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北一輝の「霊告日記」と二・二六事件

*参照:現代書館刊 松本健一著「北一輝の革命」

北一輝は、盟友の宋教仁が暗殺されたとき、枕元に宋教仁の亡霊を見たと話した。北は日蓮宗に帰依していて、朝起きた際に法華経を読むのが習慣となっていた。

北の妻の間淵ヤス(結婚後はスズ子と名乗る)は、神がかり(憑依)するという女性で、北の朝の読経時に「夢を見た」「人の顔かたちが浮かんできた」という話をすると、北はそれを“お告げ”として、その夢や状況を読み取って日記に記録した。その日記を「霊告日記」と言った。昭和4年から書き始められた。

226事件後の28日に憲兵隊に拘引された北は「226事件に関しては外部との交渉をもたず何も知らない」と言うが、しかし、3月17日の警視庁の取り調べでは、「21日に西田税が来て“青年将校が蜂起するが、我々一人や二人の力で蜂起をとどめることができない”と話した」と証言した。

226事件の黒幕と言われた北は、直前の2月21日に兵士たちが蜂起して事件を起こすことを知らされていた。それが霊告日記に書かれている。

霊告日記には「二月二一日、朝、経。山岡鉄太郎(山岡鉄舟)、物申す。陵威尊し 兵馬大権干犯如何。答 大義名分自ずと明かなるハ疑無し、他未節に過ぎず」と書かれていた。

この時代に山岡鉄舟が生きているはずがない。北のような危険思想者は、絶えず警察や憲兵に監視されている。万が一踏み込まれたり、捕縛された場合に実名が書かれた日記は証拠になってしまう。要は暗号文のようなものだ。

つまりその内容は「(226事件蜂起前の)2月21日に(226事件実行犯のひとりである陸軍歩兵太尉)村中孝次(山岡鉄舟に置き換えている)が訪ねてきて、“兵を率いて軍隊行動を起こすことは、天皇大権であるところの統帥権(とうすいけん。兵馬大権と置き換えている)を私的に使うことになるのか?”と聞かれて、対して北は「蜂起の大義名分は明らかでであるから、軍隊行動は、些細なことに過ぎないだろう」と答えたということである。

その霊告日記を読みたいのだが、入手するのは難しい。ネット通販では法外な値段が付いていて買えない。そのうち神田の古書街を歩いて探そうと思っている。

映画「叛乱」(1954年)では、永田鉄山を刺殺した相沢三郎の裁判に関して「暗雲がかかっている。相沢さんには気の毒だ」と西田税に話す場面がある。政界と財閥の癒着によって、財閥は贅沢しているが東北などの農民が貧困層が喘いでいることに対して憂いたことと、相沢公判に関して絶望したことが相まって、正義感の強い将校たちが“昭和維新”としてのクーデターを起こしたのだ。

西田税と北一輝は、青年将校たちに巻き込まれた印象だ。

北一輝が処刑前に遺書を残している。宛先の大輝とは、辛亥革命に参加した譚人鳳の遺児を養子とした。大輝は、昭和20年(1945)8月19日に(北一輝の命日である)上海で死亡した。

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北一輝思想集成は4800円もしたんです。

「北一輝の遺書」(青空文庫より)

 大輝(北一輝の養子)よ、此の経典は汝の知る如く父の刑死する迄、読誦せるものなり。
 汝の生るると符節を合する如く、突然として父は霊魂を見、神仏を見、此の法華経を誦持するに至れるなり。
 即ち汝の生るるとより、父の臨終まで読誦せられたる至重至尊の経典なり。父は只此法華経をのみ汝に残す。父の想ひ出さるる時、父の恋しき時、汝の行路に於て悲しき時、迷へる時、怨み怒り悩む時、又楽しき嬉しき時、此の経典を前にして南無妙法蓮華経と唱へ、念ぜよ。然らば神霊の父直ちに汝の為に諸神諸仏に祈願して、汝の求むる所を満足せしむべし。
 経典を読誦し解脱するを得るの時来らば、父が二十余年間為せし如く、誦住三昧を以て生活の根本義とせよ。即ち其の生活の如何を問はず、汝の父を見、父と共に活き、而して諸神諸仏の加護、指導の下に在るを得べし、父は汝に何物をも残さず、而も此の無上最尊の宝珠を留むる者なり
   昭和十二年八月十八日            父 一輝


宋教仁

村中孝次

山岡鉄舟

譚人鳳


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