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湯島の夜「遙かなる500マイル」

最近はピーター・ポール&マリー(PPM)の「500マイル」と山本潤子さん(青い鳥~ハイファイセット)の「竹田の子守歌」ばかり聴いています。「500マイル」は、アメリカンポップスの名曲ですが、ヘディ・ウエストという女性歌手が作詞作曲した曲で、ピーター・ポール&マリーが歌ってヒットしました。ちなみに、この曲の原曲として、カントリーミュージック商業化最初期の立役者フィドリン・ジョン・カーソン(Fiddlin' John Carson/1868–1949) が1924年にリリースした「900マイル」という曲があるそうです(世界の民謡・童謡サイトworldfolksong.comを参照)。

僕は若いときからヨーロッパの暗い音楽ばかり聴いていたので、アメリカンポップスなんて僅かしか聴いたことがないんです。よく聴いていたのはママス&パパスの「夢のカリフォルニア」、CCRの「雨を見たかい」と、この人だけは別格でボブ・ディランの全アルバムくらい…。ああ、ロックでは、ランナウェイズにジョーンジェットも聴きましたね。

「夢のカリフォルニア」いいですよね。陰鬱な冬の日に、陽光降り注ぐ温かいカリフォルニアを夢見ている…って。それを哀愁が漂うけれど前向きなメロディで歌い上げちゃう。僕は暑いのが苦手ですから逆に陰鬱な冬の日を夢見ちゃいますけれどね(笑)。

メンバーは、ちょいと太ったキャス・エリオット(1974年のツアー中に心臓発作で死去)、美人がゆえに女優に転身したミシェル・フィリップス(デリンジャー、バレンチノなどに出演しています。男性関係に問題ありな方)、ジョン・フィリップス(2001年に心臓発作で死去)、デニー・ドハーティ(2007年に腎不全で死去)。唯一生存しているのはミシェル・フィリップスだけですから再結成は無理ですね。

CCR(クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル。クリーデンスは友人の名前、クリアウォーターはビール名、リバイバルはもう一度の意味)は、ジョン・フォガティ(クリーデンス・クリアウォーター・リビジテッドで音楽活動継続宙)、トム・フォガティ(1990年にエイズにより死去)、ステュ・クック、ダグ・クリフォード(ステュとダグのふたりは現在でも音楽活動中)が、オリジナルメンバー。

「雨を見たかい」は、これも哀愁のあるメロディに「人生は苦楽の繰り返し、嵐のあとには必ず晴れる。嵐の前には晴れているのに、太陽光の反射でキラキラ光りながら雨が降ってくることがある。君はそんな雨を見たことがあるかい?」という歌詞が泣かせますね。

PPMの「500マイル」は、遠く離れたところに住んでいる恋人あてだと思うのですが、「故郷から500マイル(約800キロ。東京ー広島間くらい)も離れたところで暮らしているけれど、着替えもないほど金もないからみっともなくて帰ることができない」という歌詞を切々と歌うんですが、決して前向きではない哀しいメロディが涙を誘うのです。

実は、最近、知人からお仕事をいただいたのですが、家庭事情により、やむなくお断りしたのです。専門ソフトの単純なテスト作業のお仕事で、良いお給料を貰えるはずだったのですがね…。その残念さからこういう悲しい曲を聴いちゃうのでしょうね。

PPM(ピーターポール&マリー)のメンバーは、ピーター・ヤーロウ、ノエル・ポール・ストゥーキー(2007年、北朝鮮により拉致された横田めぐみさんへの曲「Song for Megum」を発表)、マリー・トラヴァース(2009年白血病にて死去)の3人です。

それぞれのソロ活動のために1970年に解散してしまいますが、1978年に原発反対運動支援のために再結成して年間40回にものぼるコンサートツアーを行なっていました(Wikipedia参照)。1999年にはヴォーカル殿堂入りを果たしますが、マリー・トラヴァースの白血病発症のために活動継続できなくなってしまいました。

「500マイル」は、YouTubeを観ていたら、日本の山本潤子さん(2014年から無期限活動休止)の歌が身に染みましたね。山本さんはフォークフループ赤い鳥(1974年解散)からハイファイセット(1974~1994年に解散)へと転身した方で、僕個人の感想から言えば“ドスのきいた声”がステキですね。

「500マイル」は、良い曲ですから、他にも多くの歌手が歌っています。日本では忌野清志郎さんの訳詞のものが歌われていますが、僕は原曲の方が好きですね。

PPMは、ベトナム戦中の1960年代に、ベトナム戦争への反戦メッセージを積極的に行なったので「反戦フォークの代表」みたいなイメージがあるそうですが、僕は年をとってからPPMを聴き始めたので、そこらへんはよくわかりません。

彼らの曲で「悲惨な戦争」という曲があります。戦争に出兵した恋人のことを思った歌です。男装して兵士にってでも恋人のそばにいたいと切なる願いを綴った歌詞が哀しいですね。

ウクライナ侵略戦争の映像をみていると、突然として攻めこまれて死力を尽くして戦う人々と、全員が侵略戦争に加担したくない(多分、そうあってほしいです)ロシア兵の不条理なる顛末は、まさに悲惨な戦争ですね。

戦争というのは「互いの国を破壊し合う」というイメージがありますが、一方的に他国に侵入して一般市民を巻き込んで殺戮を繰り広げることが果たして戦争と言えるでしょうか? 自国の建造物や一般市民には何の被害もなく、単純にナチスという言葉を悪役共通認識を叫びながら虐殺を展開している国家は、無差別殺人者と同じですね。しかし、かつての左翼学生の憧れであった赤い大国群は、間違った思想を持つ指導者のせいで、自ら破滅の道を選んでしまった気がします。

歴史は愚行の繰り返しですね。

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