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2020.9.11fri 普段の茶担当

明日は熊野町のさしものかぐたかはしさんにて出張雲間。

お茶教室、募集したが参加者なし。
まあ、雲間のお茶教室でもそんなことは度々あったので慣れっこだ。
慣れっこだけど、
ぜんぜん平気だけどっ
やっぱさみしいじゃんかね・・・・

そんなときインスタとか見たらキラキラした茶人たちが素敵な茶席を繰り広げていて、そういうイベントは参加費高くても瞬殺で満席になって、後日素敵だったとかうっとりするようなコメントがたくさんついてて

いいな

しょんぼり

どうせ雲間はよう、お茶入れる道具も茶渋でしぶくなったやつばっかだしよう、素敵なお道具じゃないしよう、なんてったって本人が茶渋でしぶしぶになったみたいな人だしよう、人気あるわけないじゃんかね・・・
などとダーク雲間が湧いて出るのであった。

そんなこんなで落ち込んだりしながら茶箪笥の整理をごそごそはじめた。
そしたら大昔にいただいた差し入れの紙袋が出てきた。
中のお菓子は食べちゃったのになんで?
ぴらっとメッセージカードが。
その筆跡でどなたかわかった。

流しでお茶を淹れていたころ、茶席に参加してくださってすごく喜んでくださって、たびたび頂き物をしたあの方だ。転勤で遠くに行かれたのだった。

あの方はなにを喜んでおられたのだろう?

お茶が美味しいというそれだけじゃなくて、熱心に、あなたのやっていることにはすごく意味がある、とても大事なことだ、絶対に続けてくださいと語ってくださった。
へえそうですか?
ぜんぜんピンとこなかったし、なんとなく忘れてたけど
あの方は、温泉茶のなにが大事なことだと言われていたんだろう?

ともすれば、お茶の世界は敷居が高くて堅苦しいと思いがちだ
それをあなたはこんなに楽しく、こんなに簡単に、なのに美味しく
自分にもできると思わせてくれて、自分の生活が豊かになる

たしかそんなことを伝えようとしてくださっていたような

忘れていました。なんかカッコつけようとしちゃってました。
もっと温泉茶
もっと芯からあったまる
そういうお茶を淹れなきゃね。

そしてふと思った。
それは茶会とかお茶教室とか特別な時間でなくても、普段の雲間喫茶で日々やってることなんじゃないかと。

お茶なんて葉っぱに湯をかけてちょっと待ったらだいたいオッケーっす
って言ってる人のお茶教室にわざわざ来んわな・・・

しかし自宅で
あれ?お湯かけてちょっと待ったけどオッケーじゃない・・・と思ってる人を量産してたら罪だ。そこはちゃんと伝えていくべきだ。

おもしろい
なんかいい
楽しそう
そうやって日々の生活を自力でなんとか活性させていく手段としてのお茶を伝える担当として、他人をうらやんでる場合ではない。
持ち場がちがって仕事がちがうのだ。

と、言い聞かせて目の前の「やることリスト」に戻っていくのであった。


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