見出し画像

湯島の夜「Oさん、元気ですか?」

出版社時代のこと。僕は入社から10年間は記事を書いたり編集したりする編集部に属していましたが、そのうちに自分で得意だと思い込んでいた文章執筆というのが素人以下だということが判明したのです。記事を書いたら編集長が「これはどう直したらいいんだ?」と悩ませるほどでした。

そして、ある日、突然「お前はもう文章を書くな。これからは広告営業をやれ」と命じられて名刺には「広告営業担当」という文字が印刷されました。ところがこれが意外に得意で、しかも“一人から百人に拡げる”数珠つなぎの人脈開拓の才能もあることがわかったのです。

それからはいろいろな人に会えて、働くことが楽しく思える充実した会社生活を送ることができたのです。今でもその時に知己を得た方々に助けられています。人生の恩人なのです。

さて、もうおつきあいはありませんが、そのときに知り合った外資系大企業の広報の方…Oさんには随分お世話になりました。その外資系企業は、のちにオラクルに吸収合併されて元の姿は存在しません。寂しいですね。

その会社は新玉川線のY駅近くにあって、広告営業に行くと、僕が来るのを心待ちにしていたかのように小走りに出てきて、ニコニコして「なべさん、何度来ても広告あげないよ」と決まり文句を言うのですが、彼の言葉に反して広告はたくさんいただきました。

外資系なので社内では辛い思いをしていたのかもしれません。ITのことなんか理解できていない僕なんかに親しく接してくれました。

ある日、「なべさん、デフレパードのライブに行かない?」と突然言われました。「デフレパード?ああ、男性がプールで逆さになったジャケットの1枚を持っています」と言ったら「ハイ&ドライだね。いいね。じゃ行こう、チケットは取っておくから○月○日の5時に渋谷公会堂前で待ってるよ」と言われて「広告のため」でもないけれど、特に断る理由もないので、約束の時間に渋公前に行きました。

私服のOさんはいつものようにニコニコしていて「やあ」と手を振っています。回りにOさんの友だちが2人いたので「どうも」と挨拶しました。「これ、チケット」と手渡してくれました。チケット代は前もってOさんに払っていたと思います。

さて、開場となり公会堂の中に入って指定された席に座りました。驚きました。前から2列目なんです。「うひゃあ、こんな前の席を確保できるんですか?」と言うと「まあね。知ってる人がいるから」と笑っていました。こんなに前の席で外タレの演奏を見聞きできるのというのは初めてでした。期待通りの素晴らしいライブでした。

その後もOさんは「大久保に韓国料理食べに行こう」「ミッシェル・ガン・エレファントのギタリスト専属のM工房を紹介するよ」とかいろいろと親切にしていただきました。圧巻だったのが新宿の東京厚生年金会館で行なわれた「キングクリムゾンのライブ」でした。僕は若い頃からプログレッシブロックが好きで、この頃はレコードとCDを併せて500枚ほど所有していましたから、期待に胸躍らせて会場に入りました。これもOさんの知人のおかげで前から3列目の席で迫力のライブを楽しむことができました。僕の会社の人間にも数人のキングクリムゾンファンがいて、会場で見かけると、僕の席を知って凄く羨ましがっていました。

そんなある日、Oさんに会いに行くと「俺さ、希望退職することになったよ。リストラだよ。1千万円くれるって言うからOKしちゃった」と寂しそうに言うのでした。最後の言葉が「ああ、広告営業しても、もう無駄だよ。ごめんね」でした。

それ以降、Oさんには会っていません。友だちも多いようでしたし、あの人柄の良さですから、きっと、いい会社に再就職していると思います。

Oさん、元気ですか? またライブに行きましょうね。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?