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鬱に耐えるシェルターをつくろう|④

この記事は僕が寄稿し、メンヘラjpより公開された『鬱に耐えるシェルターをつくろう』という記事を改めて編集したものです。詳しくは『メンヘラ.jpに投稿した記事をアーカイブする』を参考にしてください
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以前、僕は『鬱という台風に備えよう』という記事を書きました。

以前の記事をざっくり説明すると
〇鬱と台風は似ている
〇台風を消滅させることは現在不可能である
〇強固な家(シェルター)に入っていれば凌ぐことは十分に可能
〇台風が上陸しているときの外出(変な行動は)大変リスクが高い
〇強固な家(シェルター)は自分自身の手で作らなくてはならない
こんなところでしょうか。気になる方は各自、前の記事を見てください。

以前の記事を読んでいただけたらわかると思いますが、肝心要の「シェルター」についての記述がまりにも曖昧です。個人的にあまり断言できないという、デリケートな部分なために曖昧なままにしたつもりでも、これではなにがなんだかわからないため、この記事を書くことにしました。

※注意書きです。
この記事に書かれていることを行うとき、それは鬱ではないとき、台風で大荒れではないときに行ってください。これから書くことは上に書いた「変な行動」に含まれます。
あと今回の記事は僕の意見が色濃く写っています。なので盲信しないで、気に入ったところだけ真似してやろうかなぐらいのノリで読んで下さい。

僕の過去の話

いきなりですが、少し過去の話をします。

僕はわかりにくい子供だったと思います。なにを言われても主張はしないで、人の言うことはだいたい聞いていました。
ただ本人といえば自尊心が低く、自分自身を軽んじ、自分を出さない子供でした。理由は……今となればわかるのですが、「自分を出せば出すほど周りが離れていく」と感覚的に気がついていたからだと思います。

それこそ好都合だというふうに自分(自我)を殺し、好奇心を殺し、何事も考えなく(感情でもない状態を求めて)へらへらと笑って、適当にこなし、学校にも適当に登校し、自分のことも適当に扱っていました。
この適当は適度という意味ではなく、本当に執着のない感じです。批判を言わなければ賞賛もしない。友達が離れようが近づこうが、先生に怒鳴られても(そもそも怒鳴られる状況を作らないよう動いてましたが)、課題は放置し、学力が下がろうがすべて「他人事」のように過ごしていました。(今思えば「学校」に興味がなかったのだと思います)
おかげさまで、なにも起こらない学生生活を過ごすことができました。

※先に行っておきますが、幸いなことに学生生活いじめを受けたなど、特別悪いことは僕の身に起こってません。(被害妄想が酷くなったこともありましたが、それは単に僕が変わっていただけの話です)

さて、そんな冷静な思考を持っていても思春期、悩みが出てきます。当時は「鬱」なんて単語を知らなかったものですから、「なんか学校行きたくないな」と思う程度でした。
その悩みについて僕は歪んでいたのか、当時は「悩むことすらおこがましい」と悩むことから逃げていました。いや、逃げていたというか「悩む権利がない」みたいな思考を持ってました。例えるなら奴隷が明日の服を考える意味ないだろ、と奴隷が思っているような感じです。まぁ、当時の僕は卑屈で悩むに値する人間ではないと思っていたんですよね……。

当時の僕が悩みに対して行ったことといえば「無になる」ことでした。「僕は◯◯を悩む資格はない(だからこの考えは雑念だ)」と、自分の思考欲望を排除して、自分のことすら客観的に見ていったんですよ。そうすることで自分に対する執着心をなくしたり、好奇心も置いておいたり、感情も殺してみたり……など。

そしてある時思ったんですよ。「自分ってなんだろう」と。

自分を置いて行く先は自我の消滅かもしれません。それはある種、仏教でやりそうな(イメージ)ことをしていたようです。
けれどもそこに空とか無我の境地とかそんな尊いものはなく、自尊心が低い状態でのそれですからね。やんわり落ち込んだ状態に「自分ってなんだろう」ってなったときには、それはそれは冷静ながら危ない状態でした。

ここで「◯◯君って△△だよね!」など言ってくれる幼馴染がいたら良かったんですが(実は周りが言ってくれてたかもしれません。僕が気がついていないだけで)、そんな人はいないわけで。地に足がつかないようなふわふわとした、現実味のない考えを持ちながら日々生活をしていました。(最近知ったんですけど「離人症」など症状があるらしいですね)

そんなある日の帰り、書店でうろうろ歩いていると偶然にも占い本の棚に目が止まります。なにげなくざっーと目を走らせていると、一つ太い本で目が止まり、手にとって見るとそれは『誕生日大全』というものでした。

