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災害の多様性「凶悪犯罪者の再犯率」

最近の強盗事件を見ると、何度逮捕されても繰り返して強盗を行なっている犯罪者というのがいるんですね。きっと逮捕されることを勲章のように考えているんでしょうね? 自分の恥ずかしい姿を世間に晒して喜ぶ動画バカと同じ思考なんでしょうか?

で、凶悪事件犯罪者の再犯率に興味を抱いて「柴又女子大生放火殺人事件」(1996年9月9日)、「Mモーター社長宅放火事件」(2002年8月5日)、「松戸女子大生放火殺人事件」(2009年10月22日)という有名な事件を思い出しました。

ネットよりも書籍があればいいのですが・・・と思って調べると、Mモーター事件の主犯に取材した本「最期の夏(小田島 鐵男)」がありましたが、定価より高価になった古本など買う気になれないのです。

仕方がないので、残念ですが、ネット情報のみでまとめてみたいと思います。

「阪神・淡路大震災」と「地下鉄サリン事件」が発生した1995年の翌年の1996年には2件の事件が発生しており、いずれも未解決事件となっています。ひとつめはJR池袋駅ホーム上で起きた殴打事件です。被害者はのちに死亡しており、犯人はいまだに逮捕されていません。

「JR池袋駅山手線ホーム上 立教大学生殺人事件」
1996年4月11日(木曜日)午後11時30分頃のこと。JR池袋駅山手線7・8番ホーム上で、立教大生と犯人が口論となり、ホーム上で被害者が殴打され病院へ収容後、死亡した。

ホーム上での口論から暴力に発展して、挙げ句の果てに死亡してしまうという被害者にとっても加害者にとっても全く予期せぬことだったでしょう。思いがけなく加害者と被害者になってしまうのが日常なのです。

それは宅配便などを装って侵入してくる凶悪な強盗犯罪者も同じです。「高額闇バイト」なる甘い言葉に乗って犯罪に手を染めてしまう加害者も、宅配便だと考えて未確認で見知らぬ人間のために玄関のドアを開けてしまう被害者も同じなのです。

現在の犯罪者たちが、すぐに逮捕されてしまうのは、警察が優秀だからではありません。警察の能力は相変わらずです(と思うのです)。犯罪者が面白いようにすぐに逮捕されてしまう大きな理由は、「防犯カメラの設置率の向上」です。

池袋の立教大学生事件だけでなく、
古くは「帝銀事件」(1948年)「下山事件」(1949年)に「三億円事件」(1968年)、2000年の世田谷一家殺人事件・・・などの迷宮事件も、至るところに防犯カメラが設置されている現在ならば、即逮捕ということになっただろうと思うのです。いずれも「大雑把な時代性」と「犯罪運に恵まれていた」だけなのです。

さて、池袋駅ホーム殺人事件と同じ1996年に発生した事件に「柴又女子大生放火殺人事件」があります。9月9日に葛飾区柴又の民家が火災になり、その現場から女性の遺体が見つかります。女性は、2日後にアメリカ留学を控えていた女子大生J子さん(21歳)でした。

J子さんは両手と口には粘着テープが貼られ、両足はパンティーストッキングで縛られていました。検死の結果、首を鋭利な刃物で刺されていました。殺害してから(証拠隠滅のためなのか、その目的はわかりませんが)放火したものと思われます。

J子さんの慰霊として、被害に遭った柴又の現場には「地蔵」が建立されています。

「千葉女子大生殺害放火事件」

柴又の女子大生殺人事件の犯人なのでは?と疑われた凶悪犯罪者がいます。柴又の隣町となる松戸で発生した「千葉女子大生殺害放火事件」の犯人です。

2009年10月、千葉県松戸市のマンション2階で火災が発生し、焼け跡からこの部屋に住む千葉大学園芸学部4年の女子大生が全裸のまま遺体で見つかった。遺体を調べた結果、刃物による傷があったため、警察は殺人事件として捜査を始める。捜査の結果、事件後にATMの防犯カメラから女子大生のカードで現金2万円を引き出す男の姿が映っていた。

Wikipedia「松戸女子大生殺害放火殺人事件」より転載

犯人は、女子大生に包丁を突きつけて脅し、現金5000円とキャッシュカードを奪ってから胸を刺すなどして殺害。その後、証拠隠滅のために放火したもので、冷酷な犯行でした。

以下、Wikipediaを参照します。

犯人は鹿児島県出身で、中学卒業後に大阪府など各地を転々とした。職業も宅配・長距離トラック運転手、建築作業員、パン屋の住み込み従業員などして働いています。初犯は2002年4月、神奈川県海老名市のアパートで若い女性宅に侵入し、女性に怪我をさせて現金などを奪って逮捕された事件で、これが原因で妻子から縁を切られて網走刑務所に7年間服役していました。

