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2020.5.31 「新生音楽」青春が暴走だ

5月が終わる日の夜は「新生音楽(シンライブ)」vol.3 の配信があった。
衝撃をもって見て聞いたvol.1は3/24(火)。閉塞し始めた世界の中に灯る明かりを見たようだった。前回は4/12(日)。ステイホームの真っ只中だった。そして今夜、全国の緊急事態宣言が解除され通常モードの6月を待つ夜。
一歩も出かけなかった日曜日。明日から登校する高2の息子は提出する課題を猛ダッシュで仕上げていた。

20時にはパソコンの前で正座して、と思っていたのに結局息子とカレーライスを食べながら見た。

「これ会わずしてセッションしてるんだって」
「へぇー いまどきだね」

カレーの皿を洗いながら聞く。
MCの緒川たまきさんの秀逸さに耳を奪われる。
訓練された発声、オンラインでも美しく響く声色、さすがだー。
それだけじゃなく、質問や反応力がすごい。
「中山さんがその風を送る時には、ご自身の吐息ですか?」

セッションを見て聞いて、そこにSFのような物語が立ち上がり語られた。緒川さん自身もまたクリエイターなんだなぁ。想像が止まらない。
自分の音楽や技が人の中に届き、そこに反応が起こりなにかが新たに生まれて、奏でた音楽家本人が感動していた。
「わかる」ことは作る人への最高の「褒め」だ。
誰かに届いて、何かしらの反応を産むことが人はやっぱり喜びなんだな。
人と人とが隔絶されたこの日々にあっても、どうやったって否めない人の欲望の根源なんだ。

音楽家がCDよりライブの方が嬉しいというのもわかる気がする。
目の前の人々が顔を紅潮させて体を揺すり手をたたき叫ぶんだもの。
しかしこの、緒川さんによって理解され、あたらしい物語が語られたこの一連の反応は、もしかしたら何百人という聴衆の歓声より、深く震えるような喜びなのかもしれない。

カレーの皿を片付け終わってカーテンを閉めにいき、窓際のダンボールをのぞくとイモちゃんがいない。イモちゃんがいない!


数日前、実家から摘んで帰った山椒の枝をいけていたら、下に胡椒のような黒い点々が現れた。葉っぱをよく見たら小さい虫がいた。すぐつまんで捨てようと思ったが、ふと、アゲハになるところが見たいと思った。

小さい虫はいっぱい食べてやがてでっかくて青くて立派なイモ虫になった。
息子はゲハちゃんと名付け、わたしはイモちゃんと呼んだ。
何度も実家に新鮮な山椒の枝を取りに行き与えた。もしゃもしゃ食べてぐんぐん大きくなった。

昼、ころころの粒状のフンが突然どっと水様便になった。
イモちゃんどうしたの!?病気なの!?
「アゲハ 幼虫 下痢」で息子がググるとなんでも載ってるんだね。
「もうすぐサナギになるらしいよ」へぇー・・・いよいよか・・・

などと思っていたらイモちゃんがダンボールの箱の中にいない。
山椒の枝からけっして動こうとしなかったのに、脱出していない。

あわてて探すと離れた床でイモイモしていた。
サナギになるための場所を探してるんだ。枝を入れてやったけど気に入らないのかまた脱出。こんな狭い世界におさまってられるかよ。

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イモイモイモイモイモイモイモイモ・・・・・

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高速イモイモが止まらない。目が離せない。すごい勢いで爆走するイモちゃん。どこまで行くの・・・

折しもLITEによるにリアルタイムリモートセッションが始まった。
別々の場所にいる音楽家たちが今、それぞれの場所で奏でて疾走する音楽をBGMに突っ走るイモちゃんをただ驚愕しながら息子と見ていた。まるで、大人になる前のやり場のないエネルギーの爆発を見ているようだった。

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爆走の末、電気コードの上でピタ と止まった。「そこ!?そこなの!?」

小枝に強制収容してダンボールに戻した。水切りネットを被せて出られないようにした。ごめんね、イモちゃん。

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新生音楽もいよいよ最後のセッション。知らない女子高生の写真と、朗読と、歌とギター。オーディエンスのタイムラインも静まり返ってうっとり耳を傾けていた。
17歳
怒りとかイライラとかそういうやり場のないものを制服の内側になんとか押し込めていた。「普通の」女子高生なんていない。

「思えば人類全体が思春期みたいな時間でしたもんね」
と高野さんが言った。
何者でもない自分に苛立って、どうすることもできず、先のこともわからず、人のせいにしてばかり。ただもてあます自分を家に閉じ込めて静かに暮らすしかなかった今年の春。

そんな時間も過ぎてゆく。
青春はいつか終わる。
閉じこもっていた人々も、はっと我に返ったようにまた明日から日常をはじめるのだろうか。

イモちゃんはダンボールの中をしばらくイモイモしていたが、しばらくして山椒の枝に止まって動かなくなった。
誰も教えていないのに、すごい命のプログラミングだ。

人間に仕組まれた本能の一つは、人と交感して、他者と共に生きるということだ。
距離、という物理的なことはテクノロジーがこうして解決してくれることを新生音楽が見せてくれた。

一人で窒息しそうだった5月。ぶり返した思春期みたいだった。
さあ、6月は少しずつ、交感していきたいと思う。
そのタイミングで見せてくれた新生音楽のみなさん、ありがとうございました。

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翌朝のイモちゃん。動かなくなった。まだイモ虫が縮こまった形してる。
さらに翌朝にはツンとツノの生えたかっこいいサナギになっていた。
動かない。しーんとしてる。さみしい。
うちのステイホーム大好き息子もいつか爆走して出て行くのであろうか。
イモちゃんでこれだけ愛しいのに、そうなったらどうなるのだろうか。


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