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エヴァンゲリオンの感想【ネタバレ】

日曜日にエヴァンゲリオンの映画を見に行った。その時の感想を書こうと思う。


はじめに


はじめに、僕はエヴァンゲリオンを履修しなかった方の人間になる。なにかと僕の周りもこのアニメを推す人がたくさんおり、あるいはオタクならはじめに手に取るだろう作品であるかのように耳にしてきた。僕も触れたいアニメの一つであったものの「難しそう」もとい、「完結していないから」という理由で手に付けなった。これはアニメ版はもちろん、新劇場版も見ていないということだった。

ごく最近、新劇場版が好評だと聞いた。どうやら完結したらしいということをなんとなくSNSで知った。「エヴァが完結した」という異常っぷりにピンとこないけど、なんとなくすごいことになっているとあの時に感じたし、完結したというのなら俄然興味が湧いた。僕はよくわからない話が苦手で完結した話が好きなのだ。


前夜


金曜日の夜、早速序を見た。最近はウォッチパーティという便利なものがあり、ネット上の知り合いと一緒に見ることができた。ネット上の知り合いはきちんとすでに映画を見ていてうずうずしており、僕は「絶対ネタバレするなよ!」と言って一緒に見た。知り合いたちは節度を守りながらシーンの解説をしてくれた。僕は序すら見てなかったのでシンジがエヴァと出会ってすぐ合体したことや、レイの孤独っぷりや、アスカは出てこないことに驚いた。おもしろかった。

予定通り次の日、土曜の昼過ぎに破を見る。これも同じメンバーで一緒に見た。今度はアスカが登場して、マリという謎の人物も、あるいは顔がよすぎると僕の中で有名なカオルくんも登場した。主に活躍するのはシンジレイアスカの三人でともに親交を深めながら使徒との戦闘を行なっていく様はとても楽しく見れた。内容はみんな知っての通りと思うけど、レイが気の利かせた食事会が中止となり、アスカを失い、シンジが自分を信じてサードインパクトを起こすことで物語が終わる。僕はちゃんとスタッフロールの最後まで見るタイプなのでカオルくんの活躍を見ることができた。そして次回予告も。

この破を見た後にみんなと話してみると、Qのよくわからなさ、破の後の公開が3年あったことなど話してくれた。確かに僕のエヴァを知るリア友たちもQのことを話すときは「見るのは破まででいいぞ」と言っていたことを思い出す。そんなに問題作なのかと、本来明日に見ようとしていた僕は少し考えてこの夜にQを見ることにした。理由は万が一、日曜に見に行く場合、一度睡眠を入れたかったから。

Qは破の14年後の話だった。序破よろしくシンジくんになにも説明しないまま、なんかすごい船で使徒をボコボコにしていた。僕はアスカが生きていたことに一安心し、色々出る新キャラを把握しながら、マリの確かな戦闘力に驚いて、エヴァにだけは乗らんといてくださいが観れて満足していた。内容は闇堕ちしたシンジくんがカオルくんと墓穴を掘ってまたインパクトを起こすもの。よくわからなかった……と言いたいところだけど、わりと楽しく見ることができた。映画としてはおもしろく、エヴァとしてはわからないといったところだろうか。

この後少し知り合いと話した。僕は「これで、ここから9年も待つの…まじで?」と困惑気味に、知り合いは「これ何回も観て考察してたんだ。次回予告も何度も何度も見た」と言う。そして僕は「これ明日見ようと思えば見れるというの、本当に贅沢な話だよな」と言い、知り合いは「ほんとだよ! 俺らはどれだけ待ったことか…!」と続ける。事実よくわからないの詰め合わせに理解が追い付かないだろうに、いつかわからない次の完結を待つというのは本当すごい。そしてどう完結したのか非常に気になった。この展開でどう纏まっていくのか、シンエヴァを見た人たちの表情はなんなのか。ここで来週に見に行こうと思っていた予定が明日に決まった。


当日


できる限り最速で見にいくことにした。夜遅く寝てしまったので見れそうなのが14時半からという堕落ぷりに苦笑いしながらチケットを予約する。人混みがめちゃくちゃなことになっていないか心配だったけど、エヴァは連続して上映されているためか人がめちゃくちゃいる雰囲気ではなかったのがよかった。僕は調子に乗り、映画の前に図書館に寄ってしまっていてギリギリで映画館に到着。ちょうど入場するぐらいの時間だった。実際これぐらいでちょうどよかった。なにせ満足げな顔をしたオタクがエントランスでエヴァの内容らしき話をしていたからだ(映画館内でのネタバレはやめましょう)

