズミとは何者か
物語の語り部・クズミさんは、その素性が明らかにされない。
「蛇みたいな名前」であったり、「頼れる家族がいな」かったり、それとなく仄めかされるだけで、年齢すらはっきりと書かれていない。
そのため、何だかおかしな人物だと感じる(村田沙耶香、今村夏子、高瀬隼子的)。確かなことは、「幼いころから掃除が好き」で「思ったことを口に出してしまう」こと。仕事を首になる際にで、「あなたみたいな人は」と言われる人物である。
老人ホームでは海岸通りにやってくる入居者・サトウさんに、息子の嫁・ナギサさんと呼ばれるも、彼女の娘である・ミサキであると主張するやりとりをする。
クズミ=ミサキ説があるらしく、サトウさんの「家に帰りなさい」というセリフは、家を出ていった彼女に対して言い放った言葉とみることもであきるかもしれない。
しかし、断定する材料は乏しく、断片的な部分から浮かび上がる人物像は、わたしが見たいだけのクズミさんかもしれない。
二項対立読解
本物/偽物のような二項対立で読み解くこともできるかもしれない。
タイトルにある「海岸通り」とは、雲母園という老人ホームにある偽物のバス停である。それは帰りたがる高齢者に「今日はバスがこなかったですね」とあきらめを促す機能がある。
舞台となる街には海があるが、雲母園に来たマリアさんの故郷・ウガンダには海はなくて湖がある。
他にも家族とコミュニティ、日本人と外国人といった二項対立もある。
クズミさんがどちら側に属するか場面ごとに分析することで、彼女が欲しているものが見えてくるかもしれない。
メタファー読解
たとえば、「海」は生命の故郷と見ることも、津波のように数多の命を奪う驚異と見ることもできる。海のそばにある老人ホームから、海へ行きたいと思うことは生と死のどちらを目指しているのだろうか。
バスなどの乗り物は、物語では主人公たちを異界に連れ込む装置として扱われることがある(きさらぎ駅)。特に来ないはずの乗り物は都市伝説的視点で見てしまいそうになる。
クズミさんの名前に入っている「蛇」は神の使いとも、原罪をそそのかしたもののモチーフにもされる。
それは何のにおいか
物語を閉じるシーンで登場する男の子が「変なにおい」して「知っている」、「会ったことがある」においだと言う。
サトウさんとクズミに対する言葉であるため、排泄物や老人特有のにおいかもしれない。それならば子どもでもなじみがあるだろう。
もしくは、外国人のにおいかもしれない。マリアさんのにおいに関する描写が多いため納得できる面があるが、そうであるならクズミさんは……。
さらに、メタファーとしてのにおいと考えることもできる。文字通りに何らかのにおいがあるのではなく、イメージとしてのにおい。たとえば海のにおい。
上記のように、海は死/生のメタファーとなりうる。生命の誕生、羊水へと想像をふくらませてもよいかもしれない。
次回以降の予定
第31回 カムクワット読書会
9月28日(土)開催。空木春宵の第二作品集『感傷ファンタスマゴリィ』が課題作品です。
それ以降
10月、11月も第四土曜日に開催予定。課題作品は未定ながら、1つは『パパイヤのある街 台湾日本語文学アンソロジー』を予定しております。こちらは日本植民地時代の台湾で、日本語で創作された「台湾人」作家の小説作品集です。
さいごに
今回は読書会後のランチも同店で食べたため、読書会を含めて5時間ほど滞在しました。最後は「お座席90分なので」と促されるほど、話が尽きませんでした。
本日はありがとうございました。
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