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感謝

よく世間では
「感謝しなさい」「感謝することが大事」
などということを言われる。

精神のどん底から回復しつつある私が思うのは、感謝とは心の余裕なのではないかと思う。

余裕がないときは、自分のことしか見えなくなり、周囲がどう動いているのかわからなくなる。視野が狭くなり、傲慢になってしまうものだ。
それが、心に余裕ができることで、周囲が良く見えるようになり、自分のために起きている事象、自分のために何かしてくれる人、様々なものしっかりとを認知することができ、それに対して感謝できるようになる。

精神のどん底になる前の、普通の時は、何かしてもらったら「ありがとう」を言うこと、そう感じることを感謝だと思っていた。
だが、今、思うのは、余裕ができることで周囲に対して、自然と湧き上がる感情が感謝なのではないかと思う。

特定の宗教を信仰しているわけではないが、なんとなく、
「今日も幸せに過ごせた、神様ありがとう」
なんて思えたりすることもある。それこそが感謝だと思う。。
それは、神様というよりも、今日という一日のすべてを総括して神様と思うだけで、実際には、その日会った人や、食べたもの、起きたことすべてに感謝を感じているのだ。

そして、感謝の気持ちというのはポジティブな気持ちだ。
自分がポジティブになるには、自然と感謝の気持ちが湧き上がることは必要不可欠なのだと思う。

もっと単純に言えば、嫌なことを考えているより、いいことを考えている方が楽しいし、満たされている。
そんな感覚ではないかと思う。

ただ、無理に感謝する必要はないと思う。

以前、説法を説く人ではない人で
「感謝しなさい」「感謝することが大事」
という人が数人いた、
だいたいが経営者や上司などだったが、その人らがいう感謝とは
「私に感謝しなさい。そして、見返りをよこしなさい」
という意味だった。
自分より下の立場の人間に、自分への無償の何かを支払えという意味で使う人たちだった。
何故そう思ったか、気づいたかと言えば、単純に、付き合っていくうちにそういう要求をしてきたからだ。

世の中はすべてが善でなければ、不条理も存在する。
だからこそ、心に余裕を持ち、自然と感謝が湧き上がる状態でなければいけない。そうでなければ、悪意を持ったものに感謝を要求され搾取されることも多々ある。

ものごとを判断するのは自分自身。
心の余裕がなければ判断力も鈍る。

感謝は幸せになるため、自分を守るため、生きるために必要なものなのだと、今は感じる。

それこそ、死にかけて、大量に血を失ってから、心が晴れて、自然と感謝の感情が産まれたのは、生を渇望し、死を選択することをやめたことによる、心の余裕のおかげだと思う。

すべてに感謝して生きる。

この大事なことを、私は忘れないように生きたい。

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