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青嵐大の鄙びたトラックではちょうど、土田主将曰く「エンジョイ勢」であるところの先輩たちが有名ランナーのアップしているYoutube動画をコーチ代わりに和気藹々と練習に励んでいた。 率直な疑問として、重陽は「どうして実績のある人に指導を仰がないんですか」と聞いてみたら、思ってもみなかった様々な答えが返ってきて面食らった。 自分でプランを立ててPDCAを回したいから。頼んで断られたら心折れるから。プレッシャー負いたくないから。人の指図は受けたくないから。武者修行してみた
十月二十日。日曜日。空には厚く、重たい雲が垂れ込めている。 ここ数年、箱根駅伝の予選会では雨が降ることが多い。少なくとも夕真が青嵐大のスポーツ紙──通称〝青スポ〟の記者として参加した過去三回の予選会はいずれも雨。もしくは、曇りのち雨だった。 「今年も降りそうだなあ……」 ノブタは信号待ちでブレーキを踏んだ直後、三浦ハウスから出発した駅伝部員と夕真で鮨詰めになった車の運転席から外に頭を出して唸る。 「まあ現に、九時から十一時にかけての降水確率は六十パーセントだしね
さすが本気で箱根駅伝を目指してきただけあって、人波をぬって全速力で駆けるユメタは速い。夕真は背に追った機材を揺らしながら必死に追い縋ったが、どんどんその背は小さくなった。 行き先が分かってて助かった! 息を切らせながらも、安堵に胸を撫で下ろす。 すっかり撒かれてしまったものの、みどりの窓口で夕真が自分は青嵐大の学生であることを伝えると、窓口にいた壮年の駅員は親切に医務室まで連れてきてくれた。 「──ありがとうございます。お騒がせしてすみません」 夕真は少し声を顰め
立川駐屯地の滑走路は重陽にとって、つい寸前まで広大なアスファルトの平野だった。 しかし予選会を走る約五百人のランナーの行列に並ぶと、思っていたほど道幅は広くないことがわかる。 「すうぅーーはあぁーー……すうぅーー……」 いつも通りに。なんて、どだい無理な話じゃないか! と重陽は、緊張に任せるまま大きく息を吸っては吐き、もう一度吸って息を止めた。すぐ前に並んでいる他校の選手──奇しくも青嵐大と同じく予選突破ボーダー上チームの学生だ──が、苛立たしげに一瞬振り向いてか
「あははははは! あいつ、一体なんなんだ!? 十五キロ過ぎてあの加速力!! 信じらんねえ!!」 土田コーチが高らかに上げた笑い声で、はっと我に返る。 「やばっ! タイム!!」 シャッターを切るのと声援を送るのに夢中になっていて、レースの速報値を伝えるのをすっかり忘れていた。 「ま、いいべそれは。喜久井はもう大丈夫だろ」 あっけらかんとそう言った土田コーチは、一瞬だけ晴れ晴れとした顔をして見せる。が、すぐに鳩尾あたりをさすりながら眉間に皺を寄せた。 「問題はノ
予選会の結果発表からあとは、完全に夕真の独壇場と言ってもよかった。 彼は周囲の高揚もどこ吹く風といった風情でシャッターを切り、端から青スポのほかのメンバーへ共有したようだ。ウェブ版の記事はほとんどどこよりも先に更新されていた。 彼の写真はその場で青スポの号外にも使われた。スピード感に溢れる荒い印刷の紙面では、土田コーチが宙に舞っていた。 「カッケエ……」 弥生さんの運転する軽の助手席で、重陽は号外を何度も広げたり畳んだりしながら思わず呟いた。 「ふふっ。そう
「ちょっとツッチー先輩! 正気!?」 「当たり前だろノブタ。もうふざけてる時間はない」 「だとしたらバカだよバカ! ノブタが一区で俺が二区って、じゃあ往路は誰が監督車に乗るのさ!?」 「バカはお前だユメタ。レースより裏方を優先するチームなんかあってたまるか」 言われてみればそれはもっともな話だが、とは言えツッコミどころはまだまだある。 昨日ユメタ主務が言っていたとおり、なんとなくの共通認識として上級生の区間配置はだいたい決まっていたようなものだった。──が。そん
年の瀬も押し迫った十二月二十九日。夕方に発表された箱根駅伝の区間エントリーは様々な媒体で波風を立てた。 一番のトピックは東体大一年・松本遥希の二区起用だ。それまでに叩き出してきた一万メートル二十六分台に迫る記録から言えば、順当と言えば順当。というより、彼に限って言えば一年だてらの二区起用というより留学生たちとの区間新記録争いに注目が集まっている。 その影に隠れて──と言ってはなんだが、青嵐大のエントリーもなかなかどうして物議を醸していた。 青嵐大駅伝部において一
怒涛の更新率で居場所を報せてきていた喜久井の母は、ドアの窓ガラスにほとんど顔をくっつけたまま、どうやらお手製らしい青嵐大の応援小旗を振り夕真の目の前を通り過ぎて行った。 「……お分かりかと思いますが、あちらがうちの母でございます」 「分かった。完全に理解した。いいお母さんじゃないか」 乗っている車両は報されていたものの、メリーさん──もといメアリーさんは自分たちの居た場所より少し先の降車口から新幹線を降りてきた。 「重陽! ゆーまくん!」 喜久井と同じ赤い髪、
一月二日。午前六時三十分。大手町讀賣新聞本社ビル。箱根駅伝の一区を走る選手とその関係者にはロビーが開放されている。 入念なストレッチに励む者や、音楽に聞き入りながら精神統一をはかる者。バランスボールを持ち込んでいる選手もいる。スタートを間近に控え、過ごし方はそれぞれ。十人十色ならぬ、二十一人二十一色だ。 青嵐大の一区を担うノブタ主将はというと、起床直後から今に至るまで一貫してSNSの更新に余念がない様子だった。しかし彼は付き添いの重陽が合流するなりその顔を見て、ハハ
一月三日。朝七時三十分。夕真は粉雪の舞う函嶺洞門の真上をヘリコプターが飛んでいくのを見た。復路は毎年このポイントからと決めているが、どうしてか空撮用のヘリが飛んでいく時はいつもぽかんと口を開けてそれを見送ってしまう。 今日は喜久井にとって初めての箱根駅伝。夕真にとっては四回目の、そしてきっと最後の箱根駅伝になる。 青嵐大が箱根路を駆けるのは今年が初めてのことだが、夕真は毎年欠かさず往路・復路ともに交通機関を駆使して全区の撮影を行ってきた。 理由を尋ねられればいつ
青嵐大学駅伝部が初めて走った箱根駅伝の成績は第十位となり、翌年のシード権を獲得した。しかし、それはそれとして。 「十区の選手がゴール直前で行った、相手を煽るようにも見えるあの行為はいかがなものか」 であるとか、 「ゴールテープの向こうにいた学生記者。彼はなにをふざけた声援を送っていたんだ?」 であるとか、 「いやいやふざけちゃなんかいない。あれは純愛だ」 であるとか、 「それで結局、あの二人は恋人同士なのか?」 であるとか、まあとにかく。 相も変