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【書評】自閉症スペクトラム 生き方ガイド 自己権利擁護と「障害表明」のすすめ|⑤

この記事は僕が寄稿し、メンヘラjpより公開された『【書評】自閉症スペクトラム 生き方ガイド ~自己権利擁護と「障害表明」のすすめ~(スティーブン・ショア)』という記事を改めて編集したものです。詳しくは『メンヘラ.jpに投稿した記事をアーカイブする』を参考にしてください。

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こんにちはくものです。今回この本を読んで「これはみんなと共有した方がよさそうだ」と思いこの記事を公開することにしました。

※この本はかなり密度があり、個人的に気になった箇所のかいつまんだ感想となっております。気になる方は実際に手に取り読んだ方が確実です。

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自閉症スペクトラム 生き方ガイド 自己権利擁護と「障害表明」のすすめ

この本の特徴

この本の一番の特徴はやはり「執筆者、編集者、表紙まですべて自閉症スペクトラムが制作した」というところにあります。

つまり、史上初の(と本に書いてあった)「自閉症スペクトラムの自閉症スペクトラムによる自閉症スペクトラムのための本」ということになり……って、もうこれだけで読んでみようかってなりませんか。

もう一つ特徴を挙げるなら「主にライフハックが書かれてあるところ」でしょう。もう僕らが自閉症スペクトラムなのは「当然」の話であり、「ならどうするか」というところを焦点に自己権利擁護と障害表明という2つのキーワードを軸に説明がされています。

別に批判してるわけではないですが、世間一般の自閉症スペクトラムの本は「自閉症スペクトラムの特徴」、あるいは症状を持つ子供の教育方法(それはとても重要な事です)ばかりが本の大部分を占めて「いやそれは知ってるから……、もう成人してる僕らはどうすればいいんだ……」みたいな宙ぶらりんな読後感があったりするんですよ……。いやそもそも読者層が違うって言われればそうなんですけど。

自己権利擁護とは

まずタイトルにもある自己権利擁護について。障害表明はなんとなく想像ができても、この本を読むまで知らなかった「自己権利擁護」こそ、自閉症スペクトラムならほぼ習得すべき大切なスキルのようでした。本の中でもこの単語が頻繁に登場します。

この自己権利擁護を一言で説明するなら「自らの欲求を相手に伝える能力」といったところでしょうか。

例えば自習室で扇風機の音がうるさくて勉強に集中できない時、ホワイトボードに反射する光が眩しすぎる時、同性のスキンシップが想像以上に嫌な時、そんなふとある苦手なこと(基本避けていると思いますけど)にぶつかった時どう「相手に伝えるべきか」というのが自己権利擁護となります。

その教えられるもの、それは専門的なものではなく、上で少し触れたように「自己流」ライフハックみたいなものになります。おもしろいことに登場する6人の自閉症スペクトラムさん達はどれも自己流で教えてくれています。

それぞれ独自の方法なので、実際に役立つ役立たないは読んでいる本人次第になるわけですけど、それでも「他の自閉症スペクトラムがどのように考え行動しているのか」を知ることができるのはとても興味深い話です。

次から各章の気になった箇所を書いていきます。

第1章 自己権利擁護と「障害表明」を通じてコミュニケーションを図る


◯誰にどこまで話すのか

自分が自閉症スペクトラムと自覚しても、周りに症状を言うタイミングは難しく、下手に言うと面倒なことになってしまうことがあります。

ここを書いている方はそれに気がついていて「誰にどのぐらい話すのか」という基準を自分で持ち、さらには度合い(どこまで明かすのか)を考えて発言しているようでした。その考えをほんの少し紹介するなら、


私は、自閉症のことを一部話すか全部話すかの状況を判断する際には、まず、それが利益をもたらすのか、あるいは損害をもたらすのかということを考える。私はよく物ごとを自分の性格や内省や自分がもっている身体上の要求などを使って説明する。(後略)

この章では、ここの書いている方が考え作ったワークシートが載っています。文章ではうまく書けないのですが説明するなら「自分の危険度(どれ位自分の生活を脅かしてくるかのレベル)」やら「話した場合の結果」「話さなかった場合の結果」「保留という選択」「助けを求める」など色々項目があって、空欄に状態を詳細に記入します。すべて記入したら、完成した表を客観的みて「こうしよう」という決断をする。ということができるワークシートです。