席に座り映画を見る。モンハンや奥様は取扱注意などのCMが流れる。誰も喋らない劇場の中で、この3時間後にはエヴァが完結していることを1人想像していた。オタクたちが夢中になりある意味で囚われていた全てがここにあり、ここにいる人たちもそういった人たちなのだろうか、仮に答えは見つからなくても一つのコンテンツが終わりを迎えるのだろう、と考えれると神妙な気持ちになる。

エヴァは以前の振り返りから始まっていた。序破Qと続いている映像に僕は「あのシーンの初見昨日なんっすよ」と心の中でつぶやいていたが、人によっては十数年前の話になんだろうなとか思っていた。これから始まる盛り上がりがじわじわ増していく、振り返りもQ中盤になるとこれからどうなるんだろうという気持ちでスクリーンを眺めていた。僕は先行公開された冒頭10分も見てなかったからね。


上映


始まりはパリの旧ネルフから、真っ赤に染まったインパクトをなんかよくわからない楔を打ち込んで解放させる場面からだった。細かい設定があるのだろうけど、僕は考察班ではないので単純にバトルがとてもかっこいいなという印象を受けた。鮮やかに殲滅してゆき、さらには主砲を船で守るシーン、そして第二波をなんとか阻止するシーン。どれもかっこよかった。特にマリが乗ってたエヴァの運転が車の運転っぽい動きをしていて面白かった。ああいうエヴァ操縦もあるのね。

個人的にこのシーンのよかったところはマヤを筆頭とする技術者部がなんとか起動させようとしているところ。ここに限らずエヴァンゲリオンでは裏方の仕事がかっこよく描かれることが多く、例によって彼女らもかっこよく描かれてあった。そういえばみんなプラグスーツを着ていたっけ、始まりのリツコが着ていたのを見て、Qに続いて格好に面食らうのは恒例なのかと思ってしまう。

ここですでに対するはシンジパパことゲンドウと冬月ということがわかる。彼らはなにやら新世界を作るとかなんとかで浄化みたいなことをしているらしい。やっていることが銀河団(ポケモン)ぽいなと思いつつ、兵器としての使徒はちょっとばかり強引で強過ぎやしないか、流石にこちらの分が悪いのではと思ったりした。ここでも綱渡り的に起動を成功させている。

一方でシンジレイアスカは合流を目指していた。すぐさま合流はできているが、シンジのメンタルショックがでかいことがうかがえる。それを見守るアスカも心底うんざりしながらも彼をなんとか引っ張る。レイは後ろからついていく。ここから先もそうだけど、アスカがシンジを好きだから引っ張るのではくて、本当に嫌がっているけど仕方ないから(マジで嫌)という空気が伝わってきた。

合流してから東京村編が始まってゆく。具体的にあげたいところはたくさんあるけど、第一に「よかった…」という想いだった。Qの時に欲しかったもの、あるいはすべてで欲しかった描写がプロトレイとの別れまでずっと続いている。ネット上の知り合いの1人が「今までエヴァ見てくれた人へのご褒美」と言っていたがその通りで、シンジが回復する様や、レイが人と交流を深めているところ、アスカが心を許している相手がいること、など数多くの救いが見てとれる。すべて欲しかったものばかりだ。

シンジとレイが対極的に描かれているところもよかった。レイが心を開く過程は同じでも、助ける相手は主人公でありいつか助けられた相手であること、そしてキーとなるレコーダーを渡すシーンに至るまで、シンジは拒絶しレイは交流しを繰り返して描写されている(レイかわいかった)。同時期にアスカがちょくちょくメガネ(と僕は呼んでる)ケンスケと夫婦のような会話をしているのも匂わせを感じて良かった。作中全体的に親密な関係のようなものを意識して作られたのだと感じた。

親密な関係というと、ミサトとリョウジの子供が登場した。外見は元気があって知的にも見える魅力ある人物で(名前忘れた)、というかQで14年後という設定が生きていた。シンジが外見が変わらないものもあってもう1人のシンジのように見えた。彼は訳あって親を知らないまま1人で育っていくだろうが、シンジとならきっと一番の友達になるだろと思う。終盤の話になるけど、ミサトがシンジと息子のツーショットを持ってるシーンも(ミサト最後のシーンも)どこもエモすぎる。あのメガネは粋なことをする。

メガネといえば最終決戦の前にビデオカメラを撮るシーンでアスカを撮影していた。撮られたアスカは恥ずかしそうにしているが、その様が完全に彼女のそれで微笑ましかった。映画が自由に見れるようになったらあの反応当たりで繰り返し再生すると思う。そんなシーンはここだけではなく、レイのシーンは思いつくだけでもかなりある。映画見ながらレイかわいい。おぼえた。とかやってた。