なにげなく自分の誕生日を開いたんです。

この時の驚きはすごいものでした。なにせ遠くに置いてきた根本的な性格っていうんでしょうか、根本的で核心的な深層心理がそこに書かれていたわけですから。当時の僕はパソコンも持ってなければ、知見がある交流もあるわけではなかったです。なのに見ず知らずの人が書いた、それこそ一般的に信用に値しないような占いの本で、言い訳できないほどの納得をしてしまう文章を見つけたわけです。

ふわふわと孤独を感じていた僕は「僕のことだ……」という共感を人ではなく、この本で得られたのです。瞬間ここが僕の心の拠り所となりました。

この本を知ってから、落ち込むごとに(落ち込むごとに客観的に見るため、結果として主に自分を見失いかけた時に)ほぼ無意識で書店にある『誕生日大全』を開いていました。

わずか2ページの紹介文に、僕は「あぁ僕は博識なんだ」とか「僕にカリスマ性があるのか」など見出します。実際そうではなくてもしても、それは日々思考がふわふわしている僕にとっては「自分の内心(軸)」に戻るための行動であったり、「僕はこういう人間なんだ」と自分に教える示しになったり、占いの本はだいたい理想的なことを書かれているため、自分が行き着く「目標」にもなりました。

……と、話途中ですが、ここで過去の話を終わります。

過去話の要点

さて、話は現代に戻り、上の話を客観的に見てみます。

僕の方法になるのでどうしても我流になるのですが、上に書いた過去の話のポイントは4つあります。

1、人という不確定要素が含まれていない
思えば「助けて」など言わなかったです。幼馴染でもいたらよかったのですが、と冗談を書いていますが、もし幼馴染があのふわふわしてた時期に励ましの言葉を投げかけたもんなら多分、僕は幼馴染に依存する感じになっていたと思います。加えて手に取ったのが『誕生日大全』だったから良かったものの、たまたま悪い占い師とかに捕まってたら今頃壺を買っているかもしれません。

2、行動に特殊な条件がない
今回のシェルター発動条件は「書店に行って本を開く」だけです。例えば僕の救いとなった「発動条件」が「特別な場所」「対価がある」「運が必要」なのだとしたら、時間やお金や試行回数が必要になりますよね。僕の場合、本屋行けばいいのですから(書店ならだいたい『誕生日大全』がありました)よかったです。

3、健全な行動であった
意外と盲点かもしれません。独りでできて、心の拠り所……って条件だけだとリストカットや薬物大量摂取だって含まれます。そういうメンヘラ的なものを完全には否定しませんが健全ではない(持続性がない)です。当時の僕はそれらをしないぐらいの良心は持っていたようです。

4、落ち込んでないときに見つけた
これも大事です。なにげなく入った書店で、なにげなく占いの本を見つけたというところが最重要です。ここで僕は「『誕生日大全』で救ってもらおう」なんて気合い入れて本を開いてませんからね。こうした「○○で救われよう! ○○で救われるはずだ!」と切実な祈りを持つのは人間ならしかたないですけど、今回のシェルター制作に関して言うとよくない傾向です。理由はなんとなくわかるでしょう?

ここまで書けばわかると思いますが、僕が持っている大切なシェルターの一つが『誕生日大全』になります。

シェルターの基本的な情報

今度は「シェルター」そのものの特性を見ていきます。シェルターには2つの段階と発動条件があり、優れたシェルターとは「一人で完結するもの」だいうのが個人的な考えです。

1、シェルターを「A.探す」「B.補強する」メンテの段階
2、シェルターに「C.守られる」段階 発動条件もここ
優れたシェルターとは「1人で完結するもの」

僕の話に置き換えると「A.書店で『誕生日大全』を見つける」「B.何度も開いて何度も救われる感じがした」、2は「C.無意識で開いていた」がそれにあたります。発動条件は「書店に行き、『誕生日大全』があり、自分の誕生日ページを開くこと」でしょうか。

1の「A.探す」「B.補強する」は日頃のメンテナンスがものをいいます。厳密には「探す」と「補強する」は意味合いが違い、作業そのものが違います。例えるなら「掃除」と「片付け」はまったく別の作業のように。

「C.守られる」に関しては無意識で行う救いの行為であるため、これができている人はある意味「発動条件を満たしている」といえます。つまりここで大事なのは「発動条件」であり、守られているのは結果論になります(そのシェルターで守られるか? という問題は置いておいて…)。こちらは「鍵を開けて室内に入れるかどうか」という話です。

さらに書くならシェルターで守られた後に掃除をする(メンテする)。という段階もある気がしますね。これはもう自分のメンテナンスであり、ある意味で「B.補強する」に含まれる気がします。これも大事な工程です。