これは個人的な話になりますが、この条件たちを詳細に書くためには、まぁまぁの内省が必要になると思います。自分が普段なにを求めているのか、なにをされたら嫌なのか、そういったものを日常的に問いかけ明確にしなければこんなものは書けませんから。ちなみに内省の方法につきましては作中いろいろ提示されています(瞑想など……本を開いて読んでください)。

ここ話題で個人的に興味深かったのは「話さないという選択」があるというところでした。

僕の場合を思い返すと、自閉症スペクトラムだと気がついたのは結構あとのことで、結果的に「話さなかった側」となるわけなのですが、改めて考えてみると「自分は自閉症スペクトラムだ」と明かすことが一つの「話題」になるわけですよね。

この章を書かれている方曰く「それで関係が良くなることもあれば悪くなることもある(意訳)」とあるように、発言したことによってどう変化するのか保証できないとはいえ、対人による自らのプライベートな話題であることは変わりありません。この「話題」を効果的に使っていきたいものですね。

第2章 援助と自助:自己権利擁護についての教え方と学び方


◯自己権利擁護を学ぶ過程

この章に書かれる自己権利擁護を会得するまでの過程こそ自閉症スペクトラム当事者はもちろん、自閉症スペクトラムに近い場所にいる援助者も必見の文章でした。

当事者が不満なことがあっても、なにも言えないわからないところから、やがては自分で「これはこうしてほしい」と言えるだけのコミュニケーション能力、すなわち自己権利擁護を手に入れる過程が書かれてあるのですから。

どうせですし、ここにその手順を手短に書いていきます(もちろん実際に読んで理解していただけたほうが確実です)。

第1段階:計画と手本

手取り足取り自己権利擁護をしてゆく段階です。常に自閉症者の近くに援助者がいて、援助者は自閉症者をリードしながら「なぜ不快なのか」「どうしたいのか」「ならどうするべきなのか」「自己権利擁護したが拒否された場合は(ダメな場合は)どうするのか」などいろいろ共に考えます。

注目すべきは、自閉症者が発言してから事を進めているところです。たしかに支援者が大体のリード(提案するにおいて気を利かせ先回りして説明したりするの)をしていても、決定権(話を進めている感)は自閉症者が持っているように事を進めるのがコツだというのです。

そして自己権利擁護する(お願いをしている)時は、基本的に援助者が問題点や要望などあらかた話してあげて、おそらく相手から来るだろう質問「ほんとうにキミ(自閉症者)はそう思ってるの?」などは自閉症者本人が答えさせるようにします。ただその質問すらパニックになることがあるので、パニックにならないよう前もって質問を答える練習をしておきます。

ここで建設的なクレーム(自己権利擁護)の手本を抑えます。

第2段階:仲介と自信の構築

この段階も主に上と変わりませんが、違うのは「自己権利擁護するのは自閉症者自身である」という部分です。自閉症者がなにをどうしたいのか、それを相手に向かって自分の口で言うのです。

そのため援助者は、自閉症者が穏便に自己権利擁護ができるよう練習に付き合います。何度も何度も練習して、援助者は相手が言いそうな質問を自閉症者にぶつけたりして、自閉症者が実際にできるようになるまで丹念に練習をします。

そして自己権利擁護するときですが、援助者は自閉症者の近くにて見守ります。自己権利擁護がうまくいくこともあれば、当然うまくいかないこともあります。もしうまくいかなそうな場合は、パニックになる前に支援者は自閉症者を安心させ、代わりにあとを言ってあげます。

成功したら成功でいいですし、失敗な失敗として終わったあと自閉症者の気持ちの整理をさせるのも支援者の大切な仕事です。

第3段階:パートナーを組むこと手紙を書くこと

自閉症者が準備のリードします。ただまだ自閉症者だけのリードは不安なので、自己権利擁護する準備としての「確認」と「保険」がこの段階の重要な点になります。

この段階で登場する方法「書いた手紙を仲間などに見せて校正してもらう」が「確認」にあたり、自閉症者が実際に自己権利擁護をするとき言葉に詰まったりした場合を考えて「助けて」のサインを考えておくなどが「保険」にあたります。

