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百物語12「湖」

高校生の時のことだ。その頃は福島県に住んでいた。父親の故郷が猪苗代町だったし、5歳違いの従兄(本当は従兄の子どもであるから従甥なんだけど、めんどうだから従兄と呼んでいた)が猪苗代湖畔でドライブインを経営していたので、夏休みになると、バイクに乗ってドライブインに行って湖で遊んだ。

ドライブインを始める前までは、従兄と一緒に泳ぎに行っていたのだが、彼はドライブインの調理も担当しているから時間がない。このときもひとりで湖水に出た。時間は午後4時くらいだった。夏休みの終わりぐらいだったからまだ明るかった。

湖の砂浜を歩いて泳げるところを探した。ドライブインの前は大きな石がゴロゴロ転がっていて、海で言えば磯のような感じだったので、そこからしばらく歩いた。確か近くに湖水浴場があったはずだ。湖といっても大きな湖なので、あちこちの砂浜には湖水浴場もあるのだ。

5分ほど歩くと、その湖水浴場に出た。しかし、人がいない。夕方近くだったからかひとりもいない。僕は人嫌いだからちょうどよかった。人に気を使うのは苦手だ。

ドライブインから肩にバスタオルを羽織って海パン1枚で歩いて来た。砂浜にタオルを置いて湖水に入った。

「ひょおおおっ」湖水に入ると水温の低さに驚いて思わず声をあげた。

「うううううう」我慢しながら腰まで浸かった。あと一息だ。胸まで浸かった。泳ぐ。泳ぎは下手だ。中学生の頃にクラスの奴らに、いじめのつもりで背泳ぎ競争に駆り出されて勢いで泳いだら3位になってしまった経験があり、少しは泳げるようになった。

しばらくジャバジャバ泳いでいたら体が冷えた。砂浜に上がろうとして水中を歩いて進む。水位は顎ぐらい迄あった。何故か泳がなかった。そのまま水中を跳び跳ねるように進んだ。

すると、進んでいるように思っていたのは間違いで、いつの間にか沖に向かっているのだった。いや、向かっているのではなく、体を何かに引っ張られる感じだった。湖でも波があるので引き波に引かれているのだろうと思っていると、さらに沖に引っ張られていく。

焦った。もしかしたら引き波ではなく、アレかもしれない。そう感じた。小学生の頃には温泉の大浴場と青森県の磯で同じ経験をしている。温泉では水中で入浴客たちの脚を見ながら溺れた記憶がある。青森の磯では、水中に引き込まれて磯の岩に波がぶつかる白い波泡の向こうに恐ろしく背の高い昆布の森を見た。

必死になって水中から逃れようとしたが、どんどん沖に引っ張られて行く。鼻まで水中にあってピョンピョンと飛び上がって呼吸した。

振り向くと、少し離れた沖側に黒い影が見えた。それは人の肩から頭までのように見えたが、逆行気味で、本当の影になっており、それが何者かは確認できなかった。

恐ろしくなって、水中の砂を勢いよく蹴って岸に向かった。しかし、引っ張られる力も強い。「死んじゃうかも?」と思った時、岸から大きな声が聞こえた。

「お前、まだ懲りないのか!」従兄の叫び声だった。すると引っ張られる力が弱くなった。

急いで岸に上がって従兄に詫びた「ごめん、よく泳げないのにひとりで泳ぎに来ちゃった」と言うと、従兄は湖の沖を睨みつけている。

「お前に言ったんじゃない。アレにだよ」と湖を指さした。

「え?」湖を見ると、先程の黒い影が沖に向かって泳いでいくのが見えた。

「河童だよ」と従兄は笑った。


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