私版 釣魚大全「針」
千葉に転居した直後のことだったと思う。その頃はハイラックスサーフWキャブというトラックに乗っていた。それで千葉のあちこちに釣りに出かけた。釣りの対象魚はブラックバスやブルーギルだ。今では“特定外来生物による生態系等に係る被害の防止に関する法律”違反だが、1970年代に千葉の野池やダム湖にはルアーフィッシングの先達たちが密放流して魚を増やした。だから千葉の野池やダム湖には今でも多くのブラックバスやブルーギルがウヨウヨと泳いでいる。
しかし、房総半島は大きすぎるほどに大きい。千葉の自宅からは、それらの野池やダム湖まで出かけて釣りをするには丸1日を潰すことになってしまう。帰りは必ずと言っていいほどに渋滞に巻き込まれてしまう。そこで近くの釣り場ということになる。千葉と言えば印旛沼、手賀沼という大きな2大湖沼がある。僕とかみさんは毎週のように2つの湖沼に通った。
ある日、手賀沼に釣りに出かけた。手賀沼は釣りをする場所が少なくて、いつも沼に流れ込む、いくつかの小川で釣りをした。こんなところでは何も釣れるはずがないのはわかっていたが、かみさんとふたりで釣り竿(ルアーロッド)を振っているだけで楽しいのだった。
「あ、引っかかっちゃった」かみさんが言った。かみさんが投げたルアーが川の対岸の木に引っかかって取れなくなってしまった。「またやったのか?貸してみろ」と言って、かみさんの釣り竿を持って引っかかったルアーを回収しようとした。かみさんが引っかけたルアーは大切なルアーだったので、必死になって上下左右に振ったりひっぱたりしながら回収を試みた。そのうちスポンとルアーが外れた。
「やった、取れた!」と喜んだのもつかの間、僕の左手に鈍い痛みを感じた。見れば、U字に曲がったルアーの3本針のうちの2本が掌に突き刺さっている。ルアー針には刺さったら抜けなくなるように“カエシ”と呼ばれる突起があって、外れたルアーは、僕に向って飛んで、勢い余ってそのまま深く突き刺さっていたのだった。
かみさんが真っ青になって「ごめんなさい、わたしが失敗したから…」「大丈夫、ペンチで抜くから…」ルアー針を掌の皮膚を貫けば“カエシ”をペンチで潰して抜くことが可能になる。
僕はペンチで針を掌の皮膚から抜こうとした。カエシの部分が掌の肉にしっかりと食い込んでいて抜けない。ただ、痛みが掌から上半身に伝わるだけだった。かみさんが掌を心配そうに見て「大丈夫?」と言う。
全然大丈夫じゃない。「痛くて抜けないな」と答える。
「諦めた。仕方がない。帰ってから病院へ行こう」と言って車に戻る。車に戻ると常備してあるガムテープで、ルアーがぶら下がったままの左の掌をグルグルと巻いて固定した。
「運転できるの?」
ハンドルを回し、シフトレバーを動かして痛みを確認する。「大丈夫だ」車を走らせて1時間ほどで自宅に到着する(この間が結構痛くかった)。車から降りて近所にあるかみさんの実家まで行って義父に掌を見せて「お義父さん、申し訳ないんですけど車で病院に連れて行ってくれませんか?」と頼んだ。すると義父と義母は驚いて「なんだ、かっちゃん、大丈夫か?」と素っ頓狂な声を出した。
「かっちゃんは、本当にバカだな」と義父が、ブツブツ言いながら僕とかみさんを乗せて近くの総合病院に向った。病院に着くと受付で掌を見せ「針が刺さったまま抜けないんです」と言うと、驚いた看護師は「外科の先生に診てもらいますので」と言った。
暫く待合室で待って、名前を呼ばれたので診察室に入ると「これは何ですか?」と驚いた医師が言う。「釣りで針が刺さって抜けなくなったんです」と言うと「どうしたらいいんだ?」と言う。
「麻酔をかけてもらって、針を掌の上に抜いて下さい」と言うと、麻酔をかけてから医師が「どうやるの?」と言うので「そのままグイッと皮膚から針を出して下さい」と指示すると、U字型のルアーの針を掴んで掌の皮膚の上に抜いた。プツッという音がして針が掌から顔を出した。
「これをどうするの?」と医師が言うので、「これでカエシを潰します」と言って僕は自分が持っていたペンチで針のカエシを潰した。「これで抜けます」と言って針を自分で抜いた。「あ、そうなのか?」と医師が言うと「消毒して包帯巻いてあげて」と看護師に言った。
僕は、それを見て、「先生、どうもありがとうございました」と頭を下げて診察室を出た。
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