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災害の多様性「時間と記憶と教訓」


「時間経過による記憶が薄れてしまう」

今年は戊辰戦争から161年、太平洋戦争から79年、東日本大震災から13年、令和6年能登半島地震から3ヶ月目です。

何を今さら戊辰戦争に太平洋戦争? 日露戦争と日清戦争に第一次世界大戦はどうなんだ? ああ、侵略戦争なんてどうでもいいし、一応勝ったと言われる戦争の話をしても仕方がないのです。勝てば利益は得られても教訓は得られません。敗者にしか教訓は得られないのです。

今回のテーマは時間の経過と人間の記憶と教訓です。

戊辰戦争から161年も経っているのに、僕はいまだに山口県や鹿児島県や京都の人や国の象徴たる人たちに軽い敵意を感じます。冗談じゃありません、本当です。僕には会津の血が流れているからです。太平洋戦争から80年近く経っているのに戦争を決めた人や、大事な家族を喜んで戦地に送り出した人や、戦わぬ者を侮蔑したり虐待した人たちに国の象徴たる人(お、再登場)に嫌悪しています。さらに当時の敵国に尻尾を振って今でも隷属していることに腹を立てない人たちを軽蔑しています。何があったのか記憶しているからです。

戊辰戦争後の日本は、日清、日露、朝鮮や中国での謀略に第一次世界大戦と侵略戦争を繰り返しました。その間に被害を受けた朝鮮(主に大韓民国)の方々やその子孫が、いまだに反日的な行動や発言を繰り返しているのを観て「しつこい人たちだ」と多くの日本人は言いますが、そうではないのです。朝鮮の方々は辛く苦しい目に遭った経験を記憶していたり、その歴史を子孫に伝えているからです。

加害者である日本はどうかというと、歴史を勉強させないし、多くの人たちが、現時点思考者や長されて生きる人たちなので、昔のことなんかどうでも良いのです。歴史を勉強して中国や朝鮮を加害したことを発言したりすると「お前は日本人か?」とバカにされたりします。

たとえば太平洋戦争前後にどれほどの国益を失ったか、どれほどの人材を失ったのか、どれほどに隣国に迷惑をかけてきたのか? を勉強させないのです。「戦争を知らない(加害国であった歴史を知らない)子どもたち」を量産してきたのです。

自決するなり責任をとった少数の人間以外の大勢の「戦争を煽っていた人間たち」は、終戦後には手のひらを返して敵国(米国のことです)の人間にすり寄って、彼らの言いなりになって再び国家を動かそうとするのです。国民だって同様です。米国のおかげで経済成長できると、日本の中に米軍基地を作られて常時監視されている現状を自然に感じて生き、生活が楽になると反省をしないし、教訓も得ていないので結果的に現在のような「腐った国」になってしまうのです。

あ、僕が言いたいのはそこじゃありません。時間経過と共に記憶が薄れていき、果てにはまったく記憶がなくなってしまうのは危険だということを言いたいのです。

「被災を教訓としない人たち」

これは、もちろん災害にも当てはまります。

東日本大震災のあと、福島の伯父(故人)が「避難している奴らは生活保護者と同じで働く気がない、毎日パチンコして遊んでいる」と言っていました。伯父は決して悪い人間ではありませんでしたが、被災から時間経過すると、そういう感情を持ってしまうのです。

被災者も生活保護者も、10世帯のうち1世帯だけがそういう人で、他の9世帯は真面目に働いて生活していても、そういった悪い印象を持たれるのです。人間は良い見本よりも悪い見本に目を向けがちです。はじめは避難民を「被災して気の毒だ」と同情するのですが、時間が経つと避難民を“働かずに生活している”といった感情が湧いてくるのです。

時間の問題はそういった事だけではありません。

もっとも重要なことは、想定外の被災をして「なぜ想定外の被災をしたのか?なぜ被害を最小に収められなかったのか?」を反省せずに、被災という貴重な経験を教訓として受け止めずにのんべんだらりと生きてしまうことです。

