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湯島の夜 松原みき

Wikipediaより:松原 みき(まつばら みき、1959年11月28日 - 2004年10月7日)は、日本の女性歌手、作詞家、作曲家である。大阪府堺市平岡町出身で血液型はO型である。「真夜中のドア〜Stay With Me」のヒットで知られ、アニメ「Gu-Guガンモ」のテーマ曲は「スージー・松原」名義で参加した。

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以下は、私が書きました(笑)。

松原みきさん…好きでしたねぇ。前歯がポンと出たリスのような愛くるしさからは想像できないほどに、その歌唱力はパワフルでソウルフル(フルフルだね)でした。

1979年…といえば、僕は22歳。漫画描いたり、美術研究所に入ったり、二子玉川のレコード屋でバイトしたり、デイリースポーツのポルノ小説の挿絵描いたりしてた年ですね。今考えれば、一番充実してた時代です。

その年に松原みきさんが「真夜中のドア」でデビューしたのです。歌唱力はパワフルでソウルフルと書きましたが、それでも声質の細さが頼りなさというか儚さがありました。これは本田美奈子さんと共通するところでもあります。

松原みきさんは「真夜中のドア」でデビューすると、いくつもの新人賞を受賞しました。あの頃って、今のようなJ-POPとか称して歌謡曲だかロックだだかジャンルのわからない夢も希望もないモノじゃなくて、歌謡曲は、「歌謡曲」という確たるジャンルがありました。ほかに「演歌」、「フォーク」、「ロック」、「ジャズ」って、はっきりとジャンル分けされていました。

僕ぐらいの高齢になると、はっきりとジャンル分けされている方が安心できます。それぞれの音楽性や文学性や芸術性が明瞭ですからね。

しかし、そうはいっても、曲を聴いてわかるように松原みきさんの曲は、純粋な歌謡曲とは違いますね。この頃の音楽業界は、フォークロック、ニューミュージック、フュージョンミュージック等々のジャンル融合の時代でもありました。

このあと、80年代に入ると、聴衆は、テクノ、ニューウェーブなどエレクトリックな音楽へと流されていき、少しずつ歌謡曲というジャンルは消滅していくことになるのですが、80年代中盤まではまだ歌謡曲アイドルが存在していました。

松原みきさんもその波に乗れた感じでした。ほかにもスージー松原名義でアニメ「ガンモ・ドキッ!」を歌ったり、88年まで、ほぼ10年にわたって活躍したのです。1991年1月21日までにカップリング曲を含む17枚のシングル盤とベスト・アルバムを含む15枚のアルバムを発表しました。

しかし、90年代に入ると歌手活動を休止してアニメなどの作曲活動が中心になっていきます。僕は知らなかったのですが、國府田マリ子さんのNHKみんなの歌「雨のちスペシャル」も、みきさんが亡くなる年まで繰り返し放送されていたそうです。

そして、みきさんは2001年にがんであることを告知されます。すべての音楽活動を休止して闘病していましたが、2004年10月7日に子宮頸癌のため44歳の若さで亡くなってしまいます。

それから17年後の今年になって、海外での日本の歌謡曲の人気が高まる中でYouTuberのRainych(レイニッチ)が「真夜中のドア」をカバーして再評価されるに至りました。

「真夜中のドア~Stay With Me」が、Spotifyグローバルバイラルチャート15日連続世界1位を記録し、同作のレコード盤がポニーキャニオンから復刻されることになるのです。

さらに彼女によるカバー「真夜中のドア〜Stay With Me」が初めてCD化されます。他アーティストによるカバーも多数収録した「CITY POP Voyage-STANDARD BEST」がタワーレコードから限定発売されました。

さらに、この3月31日、松原みきの1stアルバム「POCKET PARK」が、ポニーキャニオンより重量盤で復刻が決定したのです。


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