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おいしいの北極星

2018.8.4 8周年を迎えた84さんのご縁で夢が叶いました。
テテリア大西さんとお茶できた。

84さんでの紅茶の会では、目からキラキラ鱗が落ち続けた。

美しくおいしいという喜びにひたりながら、
なるほどこれはサイエンスだ、と思った。

ほうり投げた球と惑星の運動が、
まったく同じ法則に支配されていることの美しさに惹かれて
科学者になった方がいた。

大西さんが鮮やかに淹れるアイスティーの法則は「1:1」
「ゼロをふたつとる」とか、明快で誰もがメモをとらずとも覚えられて納得するそれは、科学の法則のようだと思った。
といっても「こうあるべきだ」という怖いものではまったくなく
「ほら、こうしたほうが素敵でしょう!」と
あくまでもやさしい。安心できる。好きになる。
お茶マニアではない、ふつうの人にも「やってみたい、これならできる」と力づけるやり方は、なんともひらけていてフラットだ。

雲間に場所を移しての夜テテリア茶会でうかがった
大西さんの「自分のおいしさの北極星」の話、
「ぼくは“おいしさの北極星”を見つけたいと思っているんです」
でもそれは
見つけた!と思った瞬間、
だったら真逆に南があるはずで、
ということは西も東もあるってことで
さらなる世界の広さに気づいて果てしないと。

おいしさの北極星
ずっとそこで輝く味
だれもがそれを目指し、基準として信頼する味
それを探してると。

数年前の大西さんの紅茶の本ではこうなってるけど
今はちょっとちがうやり方になっていたりする。
「それはそれでいいんだけど、もっと美味しくなるはずと思って」
新しい北極星を見ている。

紅茶を日常に
たくさん楽しんでもらいたい
そのために究極にやさしく、自分の探求をやめない。
いいなぁ、かっこいいなぁと思いました。

大西さん言うところの
「株式会社お茶の他部署、地方の温泉茶支部」であるわたしの茶は
ひるがえってどんなお茶なんだろうか。

「お茶なんて、葉っぱに湯を注いでちょっと待てばはいります」
なんて雲をつかむような話をするのは、親切でない。
ちゃんと教えてよって思われるよな。
でも本当のことなんだもん。

何グラムで何CCで何分、
その法則が当てはまらないなぁという実感だけ確かなんだ。
煎茶は湯の温度によってカラフルに味のトーンを変えていく。
そこに正解があるはずもなく、好きな味をチョイスすればいいだけだ。
台湾茶は熱湯1分で淹れてみて、そのお茶ごとにいい感じがちがう。
もうちょっと早めに注いだ方がよさそうだとか、もうちょっと待とうとか
それはもう、全部ちがう。一煎ごとでもちがう。

例えるならそれはサーフィンだ。
波はぜんぶちがう。
その波をうまく捕まえたらきれいにライドオンできる。気持ちいい。
サーフィンやったことないけど、きっとそういう感じだろう。
波乗り茶。のっていこうぜ。

きっと紅茶もそうなんだと思うけど
そのゆらぎが「難解さ」になって淹れなくなるくらいなら
ばっさりそこはわかりやすく許そう、
といのが「みんなのお茶」なんだろうな。
そうやって
あ、お茶おいしい、と気づいたら
だんだん自分の波を感じて身をまかせる自由を楽しんでいくのかな。

確たる法則を見いだせず、湯の中の葉っぱばっかりながめている私には、
自分の味の北極星がどれなのかさっぱりわからない。

田んぼのほとりの草むらに寝っころがって、全天をぼんやり見てると、
たまーに、目の端にすっと星が流れる。
あっ、と思う。
もっとはっきり見たいのに、虫の鳴き声ばかり。

私の茶は、そんな茶だなぁ。

またいつか、大西さんとお茶したい。
研鑽をつんで、
せめて北がどっちかくらいはわかるようになっておきたい。

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