もちろん自己権利擁護をする練習は自閉症者支援者共に積極的にします。

第4段階:精神的な支え

ここまでくると、ほとんど自閉症者一人で準備をすることになります。

第4段階で重要なのは「精神的な支え」で、それはつまり支援者は基本的に寄り添って見守るだけという意味でもあります。ここまでくると自己権利擁護最中、支援者は自閉症者の近くにいなくてよく、部屋の外にいても、車で待っていてもいいです。

ただ準備や練習にはしっかり付き合います。けれども初期のように支援者がリードしながらではなく、自閉症者が「手伝って」と言われたら手伝って、でもこちらから声をかけないぐらいの距離で安心させる手助けになります。

第5段階:リードを取る

基本、前の段階と変わりませんが、ここまでくると精神的な支えも自分が持ち、援助者も自閉症者のことをあまり気にしません。この段階では自閉症者が「手伝って」と言わない限り、自閉症者一人で準備、実行、評価の全て行うことになります。

この第5段階は、次の第6段階目に到達した人も難しい問題に直面した場合は第5段階に戻る程度の、いわばもうほぼゴールに近い状態といえます。

第6段階:自立した自己権利擁護

一人で準備、実行、評価(反省)全部行う発達した段階です。おめでとうございます。

ちなみ「援助者」としきりに他者を書いてきたももの、ここまで一人でトライアンドエラーを繰り返し第6段階まで成長した自閉症スペクトラムもいらっしゃると書いてあるので、別に一人ではできないという訳ではないと思います。ただ援助者がいたほうが自閉症者も気が楽かなとも思います(個人的考え)。

◯段階すべてに共通している事柄

段階全てに共通している事柄は3つありました。

1:冷静なコミュニケーション
自閉症者が自己権利擁護するときはたいてい苦痛の、あるいはパニックになる直前だったりします。けれどもその時だからこそ「冷静なコミニケーション」を努めなければ成功するものも成功しません。落ち着いて自己権利擁護をしましょう。逆に言えば、適切な態度をすれば成功確率は上がるということを示しています。なんとか誠実にいきたいものですね。

2:成功する事もあれば失敗することもある
自己権利擁護は成功する事もあれば失敗することもあるので、「妥協点を用意しておく」というのも重要でした。たとえば映画館に行って「音がうるさいから」という理由で音を小さくなんてしてくれませんよね(他の人がいるわけですから)。でも頼んでみれば席ぐらいは決めることができるかもしれません。相手のことを考えて歩み寄ったとしても、それが「完璧に要望通り通らない」こともあります。きっぱりと断られる場合もあります。こういった展開も頭に入れておけ、とのことでした。

3:反省大事
自己権利擁護が終わった後は反省や今後の対策をしましょう。「あの伝え方が悪かったんだ」とか「感情的になりすぎた」とか「準備不足で頭真っ白になっちゃった」とかそういうことを考えようという話です。段階の初めあたりでは自閉症者が発達できていないため反省は援助者とともに行いますが、発達したら一人で行うことになるでしょう。

この章の「態度の重要性」にて印象深かった文章があったので引用します。


自己権利擁護の才能は、自分自身と次の世代に与えることのできる最も大切な才能である。私たちのニーズをかなえるのを助ける人が周りに一人もいなくなる時がいつか来るだろう。私たちは自分のニーズについて一番知っている専門家であるが、それ故に、自分のことは自分で説明できなければならないし、それに関してどう動くか、その方法を明らかにできなければならない。

僕らが生きにくいのはしかないとして、「なぜ生きにくいか」などきっちりと表現しないと、相手もなにしていいのかわからないですよね。自閉症スペクトラムはそこが苦手なのだと言われたら「そうですね」としか言えませんけど、こちらから健常者へ欲求を伝える以上、この努力を怠ってはならないと僕も思いました。

第3章 自己権利擁護と「障害表明」のためにIEP(個別教育プログラム)をどう使うか

ここではIEPが話の中心になります。

IEPとは個人教育プログラムのことで、本人、親、先生、心療内科の先生、教育委員会の人、などそういった人たちを集めて行う合同進路相談みたいなものです。そこで当事者の将来についての話し合いが行われ、本人の性格やこれからのことなどを踏まえた大学受験、就職、生き方など、人生の方針など決めるらしいです。