そして優れたシェルターとは「1人で完結する」もの。

どれも重要であり、どれも必要な段階だと僕は考えています。シェルターを見つけること、見つけて補強させること、やばいとき飛び込むことができること、そこでじっとしてられること、終わったらシェルターの調子を見ること。

この順でこなさなければならない、と強く言いませんが(僕もこれの通りにできているか怪しいところがある)、ジェルターについて考えるときは、いまはどの段階だろうというのを頭の片隅に入れておいたらやりやすいと思います。

A.シェルターを探してみよう

まず見つけるところから。シェルターを見つけるコツとしては「はじめからシェルターを見つけようとしない」ことでしょう。

いきなり難しい話になりましたが、用は無駄に力まず行動に移せということです。例をいくつか挙げると「これがあれば生活良くなりそうだ」とか「あの本、前から気になってたんだ」とか「あのお店に前から行ってみたかったんだ」とか、そういう何気ない行動を何気なく行ってくといいと思います。

わくわくする細やかなことってあるじゃないですか。たとえばいつも行く鯛焼き屋さんのちょっといいのを頼んでみるとか、帰りに見かける気になっていた雑貨店に入ってみるとか。ほんの少しの行動を示すこと、活動範囲を少し大きくすることがシェルターを見つけるきっかけになると思います。

つまり「小さな行動をしてみよう」というわけなのです。ただこの行動がきっかけでやらかしたり失敗することもあります。その時はその時として別のことをすればいいし、それで深く落ち込んだのならすでにある別のシェルターに潜り込むのもありだと思います。

それでも「なにをすればいいのかわからない!」という人がいると思いますから、ひとつ僕もしている方法をひとつご紹介します。

それは「尊敬している人の言っていることをする」です。

インターネットサーフィンやらSNSなんかやっていると「尊敬できる人」が出てくると思います。その人はおそらく賢くて、なにか秀でている人でしょう。そんな方はおそらく、おそらくほぼ確実に多かれ少なかれなにか「紹介」していると思います。たとえば「この本おもしろかったよ」とか「これおいしかったよ」とか、もっといえば「朝走るといいよ」など、日常的なコメントの中に「あれは良かった」的なことを話題に出しているはずです。

僕らはそれを「なんかおもしろそうだな」と実際に行動するんです。まぁ実際に紹介されたものが思うようではなかったり、そもそもステマだったりするわけですが、それでもなにか動けたということは変わりありません。繰り返していると、そのうちシェルターが見つかるかもしれません。

ここでのコツは「あまり深く執着しない」ことでしょうか。
ある個人に執着することはよくないです。感覚として「Aさんを尊敬していたけどもういいやBさんにしよう」程度がよいです。だらっと適当に選んでください。

表現が悪いですが、きっかけのための役というわけです。

B.シェルターを補強してみよう

次に補強です。補強とはその行動を継続するということです。「継続」と聞くと難しいかもしれませんが、「継続」というより「同じこと繰り返し、同じ気持ちになる」が近い表現になるでしょう。

読書で例えるなら気に入った「フレーズを何度も読み返す」みたいな感じです。そして読み返すごとに「あぁこれは僕が(私が)求めている文章だ……」みたいな気持ちの良さ(気持ちの動き)を注意深く噛みしめるよう確かめるといいです。それを繰り返すことでシェルターは強くなります。

良かったアニメのシーンを繰り返して見たり、いいなと思った公園の緑地に赴いてみたり。「なんとなく掃除をする」習慣がシェルターなら、「いい掃除用具を使ってみる」がシェルターを作る行程で「いい掃除用具を使いこなす」が補強にあたります。その結果の気持ちよさを受け取れるぐらい、その行動の感情がかみしめることができるぐらい繰り返します。

うーん、うまい表現が見つかりませんね……こう「武器を見つける」のがシェルターの発見だとしたら、補強は「武器レベルを上げること」みたいな感じです。それそのものの道具のレベルを上げるような。

見つけたシェルターを補強する感覚というのは「趣味に没頭する」や「その場に浸る」という表現が近いと思います。ああいう行動や趣味に関しては人それぞれであり、その恵まれた時間というのは基本他人とは共有できないものだと思います。こればかりは各自やってもらうしかないです。

C.シェルターに守られてみよう

鬱の時「自分で自分を非難する」その行為が大敵になります。

それらから意識をそらすのがシェルター作りとしての一番目的です。想像してみてください。台風がやってきたときに、ボロい家だといつ壊れるのか心配で心配な一方で、頑丈な家なら「そのうち晴れるだろ」と(台風は恐ろしいですが)ある種の安心感(まぁ楽観視し過ぎは良くないですけど)できますよね。あの気をそらせて凌ぐのがシェルターの守られる段階です。

