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2020.8.15.甘くないスイカと映えるフルーツ

先日周年記念を迎えられたお店にお祝いを、と思った。
丸っと10周年。スイカ丸々ひと玉とかウケるかな、と近くの果物屋さんへ。
一抱えもある立派なスイカがあった。

これをお祝いに、と店主にお願いすると、静かに首を横に振った。

「甘みが乗っていないのでおすすめできないです」

そこは梅雨の豪雨災害で畑が水没したのだそうだ。
なんとか救い出し難を逃れたものの、日照不足で甘さが足らないんだと。

今年は長梅雨でどこの農家さんも大変です、と。
「例年梅雨明け10日でやっと桃本番なんですが、今年はまだなんです。
たくさん送り伝票が待っていて、やっとお届けできるかな、というところ」

暦の上では秋なのに。長雨に泣かされた方が日本全国にいらっしゃるんだな。そして実りや自然はコントロールできないんだと改めて気づく。

結局今一番いいのはピオーネ、とおすすめいただき丸々と弾けそうで宝石みたいな葡萄を包んでもらった。

フルーツいいな、
喫茶をお休みしてテイクアウトと販売だけにしてる雲間でもなにか作ろうかな。あまくさ晩柑の香りと煎茶をあわせて炭酸で割ったやつとか、夏に爽やかで人気なのだ。なんか桃とか。蜜香烏龍の甘さで飲んだらうまいかな・・・
果物屋さんの甘い香りをかいでいたら、うきうきそんな事を考えた。
試しにつくってみようと桃を買って帰った。

そしたら、近所にフルーツティーのお店ができた。

お客さんが「行ってきたよ!」と写真を送ってくれた。
かっこいいお店の入り口を背景に色とりどりのフルーツが入ったフルーツティーは、とってもキラキラして綺麗だった。

なんだ、うちでやる必要ないじゃんね。
そうでした、うちはお茶屋でした。お茶を飲んでいただかないとね。
買った桃は家で食べた。

それからしばらくして、なぜか雲間のインスタを新たにフォローしてくれる方が増えた。? なぜ?
その方のページには、あのキラキラしたフルーツティーの写真があった。フルーツティー買いに来て、うちの店を見かけて何屋なのか気になって調べてくれたのであろうか。ぜひ次回はお立ち寄りください・・・

そういうのが何件かあって、どれも、見事に同じキラキラしたフルーツティーの写真があった。誰かの投稿を見て、いいなって探して行って、同じような写真を撮ってアップする。昆虫採集みたいな感じ?オオクワガタ的な?

レモン、キウイ、いちご、メロン、パイン、オレンジ・・・
どれも農産物で、その産地も規模も地域も様々なんだろう。
それぞれに、日照りや長雨や病害虫や、そこから守り抜いて出荷した宝石なんだろう。だからキラキラしてるフルーツティー。誰がどう撮っても同じフルーツティー。

あのスイカを思い出した。
首を横にふった果物屋の店主の顔を思い出した。
「雨の後、畑が海になって、日が照ると湯になって、腐った匂いがする」と教えてくれたどじょうやさんを思い出した。
わたしは知らなかった。
クーラーのきいた部屋でネットニュース見てコロナの感染者数は知ってるのに、畑のことはなにも知らないのだ。
つまんねーやつだな。

お茶に桃入れてる場合じゃねぇだろ。

夏が暗くなった。

一旦店を閉める。夏休みです。頭冷やす。

東京の鈴茶堂さんから荷物が届いた。

中国・広東省で作られている鳳凰単叢というお茶がある。
春4月から5月に摘んだお茶を発酵させ、炭火の遠赤外線で長い時間かけて仕上げる。出来立ては出荷せず、火が落ち着くまで後熟成させて、秋から初冬に販売されるイメージ。

「今はまだ、このお茶の持つ深みのある香り、味わいは十分に出てきていません。通常であれば、この夏の時期にご紹介することはありませんが、季節と共に変わっていく変化もお楽しみいただければと思い、この夜来香は夏からご紹介することにしました。」

完成前の味。さっそく届いたので飲んでみた。
浅い、爽やかな苦さが残っていて、これは酷暑に飲むべき茶だ。
すっきり疲れを消していく味。
そして少しずつこの苦さが和らいで、甘さに変わっていくのだろう。
日が短くなって、涼しくなって、寒くなった頃、
果物が熟したような甘さが出てくるのではないか。

製品になった後も変わっていくのが茶。
煎茶もそう。尾道の涼しい土蔵で酷暑を超えた秋の茶は、驚くべき旨さを増幅させてることでしょう。そしてその味はその季節にふさわしい味なのだ。

同梱されてたサンプルのお茶を淹れた。
80年代陳年古樹とある。
なんだこれ
薬みたいなひりつく涼しい味、爽快で甘くするする喉を通る。
冷房で冷え切った胃にどーんと血が通ってばーんと汗が吹き出した。
なんなんだこれ!
頭で飲んでない。体が応える。これって、これこそ、茶じゃねえの?

書いてるとサイレンが鳴った。そうか、戦争終わったんだ。75年前。

自由に好きなことが言えて、好きなものが選べて、いきなり逮捕されなくて、ひもじい思いもせず美味しいものが腹一杯食べられて、
今当たり前で考えてもみないこんなことが、実は脆いものなのだと認識しないといけない。香港ではもう自由にものが言えなくなった。びっくりするほどあっというまに。野菜が豊かにスーパーに並んでるのはもう限界かもしれない。もしかしたら、知らないだけかもしれない。

だれかのいいねにのっかるんじゃなくて
だれかの脅しに萎縮するんじゃなくて
自分の頭で考えて
自分の身体に正直に
ゆらいでいくのに柔軟に調和して
なんとなく
だいたい
いいかげんに
面白おかしく

ユーモアで

生きたいと思う。

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