シンジの回復の過程は「生々しい」の一言に尽きる。終盤にあるゲンドウの告白もそうだけど、ハグレオタクへの攻撃に余念がないように感じる。僕はコンテンツとしていいと思う程度だったけど、人によってはN2地雷ぐらいの火力はあるんじゃないか(受けても無傷な人もいるだろうという意味を含む)。とはいえシンジは周りの人の影響を受けて回復していった。回復する様も生々しかったけど、とにかく良かったと僕は思った。人が元気になると周りも元気になるって話ですよ。

そんな穏やかで満ちた時間はレイの爆発によって終わる。ここのシーンショッキングだった。レイの扱いは毎回こんな感じなのかなぁ、と思ったけど物語の終盤前あたりでアスカ食われててこいつもこいつだったと思ったりした。あのシーンもショッキングだったね…といっても僕は原作を忠実に繰り返しているようにして、かつそれを無理なく解決しているシナリオに感心の方が大きかったりする。

シンジは過去と同じような展開になりながら、このレイの死亡をはじまりに自分のやるべきことを自覚していく。要は主人公が覚醒したという。シンジくんの覚醒は頼りになり、それだけでゲームクリアと思えるほどにこちらに光を与えていた。ただそれは意思だけでアスカの麻酔弾によって眠らされることになる。作戦にシンジは不要な存在だったのだ。

本艦に戻ったメンバーは最終決戦に向ける。ここで周りの人が準備をしてる様子が映し出されていてて、あの腕に巻くスカーフの意味とそれぞれの想いとリョウジが死んだ時のことがテンポよく描写される。やはり裏方が出ている様子は個人的に心を熱くさせる。一瞬でわからなかったけどシゲルが髭を剃っていたシーン、あれは某CMのオマージュなんだろうか。

マリとアスカは準備を終えて寄り道をしていた。ここの白いフラグスーツも以前のシンジとカオルとのわかりやすい対比になっていて、そういうわかりやすくも細かい対比が僕が気がつかないだけで映画にたくさんあったんだろうな。2人はシンジの元に向かいアスカは質問を問いかけていた。答えはアスカにとっては及第点だったようだが、僕はあれが答えでもいいぐらいにシンジは色々考えた答えだと思っている。1人になっていろんな今までの行動の「答え」を見つけている様子は少しだけ大人びて、それをにおいで気がつくマリもマリだ思う。

戦艦vs戦艦の戦闘の派手っぷりかっこよさはここで文章にするより映像で見た方が絶対いい。遅れて出撃したマリとアスカペアのかっこよさもとにかくシビれた。そして勝ちそうな雰囲気を感じて警戒もしていた、そんな簡単な話があるのだろうかと。なにかとんでもないことが起きるのではないかと、そう思っている間にもアスカは13号? に楔を打ち込もうとする。手間取る。ビースト発動してそれが狙いだと気がつく。またしてもアスカはシンジに殺されるのかとかそんな思いだった。

この辺りから戦艦の致命的な損傷、ゲンドウの覚醒、計画の遂行、シンジの出撃、さまざまな展開になるがやはりシンジに銃を向けられていたシーンが印象深い。シンジは英雄でありながら戦犯でもあるから、隊員たちからもいろんな気持ちを向けられていたようだ。サクラ(エヴァにだけにはのらんといてくださいの人と呼んでる)とミドリ(毒トレーナーの人と呼んでる)2人から銃を突きつけられるあたりでは、どう収集するんだろうと思っていた。結果はミサトが全て責任を負うことにしてまとまって、このすべての過程が今までのいろんなことの精算のように感じた。

ここから抽象的な話になってゆく。抽象的すぎてまだよくわかっていなけど、急に平沢進のMVみたいなサブカル映像が流れつつシンジはゲンドウの元に向かう。そして戦闘。マイナス宇宙をいいことにいろんなメタ演出が施されていて、めちゃくちゃながらに僕は面白く見れたけど、ファンの人たちはどう感じているんだろうと思いつつ、怒涛の展開についていくのが必死だった。二機のエヴァが戦う様は今までの派手な戦闘とは違う特撮モノっぽい感じだったね。

精神世界に次ぐ精神世界でシンジはゲンドウの心の内に触れる。彼は彼の思うがまま動いていたということがわかるが、冬月にマリが言ったようにそれで世界を巻き込むのはどうかと僕も思った。でもたった1人のためにどうにかしようとする行動が究極になるとそういうものなのかもしれない。どうでもいいけどQのときシンジが異様にピアノが上手かった理由がわかってよかった。