ここではこのIEPを利用して「自己権利擁護」と「障害表明」をやる練習をしよう、という章です。将来のことを考えると、自分がどんな人間なのかという問いかけが始まり、「自分はこういう人間だ、だからこれは向いてなくて、これは向いている」など発言しなくては(むしろ発言しないと合同進路相談は進みません)なりませんよね。それはまんま自己権利擁護であり、そういう意味でIEPを利用してやっていこうというわけです。

ちなみにですが、IEPする側の情報もちらほらありました。なのでこの章は教育関係者が読んでも参考になるかと思います。

◯自閉症スペクトラムでうまくやっている人の特徴

IEPとは離れてしまうのですが、興味深いことが書かれてありました。


うまくやっている人のほとんどは、自分の得手や不得手をわかっている人たちである。そういう人たちは強い内的統制力(自分の運命は自分で決めれるという感覚)をもち、自分の人生における重大な決定をするときは、自分自身が決定に大きく関わらなくてはならないと考え、その結果、自己効力(自分がやりたいと思っていることの実現可能性に関する知識や考え)を増してゆくのである。バンデューラ(Bandura,1986)によると、高い自己効力感をもっている人びとは、認知的、社会的、行動的なスキルを、自分たちの環境にうまく対応するために生かすことができるという。これとは対照的に統制を外部に求めようとする人たちがおり、そういう人たちは、自分たちの運命が前もって仕組まれていて、他人の気まぐれで左右されると思いこんでいる。

僕が言えるのは、「たしかにそうだ」ということです。

個人的な話ですが、流されて生活していた僕はいろいろ考えて引きこもりを「選択」しました。そしてこの引きこもりしてきた数年間は、学校に通っていた数年間より遥かに密度が高く、遥かに成長ができたと僕は思っています。思いますと書いているように、これは僕の実感での成長ですから、客観的に見れば堕落しているだけという考えももちろんあります。

一方で「他人の意見を取り入れるパターンもやってみようかな」と、引きこもり後の数年間、方針を変えて過ごしました。いろんな人の意見をくみ取った結果として、それなりに楽しいことはあったものの、この上に書いてある「他人の気まぐれに左右されると思いこんでいる」とまではいかないですが、かなりつらい状況に陥ることになりました。

このざっくりとした振り返りが読んでる方の参考になるとは思いませんが、個人的にそういう意見になります。それから現在はいいバランスを探って毎日過ごしています。毎日そんな感じですよ。

第4章 自分自身のケースマネージャーになる

「自分を操るのは自分だ」という考えをする章です。

自分自身を知り、自分自身が専門家であるなら、専門家である自分自身は、自分自身を扱うのもきっと上手いはずだ。……と文章にするとごちゃごちゃしてくるのですが、要は「自分が信頼できる自分を持とう」という話です。

これは個人的に日常から思っていたことでした。僕の場合は「ケースマネージャー」ではなく「ロボット」でした。機体と操縦者の関係、つまり僕の特性は個性ある機体であり、機体の中に操縦者が操縦しているみたいな。

機体も機械なので日々のメンテナンス大切だったり、機体を(つまり自分を)知ることが「どこで、どう戦うべきか」を指し示してくれたり、でも結局それを生かす操縦者の腕次第になってきたり、たまにやらかして機体が暴走し操作不能になったり、たまにむっちゃ操縦上手い人を見て驚いたり。

機体こそ操縦されるだけなのだから、意思はないとはいったとしても、その機体を円滑に動かせるかどうかは操縦者の「意思」によるものとなります。人馬一体という表現であってるかわかりませんが、機体と操縦者の意思疎通が上手くいているなら当然その人は「自分を知っている」というわけです。

ずいぶん話が逸れました。この章では次の話題が印象に残りました。

◯律儀さゆえの失敗

自閉症スペクトラムは生真面目なほど正直なところがあります。それは時として善意だろうが事態を悪化させることがあります。

(前略)しかし、このような良い面がある一方で、十分に注意を払わなければならないことが一つある。あなたの独特の律儀さは、たまに最良の手段とはならない。言い換えると、交渉の中でのある一定の時間や所定の段階においては、少なくなくとも最良の手段にはならないということである。後になって取り消せないことを、あなたはうっかり口に出してしまうかもしれない。あなたは「正しい」かもしれないが、「言ってしまうこと」は間違っているのである。(後略)

