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船橋 割烹旅館 玉川

僕は、船橋と言えば太宰治なんです。ほんの1年少ししか住んではいないそうですが、処女作「晩年」発行までの時代を過ごしているので感慨深いのです。

といっても僕は、人としての太宰治は嫌いです。前も書きましたが韓国ドラマの財閥のバカ息子(主に犯罪者です)のようなイメージがあるのです。本来ならば殺人犯であるかもしれない自殺行為によってひとりの女性が亡くなっているのです。当時は太宰にも女性にも伴侶がいたにも関わらずです。

好き嫌いはどうあれ、僕は有名な作家が船橋で暮らしていたという事実に興味があるのです。それに当時は海岸沿いの避暑地であった船橋の街にも興味があるのです。当時は湘南のようだった避暑地の街が、埋め立てられて狭苦しい都市に変貌していく…。今では、太宰が暮らした、そして彼が気に入っていた避暑地の面影もありません。

詳しくは知りませんが、太宰が原稿を書いたりしていた割烹旅館 玉川というのが、ついこの間まで存在していましたが、コロナ禍のなか営業継続を断念、貴重な資料であったはずの建物が破壊されて更地になり、その後、堅牢なビルが現在も建造中のようです。

上のリンク動画のように撤去される以前の割烹旅館 玉川を見られはしますが、このとき既に玉川の周辺は無機質化しているので、僕個人としては貴重な映像データとは思えません。それでも玉川の姿を確認することはできます。

玉川の跡地に建てられている…マンションでしょうか? 玉川が建っていた当時を偲ぶ面影はここには微塵もありません
往時の玉川です。昔、僕が撮った写真があるのを忘れていました。
この姿はもう見られないのです。残念。

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