松戸で事件を起す1ヶ月前に刑務所から出所しましたが、定職に就くこともなく、生活に困窮していた犯人は、千葉県内で盗みを繰り返していたといわれます。のちの警察の調べでは、上野などで豪遊する犯人の姿も目撃されており、窃盗で得た金で豪遊していたのではないかと思われています。

松戸事件ではベランダを伝って2階の被害者宅に侵入。犯行に及んだといいます。

犯人には出所後に起こした窃盗及び女性を狙った強盗強姦の余罪が合計で11件もあり、裁判ではこれら(特に強盗強姦の5件)も合わせて審理されました。また、松戸事件で被害者の手足をストッキングで縛ったり、遺体に布団をかけて放火するなどの手口は、前述した1996年柴又女子大生放火殺人事件と手口が似ており、この件も警察の追及を受けているそうです。

被害女性は兵庫県出身で、高校時代も陸上部の主将を務め、3年の運動会では応援団長をしていたなど、明るく活発な人物だったようです。当時は、教員を目指して大学卒業後の教員試験に向けて勉強を重ねていたのですね。それが、見ず知らずの凶悪な人間によって、すべて破壊されてしまったのです。

問題は、凶悪犯罪を起した人間の再犯率です。

「重大事犯者の再犯の状況」


平成22年版 犯罪白書 第7編/第4章/第1節/2

調査対象者の再犯率(調査対象者について,再犯とは,出所のおおむね10年後までに,自動車運転過失致死傷・業過及び交通法令違反のみによる犯行を除いた出所後の犯行により禁錮以上の刑の言渡しを受けて確定したことである。)は,殺人17%,傷害致死33%,強盗39%,強姦39%,放火26%である。

重大事犯者は,満期釈放者と仮釈放者で再犯率のかい離が大きく,満期釈放者の再犯率は,殺人43%,傷害致死60%,強盗56%,強姦56%,放火34%であり,傷害致死,強盗及び強姦では,半数以上の者に再犯がある。

なお,平成12年の重大事犯での出所受刑者の10年内累積再入率について再犯の罪名を限定して再犯率を見ると,まず,同種重大再犯の再犯率は,殺人0.8%,傷害致死3.9%,強盗8.3%,強姦9.4%,放火7.5%であり,強盗,強姦及び放火で比較的高く,特に,強姦は,強制わいせつを含めた性犯による再犯率は16%,更に強盗強姦の再犯を含めると17%であり,その再犯状況は,かなり深刻である。

また,殺人及び傷害致死では,粗暴犯(殺人・傷害致死を含む。以下この節において同じ。)及び財産犯の再犯率が高く(殺人で,それぞれ,5.5%,7.6%,傷害致死で,それぞれ,21%,13%),強盗及び強姦では,財産犯の再犯率(それぞれ,25%,17%)が高い。

重大事犯者のうち,出所後に再犯の犯行に及ぶ者がどの程度の期間で再犯に至るのかを,平成12年の重大事犯での出所受刑者で見ると,出所から10年内の累積再入所人員に占める6年以降の年に初めて再入所した者の比率は,殺人(23%),傷害致死(27%),強盗(21%)及び強姦(26%)で,出所受刑者全体(14%)と比べて相当高く,再犯リスクが長期間にわたって継続する傾向がうかがわれる。

法務省サイトより転載

凶悪事件の犯人の再犯率は高いのです。

「Mモーター社長宅殺人放火事件」

次に紹介するMモーター社長宅殺人放火事件の犯人2人は、凶悪事件の再犯率の高さを証明するような人間たちです。

犯人のOとMの2人は、刑務所内で知り合っています。

主犯格のOは、北海道の貧しい家庭に生まれ、貧困からいくつもの事件を起して少年院から刑務所を転々とした男です。平成2年(1990)には有名な「練馬三億円事件」を起します。Oは、刑務所で知り合った男とともに、東京都練馬区内にある建設会社の社長宅に押し入り、約38時間にわたって社長ら家族7人を監禁しうえに3億円を強奪しました。

Oは、香港に高飛びして行方をくらませていましたが、数日後に帰国したところを張り込んでいた捜査員たちが任意同行を求め、事件に関して自供したために逮捕され、懲役13年の実刑になりました。

宮城刑務所に収監されましたが、そこで同房者のMと意気投合、他の同房者に、練馬三億円事件について自慢し始め、出所後については「資産家の家を狙って、10億円ぐらいの大金を手に入れる。今度は証拠隠滅のため、家の人間を皆殺しにし、火を点けて逃げる。その後は、偽名のパスポートで海外に高飛びする」などと言うようになりました。富裕者の名簿を作り、その結果、Mモーター社長宅に狙いをつけました。