うっかり言っちゃいけないことを言ってしまった、なんて経験があると思います。僕もあります。

しかしこればかりは本当に一語一句気をつけてないと失言してしまうような人種であるために、(僕個人としての)対策は「基本良くないことは発言しない」ぐらいのマイルール程度だったりします。それでもうっかり言っちゃうこともありますし、もうどうしようもないんですよね。正解は沈黙なのかもしれません。

第5章 地域や支持者の相互関係を築く

ここでは自閉症スペクトラムが生きる社会の理想が書かれてあります。今まで「自分を省みて他人に要求する」という個人の話をしてきましたが、ここでは自閉症スペクトラム全体が生きやすい社会にするためにはどうするかの活動内容が書かれてありました。

◯理想の社会


自閉症の自己権利擁護者として私たちがもっている基本方針の多くは、障害の病理的なモデルと社会的なモデルの間にある対比と同じようなことを中心にしてつくられる。そしてそれは、自閉症をもっぱら病理的なモデルを考えて立てられた目標から、障害の社会的なモデルを自閉症にも当てはめて立てられた目標に向けて、社会の注目、俗っぽい知識、情報源、そして財源を、移行していく必要があることを強く示している。つまり、治療や予防という目標から、自閉症の人びとの感覚的、社会的なニーズに対して便宜(配慮)を図るという目標、そして自閉症の感覚的、社会的嗜好や芸術的な繊細さ、そして認知の仕方は多様な社会の中では十分に妥当性があり、意味のあるものとして一層受容されるべきだという目標への移行である。

この章では聴覚障害者とGLBT関係の奮闘を例に出し、それが「自閉症スペクトラムが生きやすくなる社会」にする活動としてよい参考になる、と話が続いているんです。

聴覚障害者の例にすると、昔こそ聴覚障害者とは生活する上で色々不自由をしていたそうですが、彼らは手話や補聴器という画期的な文化を作ったことによって、(加えてそれが結果的にみんなに「聴覚障害者」というものが知れ渡ったことによって)それなりに生活ができるような社会になりました。たとえば聴覚障害者だと相手に伝えれば配慮してもらえるぐらいにはなっています。

GLBTに関しても、少し前まで(あるいはどこかで)それは病気だ! とか言われてたそうですけど、今になれば「そういう人もいるんだ」と言える社会になりつつあります。

聴覚障害者とGLBT、どちらにせよ社会を生きるにおいて(一つの障害になるとは思いますが)それが社会から排他される理由にはなりません。聴覚障害者は補聴器や手話を覚えて社会に出ている人もいますし、GLBTだって熱心に活動したことによって「正しく知れ渡った」んです。「正しく知れ渡せる」事によって結果的にその傾向を持つ人間たちが生きやすい社会になるよ、というのがこの章をまとめです。

◯団結する人と多種多様な人びと

上に出した聴覚障害者とGLBTですが、社会を変えた理由に(当然ながら)「団結したから」という理由にあるそうで、この章を書いた方が言うに団結できた理由は「団結する理由が明確だったから」だそうです。

聴覚障害者は「手話という共通言語」だったり、GLBTは「同性が好きという共通意識」などがあり、それが彼らたちを共鳴させ、強い結束を生んでいたということです。確かに! でした。

一方の自閉症スペクトラムはというと結構多種多様な生き物でして、それぞれがそれぞれの特性や苦手なものを持っています。そもそも自閉症スペクトラムは群れる人もそう多くないでしょうし、それが「活動をする」においてはネックになっているのだそうです。そもそも「共感が乏しい」とかありそう(遠い目)。

ただ章を書いている方によると、ぱっと見は自閉症スペクトラムを持つ人達はバラバラながら「共通の土台がある」とのことです。なんだかんだ言っても、自閉症スペクトラムは自閉症スペクトラム同士なにか似ている部分があるとかないとか(自閉症スペクトラムの集まりに行ったことがないからわからない。でも個人的にある気がする)、だから別に結束できないわけではいのではというのです。

これは個人的な考えですが、特に日本人の自閉症スペクトラムはそういった団結するというのは難しい話なのではないのかなと考えています。そもそも彼らは賢いので日本という不自由な社会に不自由ながら溶け込んでしまうんですよね。だからたぶん運動する前に話が終わってしまうんです。「(現に生活できてるし)べつにそこまでしなくてもいいんじゃないかな」みたいな。強い人は団結することなく独立しているはずです。

