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検便の記憶

*写真右下に小さく写る建物が、犬の糞を持っていったかもしれない小学校

記憶違いというのはよくあるものだ。僕の妹なんかはその代表選手のようなものだ。

「お兄ちゃんは小学校の検便の時に犬のウンチをマッチ箱に入れて学校に持っていった」と、ことあるごとに面白そうに話す。しかし、僕にはその記憶がない。妹の記憶違いなのだろうと思っても「お前の記憶違いだろう?」とは言わない。ウンチの事で互いに「やった、やらない」で喧嘩してもつまらない。

しかし、自分の記憶の中にも「検便と犬のウンチ」という記憶がないわけではない。いや、持っていったという記憶ではなく、小学校の時に我が家では犬を飼っていたので、その糞を持っていけば面白いなと考えたことはあるという記憶だ。しかし、妹が長年に渡って、しつこく言うものだから僕自身も「もしかしたら持っていったかもしれない」と思うようになった。

同じ頃、僕は小学校でよく立たされた。当時から勉強するのが嫌いで「小学校も中学校も行かない」と、現代の子どもユーチューバーのようなことを言っては教師や父親に殴られた。そのくせ気が弱いから仕方なく学校に行っていた(笑)。だから成績は悪かった。良いはずがない。

立たされたときには水の入ったバケツを持たされた。今は問題になるだろうが、当時は当たり前だった。拳骨で殴られたこともある。それが当たり前だった。親の方も「先生、こいつが言うこときかなかったら殴っていいから」と教師にお願いするくらいだった。いいのか悪いのかわからないが、いい時代だった。

立たされた際の記憶だけれど、バケツを床に置いて学校内をほっつき歩いた記憶がある。曖昧な記憶ではなく確かに校内をうろうろと歩いていた記憶がある。僕は子どもの頃から落ち着きがない。

つまり、妹が「検便に犬の糞を持っていった」という記憶も、確実に彼女の脳内にあるとすれば、実は「僕が犬の糞を持っていった」ことが事実かもしれないのである。

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