ゲンドウが下車したと始まりにシンジは今までの登場キャラたちを救っていく。アスカやレイやカオルなど……思えばみんなエヴァの搭乗者だった。個人的にはアスカの過去編が気に入っていて、メガネに好意を持っていると演出してからの「あんたのことが好きだった(うろ覚え)」「僕もアスカのことが好きだった(うろ覚え)」とやりとりするシーンがたまらなくエモかった。

みんなを救ったシンジは本艦の結晶であり、ミサトから渡された槍(名前覚えてない)でエヴァとの決裂をしようとする。このミサトの起点とした無茶振りでリツコと隊員が槍を作って、ミサトが決死で槍を届けるシーンは言葉できないようなさまざまな想いを感じる。マリが言っていたように人の力のみで神の域に達したということは一種の人類賛美なのだろう、その一つの到達点がシンジへバトンとして渡される。ミサトはリョウジの後を追う結末になったが2人が導いた功績はとても大きいものになったのは間違いない。

そしてシンジは希望の槍を手に入れて、それを自ら貫こうとする。ここにシンジの母親ユイが登場し、彼を守った上で身代わりとなり最後の仕事をしていた。ここになると抽象的すぎてなんとなくわかった顔で見ていた。僕はエヴァのない世界にする儀式として生贄になろとしていたシンジをユイが代わりになったという理解をしている。そしてどうでもいいけど色々なエヴァが延々貫かれて行くシーンがパチンコ演出っぽくておもしろかった。

かくしてシンジはよくわからない空間に1人で佇む。マリが「迎えに行くからね」という言葉を信じて待っているシーンになり、ここでまたメタ表現で絵がどんどん簡素になっていく。やがてはネーム? 原画? みたいなものまでなってしまい、僕はこのままフェードアウトかなぁと思ってみればギリギリでマリが到着する。途端にカラーになってハッピーエンドが確実になった。思えば旧エヴァの面々をシンジが救っていき、最後はある意味部外者のマリがシンジを救うというシナリオになっている。

そしてエヴァのない世界。大人になったシンジがおっぱい星人ことマリと手を繋いで走ってエンドとなった。現実に繋がっているような終わり方で現実と虚像をテーマにしたシンゴジラを思い出したりした。個人的にこのシーンで気になったのはレイとカオルが立っているところで、僕は「あんな顔がいいのが駅で立ってて大丈夫? 警察こない?」と心配だった。


終幕


エンドロールが流れ、最後まで見ると終幕だっけ? 終わりと書かれた文字があった。そのとき終わったんだなと改めて思った。視聴後、僕は有り余る情報量に整理ができず、ふらふらと映画館を出て、来場者特典のアスカをもったままショッピングモールを歩き回って、少し遠いトイレに行った。そしてトイレ近くの椅子に腰掛けて友達に映画を見たことを伝えようとしたが、なんて言っていいのかわからないままスマホを閉じた。

帰りに美味しいものを食べて、あるいは何か買い物をしようと考えていたが、ぼんやりとして何も思い浮かばず、もうそのまま帰ることにした。時間は確か18時ぐらいかな。車のラジオも煩わしくて、窓を開けて車を走らせながら(ぼんやりとしながら運転をするのはやめましょう)、頭の中はずっと宇多田ヒカルの曲が流れていた。それから数日はずっとエヴァのことを考えていた。


終わりに


映画を忘れないよう、ざっくり感想を書こうと振り返っているうちに想像以上の分量になってしまった。まあでもいい感じにアウトプットできたので、次にエヴァを考えるのは映画館以外でこの映画を見るときだろうと思う。知り合い氏はアニメ版やまごころを君にを勧めてきているが、僕は今のところ見るつもりはない。理由は沼に叩き落とされそうだから、もう終わったから、終わったんだよ! とね。新劇場版という浅い沼に足をつかる程度で勘弁してほしい。そんな浅いところで申し訳ないが僕はマリ派とだけ書いておこう。

ところで映画内容とまったく関係のない余談だが、僕の席の前に5〜6歳ぐらいの子供と30歳ぐらいの父親が座っていた。おそらく父親が見たがっていた映画を子供がついてきた感じなのだろう、この子供が本当にすごく、映画中ずっと静かに座っていた。そりゃポップコーンを食べたり、ポップコーンの残りを劇場の階段の明かりで照らして覗いていたりと動いていたりしたけど、隣の父親に話しかけることもなく、トイレも1人で黙って行っていた。終盤明らかに暇そうにしてたのにじっとしてて本当にすごい。帰りにパフェでも奢られててほしい。

さて、初めに書いたように僕はこのシンエヴァが公開されるまでエヴァに触れてこなかった。興味をもって駆け抜けた、ほんの数日間にしては供給がでかすぎるコンテンツ、それでも最後の映画をリアルタイムで視聴できてとても幸福だったと思う。よかった。ありがとう。さようなら。

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