寝てなんとかするのもありだし、ヘッドホンでお気に入りの音楽がんがん聞いてもいいし、一心不乱に絵を描いてもいいし、占いの本を読んでいてもいいんです。これは日頃からその行動をしていると安心だという感情を信頼しているからできることなんです。それは没頭であり逃避でもありますが。

ある程度強固なシェルターになるとその行動そのものが気分転換になったりします。「ああ台風だちょっと隠れとこ」ぐらいのノリで嵐をしのぐことができます。信じられないかもしれませんがそういう切り替えが上手い人もいて、そういう人は得てして「メンタルが強い」「ガス抜きが上手い」など言われていたりしますよね。

ただ誤解を与えたくないのは、そういった「強い人たち」も台風に不安になることがあるというところです。たとえいくら強いシェルターがあろうが、連日台風だったり、超強力な台風が来たら壊れてしまいます。これ読んでいるのも人間で、相手も人間だと言うことです。あいつは強そうだから水をかけてやろうという発想はよくないです。

好きなシェルターを制作する自由

いわばメンタル強者たちというのは得てして強固なシェルターを持っていたりします。そして強固なシェルターの作り方をみんなにおすすめする様子がちらほら見えます。本人からしてみれば悪気なく「みんなもこのシェルター作ってみろよ! 最高だぜ!」と善意で紹介してくれていて、ありがたいことに聞けば快く教えてくれる優しい人もいます。

この強固なシェルター、有名な例だと「筋トレ」がありますね。

なにかと話題の筋トレに関して僕が思うのは、とてもいい方法だな。ということです。筋トレは上に書いてある条件をすべて満たし、こなすと達成感があり、やろうと思えばどこでもでき、体力向上による気力行動力の上昇、というとても良いサイクルを生み出してくれる行動でしょう。そしてそのサイクルによってもたらされる良い変化とは「自信」という、どう考えても素晴らしいシェルターだと思います。いや本当に。

さて、賞賛する一方で「それをするかどうかの選択肢はこちらにある」ということを忘れないようにしましょう。

大事なことです。盲信して行動したものならとんでもないことになりますよね。彼らはそもそも土台が強いのかもしれません。土台が強固だからこそ、シェルターも強固に作れる。彼らも苦心してそのシェルターを作ったともいえますが、それはこちらがそのシェルター制作を選ぶ理由にはなりません。

彼らが言っている「これさえやれば鬱にならない」というのは、それが彼にとっての「シェルター」であって、万人に効くとは限らないんですよ。だから筋トレしたら鬱に効くかもしれないし、効かないかもしれません。ただ少なくとも(筋トレしている当の本人は)そのシェルターに大きな信頼を持っていることはわかります。それはすごいことですし、賞賛するべきことですし、大切な一例として沢山の人に認知されるべきだと思います。

ストイックに筋トレを続けろと言われても難しい話です。僕がいいたいのは落ち込みがちな人が(ひどい憧れを持ち)「あれやれば鬱にならない!(確信)」と思わないように、ってことです。

筋トレに限らず、ああいうことに憧れを持つのはいいことですが、始めからああいうむちゃくちゃ本格的なシェルターを作り補強するんじゃなくて、自分に合ったシェルターを作るなり補強するなりした方がいいです。そして余裕があるときに筋トレをしましょう。筋トレはいいものです。

シェルター作りは自由です。正直、上に書いた条件無視してもいいぐらいに自由です。あれは僕の目安であり、あなたの目安ではないのですかね。

おわりに

最後に一番大切なことを書いておきます。それは「シェルターが完全に安全なものだと思わない」ということです。

この世の中にはふと唐突におそろしい脅威などが目の間に襲い掛かってくることがあります。それはもう容赦なく、偶発的に、いくら無敵だと思ったシェルターも簡単にあっけなく流され吹き飛ばされ壊されることがごく普通に起こります。異常気象やら様々な要点があっても、結局は運が悪く生み出された出来事にすべて壊されてしまうことがあるんですよ。

もうこれは僕ですら想像できない脅威で、実際その脅威が目の前に来た時はだれがいくら対策していようが無事でいられるかはわかりません。いろいろ準備をしていたのになにもできないすらありえます。

そんないつ壊されるかわからないシェルターを作り補強することは人生において無駄な行動かもしれません。けれど、それでも僕はシェルターを作ることが大事だと強く言いたいです。

その過程にこそ「自立」がある気がしますから。


追伸:
写真はフリー素材ぱくたそ(www.pakutaso.com)より、
防水板設置中のフリー素材
https://www.pakutaso.com/20191055284post-23721.html

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