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教室にいる間はそれからも、控えめに言って相変わらずの地獄だった。「いじめ」と言えるほど苛烈ではない程度の、こすっからくてより陰湿な「からかい」に、毎日少しずつ自尊心を抉られる。 それでもなんとか毎日をやり過ごし、命からがら十二月も二週間生き延びた。 県大会以来のレースは夕真にとっても待ち遠しく、カメラを入念に手入れし、この日が来るのを指折り数えながら待ち望んでいた。 なのに、熱を出した。 「──先輩、どーしたんすかその格好。風邪?」 スタート兼ゴールになっ
十二月に入ると塾の日にちが増え、放課後にグラウンドへ顔を出せる機会はめっきり減ってしまった。 あれで喜久井は夕真が本当に困るわがままは言わないので、それを伝えても反応はあっさりしたものだった。けれど絵に描いたようにしょんぼり肩を落とされて、盛大に罪悪感を煽られた。 「それじゃあ、レースの日も難しそうですかね。そう言えば、模試とかあるかもって前に言ってましたけど」 練習着姿の喜久井は、そわそわしながらフェンス越しに夕真の目を見て発した。 「来週の日曜だよな。大丈夫
どう考えても偶然だった。あの日はたまたまカメラの修理が終わった日で、たまたま鞄には望遠レンズが入っていて、天気が良かったし目玉焼きが双子でたまたますごく機嫌が良くて、だからあの交差点へ行く気になったのだ。 必然であったことなんか何一つない。夕真があの瞬間、彼の心の底の方へ降りて行ったことも含めて。 なので、こんな脈絡のない偶然の結果として「喜久井がいやに絡んでくる」という事実はどう考えてもバランスを欠いているとしか思えず、夕真はずっと首を捻っている。 喜久井が三
ホームルームで校内新聞が配布されたのは水曜の終礼だった。陸上部の県大会入賞は夕真が思っていた以上の快挙だったらしく、その立役者である喜久井の写真が新聞には大きく使われていた。無論それは、夕真の撮ったあの写真だ。 「──お兄ちゃん、本気出し過ぎ。意味分かんないんだけど」 「は?」 塾から帰ってきたあとの遅い夕食中。まひるから予想外のクレームを受け取り、夕真は眉を寄せた。 「意味がわからないのは今のお前の言い分なんだが?」 「だってお兄ちゃんがあんな写真撮るから、み
写真部でフィルムの現像とプリントをしているのは、今は夕真だけだ。後輩たちにも一応ひと通りの手順は教えたけれど、この学校で暗室を使うのはどうやら夕真で最後になりそうである。 喜久井が持ってきた印画紙は大四切──B4と大体同じくらいのサイズの大きなものだった。夕真が普段使うのは大きくてもたかだかA4くらいのもので、それ以上のサイズの印画紙は大会や文化祭の展示で使うくらいなので少し緊張する。 「……よし。できた」 印画紙を部室の乾燥棚に並べ、ほっと息をついた。暗室作業は
教室を出ていく夕真の背中無遠慮な視線が叩く。織部は今日も便所メシ。とかなんとか囁かれているのは知っていて、けれど直接言われたわけではないので否定のしようはないのである。 実際に昼休みを過ごすのは、トイレではなく写真部の部室だ。時折ほかの部員が忘れ物を取りに来たりする以外には誰が顔を出す訳でもなく、学校なんかどこにいたって憂鬱なものではあるが、夕真にとって部室はまあまあ「居られる」場所だ。 窓を開けて換気をし、ポッドキャストで深夜ラジオを聴きながら弁当を食べる。パーソ
その日、織部夕真は機嫌が良かった。 それは雲一つない秋晴れのおかげであり、フライパンの上で割った卵が双子だったおかげでもあった。 機嫌の良かった夕真は鼻歌なんか口ずさみ、リュックサックにとっておきのレンズとフィルムを詰め、スニーカーを爪先にひっかけた。 玄関を出て濡れ縁へ回ると、夕真に写真を教えてくれた祖父は、庭の白い山茶花に二眼レフカメラのファインダーを向けていた。 「じいちゃん。俺ニシムラさん行ってくるけど。何かお使いある?」 夕真が声をかけると、祖父