ChatGPT生成の災害現場画像

日本は、毎年大きな災害が発生する災害発生国です。皆、それを忘れているかのように生活しています。そして災害が発生して「想定外だ」と大騒ぎしてから、被災地を救おうと寄付したり、瞬間的な旅行割引を利用して被災県に旅行して満足したりします。人気商売の人間なんて絶好の機会とばかりに大金を寄付したりします。

僕はそういうのが大嫌いです。その寄付金や収入による税金が、被災して家を失った人や家族を失った人たちの役に立つのか?っていうことです。役に立つはずがないです。家を失ったり家族を失ったら、もうそれは、人生を棒に振ったと同じほどのダメージを負うわけです。一部の負担をカバーすることはあっても自治体が家を建ててくれるはずがないし、家族を生き返らせてくれるなんてことは不可能なのです。僕は一部の人たちが潤うことしかない被災県の応援なんてまっぴらゴメンです。資産を失った人たちが本当に助かるなら喜んで応援はします。

そして、1年が経ち、5年が経ち、10年が経てば、人々は被災地のことを、被災者の事なんて一切考えなくなるのです。こういうのを米国大国的な【偽善活動】というのです。ああ気持ちが悪い。

「時間経過が再び災禍を生む」

私たちには災害に対する充分すぎる経験値や歴史記録があります。それなのに【流されて生きる人々】が多いので、すぐに忘れてしまうんです。

脱線しますが、今の自民党政治家による悪行三昧もすぐに忘れてしまうのです。ですから彼らは好き勝手な所業を繰り返しているのです。彼らに代わる政党もいません。それはハナから計算されてのことです。与党は野党に本気で逆らうことはできません。反対しているフリをしていれば生きていけるのです。それは中国の国民も北朝鮮の国民もロシアの国民も同じです。日本は裏に米国がいて、その奴隷たちが社会を動かすという独裁政治になっているんです。それも全て僕たち国民が悪いのです。かつての民主党政権が失敗したときにはもの凄い怒り方をして安倍政権を歓迎したのも国民です。

あ、そういえば今はウクライナに降伏することを薦める国や人々が多いのも同じような事です。初めは侵略戦争を始めたロシアを批難し、ウクライナ応援だときれい事を言っていた人間たちの豹変ぶりに驚きます。僕はロシアがナチスドイツのように滅びることを願っています。イスラエルだって自分たちがナチスに迫害されてきたことを忘れたように障害になる他国民を虐殺しているのです。戦争も災害ですからね。

多くの資産(国家的資産および人的資産)を奪う、大災害や戦争災害のあと、反省したフリをしながらも決して教訓としない人間たちが多いことに呆れます。

災害はどうして起ったのか? 災害を防止できなかったのか? 災害を軽度に済ませる事はできなかったのか? と本心から反省し、ソレを教訓として次に起るであろう災害に備える、人災に備えるということが重要なのです。

災害発生時には救済私たち災害国に暮らす者は、数秒、数分、数時間、数日先に必ず起きるであろう災害に対して、決して「想定外」と言い訳をしないように災害に備える必要があるのです。

その経験は充分すぎるぐらいあるのです。

といっても、普段からヘルメットを被って、ゴーグルをして、踏み抜き防止安全靴を履いて、防刃服に手袋をして通勤・通学すべきとまでは言いませんが、そのような気持ちで生きなければならないということです。

資産を失わないように家も車も持たず、頼れるのは現金だけ・・・ってのが一番です。

太平洋戦争前後の悪行も阪神淡路大震災も東日本大震災も能登半島地震も、決して忘れてはいけません。それらの、失敗から謙虚に学び、教訓とすることです。「戦争、災害を知らない子どもたち」にならないように(決して押しつけにならぬよう)歴史教育をすべきでしょうね。


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