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牛丼

昔は牛丼といえばY野家かM屋だった。

池袋西武百貨店の画材売り場で働いていたとき、僕は新宿区上落合のワンルームマンションに住んでいた。最寄り駅は東西線の落合駅だった。落合という街は凄く便利な位置にあって、中央線の東中野駅や西武新宿線の中井駅にも歩いて行ける距離にあった。中野や吉祥寺なんてところにいくときは落合駅から、新宿に出るときには中井駅と東中野駅からという具合だった。時には少し距離はあるけれど新宿や高田馬場まではよく歩いたものだ。池袋の仕事場からは、山手線で高田馬場、高田馬場からは地下鉄東西線で落合駅という経路だった。

当時の夕飯は、落合駅近くにあった「ほかほか弁当」で弁当を買って食べることが多かったが、週に3日くらいは東西線高田馬場駅地下にあったM屋で牛丼とキャベツ主体の生野菜サラダを夕飯とするのが日常だった。M屋が好きだったのは味噌汁付きで吉野家よりも味が濃かったからだったと思う(今は吉野家の方が濃いように思う)。それに野菜サラダも量が多く、ドレッシングも美味かった。

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当時は牛丼が好きで、よく食べた。高田馬場から落合の自宅まで歩いて行けば、途中にY野家があったし、池袋の職場近くにもY野家があったが、年に数回…?食べた記憶しかない。

ただ一度、給料日の日に職場仲間のGが「なべさん、たまにはフルコースでいこうぜ」と言うから安い洋食のフルコースだと思って、調子に乗って「おお、行こうぜ!」とついていったら、何のことはないY野家だった。呆気にとられていると、Gは「牛丼、味噌汁、生卵、お新香のフルコースを2人前お願いします」と大きな声で注文した。店員は苦笑しながら注文を確認した。

呆れて「フルコースというからビクビクしながらついてきたんだよ」と言うと、Gは「そうだと思ったよ、安心してよ、ぐわっはっはは」と豪傑のように笑った。

Gは、僕より3歳年上で、バカな冗談ばかり言って、細かいことは気にしない豪傑のようにふるまっているが、本当は気弱でうつ病の気があった。

この日の牛丼は美味かった。Y野家の牛丼を美味いと感じたことがなかったが、Gの指示通りに食べてみると凄く美味かった。

「なべさん、牛丼に生卵をぶっかけて、紅ショウガをたっぷり入れてから、ぐちゃぐちゃにかき回して食うのもいいけど、すき焼きみたいに肉をひと切れずずつ生卵にからませて口に放り込みながら、飯を食うってのもいいよ」

「それなら牛皿とご飯を注文すりゃいいじゃん」

「ばっかだなぁ、ご飯にタレがからまっているから美味いんじゃないか。牛皿じゃご飯には味がついていないだろ」

「なるほどね」

「せっかくのフルコースなんだから、それぞれの美味さを味わいながら楽しむんだよ。まず俺はビールと前菜のお新香を食べるぜ。あ、忘れてた、ねぇお新香に合うワイン…じゃなくて、瓶ビールちょうだい。なべさんは酒が飲めないから真からフルコースを楽しめないな。うふふふ」

「ちっ」

「お、ビールがきたきた。なべさん悪いね」Gはお新香をひと切れ口に入れシャリシャリと噛みながらビールを飲んだ。ゴクリと美味そうな音が響いた。少しだけ酒が飲めないことを後悔した。

「ふん」僕は生卵を卵皿の中でかき回しながら、わざと顔をしかめて見せた。

僕はGの言うように牛丼に載っている牛肉を1枚箸でつまむと生卵にからませて口に入れた。Gは僕の様子を見てニヤついている。

「美味いだろ? それから、タレのしみこんだ飯を食うんだよ」

「うん」口中の牛肉を噛みしめながら、箸でひとつまみのご飯を放り込んだ。美味かった。

「それを繰り替えして食べるんだよ。なべさんはお新香も途中で食った方がいいよ。紅ショウガだって漬物なんだから途中でつまんでもいい。家庭的な味になるから。ま、気分の問題だけどね」

「ふーん」

Gはお新香と紅ショウガをつまみにビールを飲みながら「もうひとつ牛丼の味わい方を教えてあげるよ。牛肉をすべて食ってからご飯を少しだけ残すんだ」といって笑った。

「ご飯をどうするの?」

「ぬるくなったお茶を入れ換えてもらってさ、熱いお茶をご飯にかけるんだ」

「お茶漬け?」

「そうそう、お新香を残しておいて、それをご飯の上に載せても美味しいよ。お茶の換わりに味噌汁をぶっかけてグシャグシャ食うのも美味い」

「木枯らし紋次郎のように卵もお新香も全部載せて味噌汁をぶっかけてワシャワシャと意地汚なく食うのもいいね」

「うん、単純な食い物でも食い方はいろいろあるってことさ」

「わかったよ、ありがとう」

「なべさん、今日は俺のオゴリだよ。」

「え、いいの?」

「うん、でも次はオゴッてくれよ」と言うGの横顔は少し寂しそうだった。

Gは、これからしばらくして、数日間無断欠勤した。僕が彼の自宅まで迎えに行くことになるのだが、それはまた別の機会に…。

追伸:牛丼といえば「神戸らんぷ亭」を忘れてはいけない。ここの牛丼の味も僕好みだったが、いつの間にか消えてしまった。2度と食べたくないのは秋葉原の有名な(それでも汚い店)の牛丼で、洗濯物の生乾きのキツい匂いがして吐きそうだった。

追伸の追伸:最近になってM屋の牛丼を食べる機会があった。それは記憶に残る高田馬場で食べた、あの味ではなかった。

更に追伸:現在はY野家の牛丼しか食べない。昔のM屋の味に近いからだ。













追伸の追伸:最近、松屋の牛丼を食べた。しかし、記憶に残っている高田馬場の地下の店で食べた牛丼の味ではなかった。

更に追伸:



























































































































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