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韓国映画「高速道路家族」

またまた泣ける映画を観てしまった。というか韓国映画は、ラストに救いはあるものの、概ね破滅的な映画が多い。これもそうである。

放浪して高速道路のサービスエリアにテントを張って暮らす家族4人(父ギウ:チョン・イル、母ジスク:キム・スルギ、長女、長男)。父母は働かず、サービスエリアでエリアで休息するドライバーたちから「財布を落とした」というケチな詐欺行為で小銭を借りて(詐欺だから返さない)食事をして暮らしているのだ。父は友人に欺されて経済破綻、人間不信および頭を殴られ障害を負ったように思える。母は施設育ちで苦労して生きてきた。

ある日、自分の娘(死んでいる)にイメージを重ねた女性ドライバー(名優ラ・ミラン)ヨンソンが、家族に(というか長女に)同情して、父に2万ウォンを貸し、自分の娘にイメージを重ねた長女には5万ウォンを与えるのだった。ヨンソンは家具店を営む社長だった。

家族は、そのサービスエリアから追い出され、次のサービスエリアまで移動する。だが、そこで再びヨンソンに遭遇し、不審に思ったヨンソンは警察を呼び、ギウは逮捕されてしまう。残された家族に同情したヨンソンは自宅に招き、共に暮らすことになる。ジスクはヨンソンのもとでまともな人間に出会い、まともな生活に慣れて、生きがいを見出していく。

一方、ギウは警察署の留置場から脱走してジスクと子どもたちのもとに向う。ようやくジスクと子どもたちに出会い、「また一緒に行こう」と言うが、ジスクは「一緒に行かない、私はここで暮らす」と泣きじゃくる。ジスクは最愛の人に捨てられたような精神状態に陥り、自暴自棄になったギウは再びジスクと子どもたちのもとに向う、そして・・・。

韓国映画やドラマは「特攻精神」に取り憑かれているように思える。国のために、または愛する家族のために死ぬのがかっこいいと思っているように思える。日本人の根幹には彼らの血が流れているから太平洋戦では特攻が最前の手段であるかのように思ったのだろうが、現代においても同じような精神構造では困る。破滅型の精神憑依である。僕はこういう精神憑依が嫌いである。家族のためにはまぁまぁ死んでも悔いはないが、こんな腐った国のために死ぬのはまっぴらゴメンである。

だから、韓国映画は(いや、世界中の映画も同じである)、いかなる苦難状況においても、すべてハッピーエンドで終わるべきなのである。

まだ若いくせに、自ら寿命を縮めることはあるまい。図々しく生きて(政治家や経済界の人間のように小狡く生きるのは避けましょう)最後に笑って「良い人生だった」と高笑いして死ぬべきなのである。

「高速道路家族」は、良い映画だと思う。しかし、ひとつの不幸が気に入らない。それに高速道路家族なのだから高速道路で最終シーンを迎えるべきであったと、頻りに残念に思うのである。

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