共犯者となるMは、鹿児島県に生まれ、若い頃から犯罪に手を染め、平成元年(1989)には、交際相手の使用人女性を殺害して貴金属を盗んで逃走したが同年に逮捕され、懲役12年の実刑となっていました。

Mは、平成12年(2000)にOに先んじて仮釈放されます。しばらく更生保護施設にいましたが、ホームレスの名義で携帯電話を購入して外国人に転売する犯罪を行なっていましたが、その後、ホームレスの名義で健康保険証を入手して借金したり、仕事をしたりしていました。

平成13年(2001)に施設を出たMはアパートを借り、仕事に就かず、同様にホームレスの名義で金を借り、フィリピンに旅行するなどしていました。それからOの出所を控えて群馬県伊勢崎市にアパートを借りて犯行の準備を行なっていました。

OとMは、各種証明書の偽造(電磁的公正証書原本不実記録幇助罪、同供用幇助罪、有印私文書偽造幇助罪、同行使幇助罪、旅券法違反幇助)など、犯罪の余罪が数えきれぬほどあり、さらに、共犯で凶悪事件を計画するなど「野放しにしてはならない犯罪者」だったのです。

平成14年(2002)8月5日の午後3時頃に、宅配業者を装ってMモーター社長宅(千葉県松戸市)を訪ね、Mモーター社長の妻と長女を縛り、それぞれを殺害した。殺害前に長女は、OとMのふたりに向って「なぜ、こんなことをするの?」と泣いて訴えたといいます。

ふたりを殺害後に部屋のガソリンを撒いて放火。火は、1階居間の壁・天井などに燃え移り、Mモーター社長邸(鉄筋コンクリート造亜鉛メッキ鋼板葺2階建て、床面積合計約214.81㎡)のうち、1階居間の壁・天井など、合計約83㎡が焼失した。放火後、2人は、勝手口から逃走し、松戸駅近くの駐車場に逃走のために駐車させておいた車で逃走した。事件後、小田島・M両名は8月20日、フィリピンに出国しました。

その後、日本に戻ったふたりは、浪費で生活に窮して「再び同じ犯行を行なう」ことを計画した。しばらくは窃盗などで生活費の足しにしていたが、ついに同年9月に、「東京都目黒区歯科医師強盗殺人事件」を起す。勝手口から歯科医師宅に侵入して歯科医を刺したあと絞殺します。

その後、再び「我孫子市金券ショップ経営者妻殺害事件」で、千葉県我孫子市天王台に住む金券ショップの経営者を襲撃する計画を立て、経営者宅に侵入し、風邪をひいて寝ていた経営者の妻を絞殺しました。

当時は防犯カメラもなく、警察の捜査は難航して、下手をすれば迷宮入りの可能性もあったのではないかと思います。

しかし、その後、OとMの浪費癖と犯罪癖が仇となって、遂には逮捕されてしまいます。

彼らは我孫子事件後に金がなくなると、北関東に出没します。地方新聞のお悔やみ記事を見て、葬儀のために留守宅になるであろう住居に侵入して空き巣を繰り返しているうちに現行犯で逮捕されてしまうのです。取り調べの中で余罪が明らかになり、さらに「ふたりがMモーター事件に関わっている」などとタレコミがあり、ふたりがMモーター社長宅事件に関与しているのでは?と疑いがもたれます。

紆余曲折の末に、ふたりは自供し、ようやく死刑が求刑されますが、命が惜しくなったのか控訴するのです。人の生命を奪う際には容赦ないくせに、自分たちの命が奪われるときにはジタバタとして慌てまくるのです。犯罪者とはこういうものです。しかし、4ヶ月の短期間に4人の命を奪った冷酷さが許されるはずがありません。控訴は棄却され死刑が確定します。

2017年にOは、東京拘置所内で病死、Mは再審請求中といいます。

「まとめ」

凶悪犯罪者の再犯率は高いのです。軽犯罪においても同様です。一度、犯罪に手を染めると、足を洗えなくなるようです。それは現在、盛んに行なわれている一連の強盗事件を見れば明らかでしょう。

窃盗、強盗、殺人などの犯罪は、犯罪者にとっては覚醒剤のようにやめられない何かがあるのです。楽をして稼ぎたい、苦労したくないという気持ちは悪魔のようなものです。人のモノは自分のモノ、人を傷つけても殺しても欺しても何も感じないケダモノに成り下がっているのです。

「犯罪者には更生を」とよく言われますが、僕は(あくまでも個人的にですが)、「人間に本質的な更生というのはあり得ない」と思っています。

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