3月の日記 ピンクの花柄
今日はミツハニーの日だった。
自分のスマホは3分おきに図鑑ナンバーを1つずつ進んだポケモンシャツ柄の壁紙に変更されるように設定している。
ただ、その影響で他のアプリがキルされることが多かったから、今ではスマホが完全充電された時刻に、本当はその時変わるべきだった壁紙に切り替わるだけにしている。
スマホを充電し終わる時が1日の切り替わりという感覚は、そこまで深く考えていたわけではない。けれど、時刻で設定したりするよりも余程的を射ていると思った。
スマホの電池が満充電されるときなんて、なんにも自分が動いてないときだ。一度寝ているのと同じだろう。
まあ要するに、ランダムなポケモンシャツの壁紙で毎日を過ごしていて、今日はミツハニーの日だった。
素朴な顔をしたミツハニーがピンクの花畑を飛ぶ柄で、全体の印象はピンクの花柄のほうが強い。
ポケモンでピンクの花柄というと、ムンナの登場を予言する初代のモブトレーナーが連想される。
ピンクの花がらのポケモンがいたらいいのに!と言っていたトレーナーがいたけど、第5世代になったらムンナが出てきて夢が叶ったね……という話だ。
ピンクの花柄のポケモンがいたらいい、良いですよね。
自分が好きと信じているものをちゃんと言語化して、表現できていて偉い。
自分が新たに好きになったものを言語化することが本当に難しくなってきたと思っている。これは老化なのか、中二病的な何かでむしろ若返っているのか……。
自分の中でこれが好きかなと無邪気に思ったとき、それまで好きだったものの概念たちから視線を感じるような気がする。
自分はこれが好きなんだ、というキャラクター付けを自分にしていて、解釈不一致を起こすような感覚だろうか。
逆に自分のキャラクター付けにちょうど刺さるものを見つけてしまったときも、自分が好きそうだな〜〜と思って避けてしまったりする。
自分の好きなもの俯瞰病だ。好意俯瞰症。
自分の好意俯瞰症は自己肯定感の低さとキャパシティに由来している気がする。
〇〇を好きってことは当然詳しかったりめっちゃ推してたりするよねと頭の中のネット民が私をまなざしてくるし、そこまで推し活を手広く行うほどのキャパシティが無い。
絶対好きな作品は摂取するのにカロリーがいる。全く何も考えなくていいYoutubeとかを見てしまう。キャパシティは時間じゃない。熱量だ。
好きなものを言語化する練習と思ってリストを作ってみたりしたけれど、むしろ逆効果だったような気もしている。加筆が難しいし、何よりも減筆が難しい。
「段々と好きさの優先度が下がっていった」ことに自分で区切りを付けて明確化することは、好きだったものに決別を告げるような心地がする。全てを記録できれば良いというものでもない。
バーナード嬢曰く、買えてないしWeb版をたまに追う程度のことしか出来ていないけど、好きだよ……。
スキを押すと今日のラッキーアイテムを占います