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こんばんは 田原俊彦です。

今は 朝だ 😆

そう、ツッコミを 入れないで 読んでいただけたら、タイトルの 意味が わかるかと。

今回は 田原俊彦の 軌跡を 綴りたい。


郷ひろみの 退所

ジャニーズ事務所に 所属していた 郷ひろみ。

1975年、バーニングヘ 移籍し ジャニーズ事務所は スタークラスの タレントが 不在になる。

そんななか、ドラマ『 3年B組 金八先生 』に 出演していた 田原俊彦、近藤真彦、野村義夫の たのきんトリオに 注目が 始まる。


80年代の 幕開け

田原俊彦で なくとも 近藤真彦でも 良かった気はするが、田原が 年上かつ、トリオの センターで あったり、歌、ダンスが 秀でてたり、何よりも メンタルが 強かったからだと 思う。

そして、デビュー曲 『 哀愁でいと 』は、70万枚を 越える 大ヒット。

郷ひろみ、西城秀樹、野口五郎ら 御三家が 活躍しているなか、華麗なる賭けは 成功したのだ。



・ 最優秀新人賞 獲得

・ ブロマイド年間売上 男性部門でトップ

など ジャニーズの はじめの 一歩を 刻んだ。

実は 売れてなかった ⁉️


・1位の獲得は 12曲

意外にも 曲を 出してるものの 少ない結果。

まぁ、昭和のあの頃は オリコンの チャートが 始まり 軌道に のりかけたころだし、ありとあらゆる 歌手が 曲を発表していた。

いわゆる 首位獲得を 計算して 発売する 考えが 根付いてなかった。

何よりも、田原自身 1年に 5曲発売するなど、とにかく サイクルが 早かった。

それでも、通算で38作の オリコンTOP10入り という 記録を 残し、田原は なし得なかったが、 後進が 後に 意識し出す、初登場 連続1位の 走りの 考え方を 生み出した。

こんばんは 田原俊彦です

この 誰もが 真似した 田原俊彦の モノマネ。

実は、田原俊彦は テレビに 出続けた。

『 ザ・ベストテン 』、『 夜の ヒットスタジオ 』など、テレビを 点けたら トシちゃんに 会える、彼は テレビに 出る度 挨拶をして、黄金メディアを プラットホームに 活躍したのだ。

オマケ

田原俊彦の 凄さが わかる 動画を おつけして 締め括りたい。


最後まで お読みいただき
ありがとう ございました 🍀

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