ところで、この章では聴覚障害者とGLBTの活動家が行っている基本方針(巨大な組織になった場合の運営術)、「理想的な支援者の姿の話」や「理想的な当事者の話」など決まりが書かれてあります。こちらも自戒として学んでみようと書かれてあるのですが、引用していたら果てしなく長くなるので割愛します。

第6章 「障害表明」と自己権利擁護 そとの世界へ扉を開く

この章で登場する自閉症者は(個人的に思うぶんで)唯一、積極奇異型の自閉症スペクトラムだと思います。

僕はどちらかと言えば孤立型だと思っています。なので同じ自閉症スペクトラムでも(積極奇異型と孤立型では)全く違うと偏見を持っていたのですが、わりと思考が似ていると知れたのが興味深かったです。

ここを書いている方は自己顕示欲みたいなものがすごくあって、行動力もすごくある人でした。

たとえば自分が自閉症スペクトラムだと教えるために知人を呼んでパーティーを開いて、そこで自閉症スペクトラムについておもしろく説明してみせたり、初対面の相手に「私は自閉症スペクトラムでして……」と言ったのち自閉症スペクトラムはどんなもなのかを詳細に教えてあげたりなどしています。僕からすれば「すげぇ」と思う行動力です。

◯自分が思う自分と周りから見た自分

この章でおもしろかったのは「自分が思う自分の姿」と「周りから見た自分の姿」の「認知の歪み」に気がつく方法です。そういえば以前の記事で「(想像力の欠如によって)自己すら歪んでいるかもしれない」など触れましたが、それを確かめるひとつの方法がここに紹介されてました。

アスペルガー症候群によってとても丁寧に形作られた私の性格は他の人からは違って見れるのだと確信している。なぜならば、ユニークで珍しい物への粘り強い理解や興味に対して、私ほど力を注いでいない多くの人たちと私とは正反対の場所にいるからだ。つまり、私の性格のおける欠点を、一部の人たちは賞賛に値するものとして見てくれるということだ。

作中では様々な方法、「たくさんの文献を読む」「自問自答してみる」などが提示される中で最も注目したのはこれです。

友人、家族、同僚に、あなたの性格に関する印象を聞いてみよう。あなたの長所と短所についての彼らの正直な評価が聞きたいと、彼らに念を押そう。

なんと普通に他人に聞いているんですね。

言ってることはわかりますが、考えたことなかった方法でした。「自分のことがわからないなら、他人に聞いてみればいいじゃない」という発想はほんと目からウロコでした。今まで散々「まずは内省からですね キリッ」みたいなことを書いてきましたけど、それだけじゃないようです。内省が苦手なら他人に聞いてみるのも一つの手のようです。

これに限らず「積極奇異型の自閉症スペクトラムはこうして問題を解決している」という解決策がたくさん登場します。アプローチの仕方が似ているようで違って、違っているようで似ている姿になんだか不思議な気持ちがありました。

でも向こうからしてみればこちらもそう見えているのだろうか、とか思ったりしました。どうなんでしょう。

おわりに

信じられないほど時間がかかりました。

そもそもこの本、引用にあるようなああいうきちっとした文章がぎっしりあるんです。いやいいんですけど、読む方はとても疲れました。正直に言うと、何度か心折れたりして読むだけで3〜4週間ぐらいかかっています。

書くのも大変でした。これ書くまでに「どこを書けばいいんだ……」ってなぐらい本に密度があったわけですから、どうも頭がまとまらなくてうわうわ言ってました。読めるレベルになってよかったです。

さて、ここまで根気強く読んで下さった方も、おわりにを読むあたり一種の達成感を持っているかもしれません。が、すこしでもこの本に興味を持ったなら実際に手にとって読んでほしいのが僕の思うところです。

理由はここに書いた以上に本にはいろいろ書いてある事ほかならず、ここよりも正確で確実な内容が書かれてあるからです。なによりここに書かれてある内容はあくまで「僕が気になったとこ」ですからね。そちらの気になったとこではないです。僕が見落としているところに響く文章があるでしょう。

とはいっても、ここまでよく読んでくださいました。お疲れ様です。

そしてありがとうございました。


追伸:
画像はこの本の表紙です。

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