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釣魚大全「闇海Dark Sea 」1

「奥多摩管理釣り場」

1.

「じゃお兄さん魚入れるよ」

釣り場の管理人は、石を積んで人工的に塞き止めた淵に、養魚池から養殖のニジマスとヤマメがたくさん入った魚網を持ってきて淵の中に突っ込んだ。すると魚たちは網から解放されて淵のあちこちに散らばって泳ぎ始めた。漸く養殖池から抜け出ることができたが、哀しいことに彼らは塞き止められた、この狭い淵からは出られないばかりか僕に釣られて死んでしまうのだ。
管理人が運んでくる際に網からニジマスが1匹飛び出して地面に落ち、河原の砂利を巻き上げてバタンパタンと飛び跳ねた。管理人は慌てずにニジマスをひょいと拾い上げ淵の中に放り投げて、にやりと笑った、そして「終わりは5時だからね」と言った。

その釣り場は管理的り場で、多摩川の源流に近いこの河原に人工的に作り上げたいくつもの淵を仕切って、そこに魚を入れて釣らせる場所だ。この頃(11月)は、自然の渓流は禁漁期に入っていて、それでも釣りをしたい者が管理釣り場で釣りをする。実はこの管理釣り場も先月で終了していたのだが、団体の予約が入っていたらしく急遽開くことになったのだそうだ。

「せっかく営業したのに、その団体がキャンセルするって電話があってさ、お兄さんも無駄足にならなくてよかったね。いっぱい釣ってね、ヤマメも入れといたから」と言って渓谷の上にある管理棟に歩いて行った。

管理人は急遽開いたと言ったが、釣りを始める前に僕の他に3人の釣り人が確認できた。僕同様に釣り好きな人たちなんだろう。休日には老若男女で溢れかえる管理釣り場も、僕を含めてたった4人では閑散とした雰囲気だ。しかし、人嫌いな僕にとっては、まさに理想的な釣り場なのだ。初冬の涼しい空気が心地よく顔をなでる。

僕を含めた4人がそれぞれの淵を与えられているが、自然の広い渓流に作られているためにお互いが確認できないほどに離れている。おかげで自然の中でたった一人、誰にも邪魔されることなく釣りができる。

釣り場のまわりは深い森である。そこで僕ひとりにあてがわれた淵でニジマスやヤマメを釣るのである。それが自然渓流ではなく管理釣り場で会ったとしても至福のひとときを味わえるのである。

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さて、釣りである。釣り針に練り餌をつけて淵に放り込む。するとすぐに腹を空かしたニジマスが食いつく。ときには練り餌をつけずに釣り針だけ放り込んでも飢えた魚は食いつくのである。それが管理釣り場なのである。だから、釣りを高尚なスポーツと考える者は釣り堀や管理釣り場を軽蔑して敬遠する。

しかし、ただの釣り好きは魚が釣れれば何でもいい。たとえ水泳プールに放流した魚を釣ることも恥ずかしいとは思わない。僕はそのどちらでもないが、釣りを高尚なスポーツなどとは思っていない。

2.

一息ついて、僕は的り支度を始めた。4.5メートルの渓流竿に1.5号の道糸を竿より長めにくくりつけ、道糸の先に小さめの釣り針を結びつけた。本当ならばより細いリーダー糸を道糸にブラッドノットで付けて、リーダーの先に釣り針を結びつけるのだろうが、初心者の僕にはそんな細かい作業は面倒なだけだ。

フイッシングペストのポケットからプラスチックのフィルムケースを取り出し、蓋を開けて、ブドウ虫を1匹取り出して、釣り針に刺し通した。僕はフイルムケースを餌入れにしていた。針が姦通するとチュッと体液が滲みだした。ブドウ虫はクネクネと藻掻いていた。竿を持ちげて道糸を垂らすと、風にブドウ虫がゆらゆらと揺れた。竿を少し振ってそのままブドウ虫を淵の中に放り込んだ。

第一投は、落ち込みの白泡の切れ間だった。道糸が少し動くと、すぐに大きなアタリだとわかった。その瞬間に竿先を強く持ち上げて合わせると、竿がグイッと水の中に引き込まれた。魚が逃げようとする抵坑と、魚自体の重みが加わって竿がキュンキュウンと鳴った。

「ふんっ!」鼻息が荒くなる。なかなか魚は水面に顔を出さない。淵の水中で左右に暴れて針を外そうとしている。管理釣り場の魚にしては大きいようだ。しかし、すると魚が水面に顔を出して口を開けておとなしくなった。竿を立てて魚を手前に引き寄せて、そのまま乱暴に引き揚げた。見れば30センチ以上ある大物だった。

つづく



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