シルバー人材日記「タクシー綺談」後編
「幽霊を見たんですか?」
「うん、見たよ」
嬉しいな。僕は物書きではないが、こういう話を聞いたり記録したりするのは好きだからね。
「おお、その話をぜひ聞かせてくださいよ」
「ああ、いいよ」
「で、どんな話ですか?」
「うん、ここに引っ越してくるまで東京の東陽町に住んでいたんだけど、当時はタクシー会社で働いていたんだよ。でさ、ある日、あれは終電過ぎの時間だったな・・・。自宅がある東陽町駅から若い女性を乗せたんだよ」
「どこまで乗せたんですか?」
「神田の明神下までだね」
(あ、明神下っていえば、僕が18年間勤めた会社の近所だな。高台にある神田明神から階段を降りたところにある地域のことだ。神田明神下と言えば銭形平次が有名でしょ? そういえば神田明神の境内には平次のパネルがあったなぁ。
神田明神下は、軒の低い建物がひと区画密集している僕の大好きな地域だ。そこには古い飲み屋が数件あって、昼には昼定食を出していたから出版社の仲間や先輩たちとよく昼食を食べたものだ。うなぎの名店もあるんだよ)
「でさ、東陽町から後部座席に乗せてね。それほど距離がないからすぐ着いちゃうんだよ。神田明神が近づいてきたんで後部座席の女性に声をかけたんだ」
「それで・・・」
「でもね、返事がないのよ、バックミラーを見たら姿が見えないんだよ」
「おお、幽霊だったんですね」
「よく聞くじゃん、運転席から降りて後部座席を確認したらびっしょり濡れていたなんてさ」
「よく聞きますね、なんで濡れているのかがわからないですけどね」
「ふふ、でね、外に出て後部座席のドアを開けて確認したんだよ。で、いないんだよ、女の姿が見えない」
「はいはい」
「でね、よおっく見たら後部座席から下に落っこちて熟睡してんだよ。驚いたねぇ」
「なぁーんだ」幽霊じゃないのか、期待して損した。仕方なく笑った。
「で、どうしたんですか?」
「相手が女だからさ、ヘタに触れないんだよ、訴えられちゃうから。声をかけても起きねぇから仕方がない、交番まで乗せてったの」
「ははあ」
「交番に着いても、女が起きねぇんだよ、交番のおまわりさんも困ってさ、僕の顔を見て “いいですか、僕が触って起しますけれど、あなた、証人になってくださいよ”って真面目な顔して言うのよ。あれは笑ったね、だははは」
「でも、幽霊じゃなかったんですね」
「がっかりした?」
頷いた。
「でも、タクシーに乗っていると変なことがたくさんあるよ」
「聞かせてくださいよ」
「赤坂見附で女が手を上げてたから停めて乗せようとしたらさ・・・」
「はい」
「外から運転席に顔を突っ込んで “三軒茶屋までお願いしたいんだけど身体で払ってもいいかしら?” って言うんだよ。こりゃ、危ない、うっかり乗ったら危ない目に合うかもしれねぇから断って、バーって走って逃げた」
「アハハハ」
「他にも、浅草で仮眠とってたら窓ガラスをバンバン叩くんだよ、ちょいと年増のいい女だったな」
「へぇ」
「立ちんぼでさ、三ノ輪の方まで行きたいって言ってた」
*立ちんぼ:街角に立つ売○婦さんのこと。
こういう話は開高健さんの「ずばり東京」の中にもあるね。幽霊話ってわけじゃないけど、大好きだなぁ。
「そんなのばっかりじゃないですか?」
「でへへへ、でもね、この近所には墓場があってさ、そこを通るときには背筋が寒くなったよ」
「今も?」
「今は運ちゃん辞めたから知らねぇよ」
「ははは」
(何だよ、怪談を聞きたかったのに・・・)
「そういえばタクシーの運転手さんに聞いたんですが、滝不動の星影神社に白い服着た女の幽霊が出るって話がありますが、Hさんも見ましたか?」
「そこいらは何回も通ったけど見たこたぁねぇな。俺は霊感がねぇかもしれないね」
「でも、市内の墓場で背筋が・・・」
「うん、ゾゾゾッとしたよ」
「霊感あるじゃん」ため口である。
Hさんは、タクシー運転手引退後に先に触れた灯油売りをしたが、飽きて辞めて自宅近所のパチンコ屋に入り浸っていたそうだ。
「1日やって5万くらい稼いだよ」って、パチンコの話になったところで「さ、歩きの続きをしましょうか?」って言って立ち上がったら、パチンコの話をしたかったHさん「チッ」と舌打ちしてノロノロと立ち上がった。
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