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#波乗りとライバル 〜 松田聖子 ② ~

同期のトップに躍り出た 松田聖子。

先輩らも 売れてないわけではなかったが、80年代に突入ということで、新しいスターを待っていた感じがある。

そんな白羽の矢が立った松田聖子、2年目も 安定の人気を ものにする。

#チェリーブラッサム

この曲も 連続首位を獲得。

勢いは 止まらず

#夏の扉

で畳み掛ける。


#楽曲制作チーム結成

この後も活躍が続き、1981年は 松田聖子が女性アイドルで1番 売れた。

と同時に数多の楽曲を豪華な作詞家、作曲家で仕上げていく。

#三浦徳子

#松本隆

#財津和夫

#松任谷由実

#松任谷正隆

#細野晴臣

#大瀧詠一

#尾崎亜美


他の方々も後に 楽曲を提供していく。

それは、後のビーイングみたいな形だろうか。

皆で、松田聖子というアイドルをも 超えつつある アーティストを 創り上げていった。

#赤いスイートピー

そんな安定期に入った頃、彼女の代表作とも呼び高い 松任谷由実作詞の 赤いスイートピーが 発売される。

私自身、この曲の素晴らしさを、
#タモリ の熱弁にて 数年後知った。

#中森明菜という後輩

絵に描いたような順風満帆さ。

もはや死角なし、と言いたいが、改めて楽曲を通して聴くと、それぞれが秀逸なのだが、いつ 他に首位を譲ってもおかしくない 作り。

松田聖子が歌ったから売れた、

他の方であれば、埋もれてしまいがちな 楽曲のリリースが続き 売り上げも伸び悩んでいった。

そんなさなか、

#セカンド_ラブ という、スローナンバーを引っ提げて、中森明菜 がチャートに顔を出してくる。

このセカンドラブは 首位返り咲き等もあり、1983年は僅差だろうか、中森明菜が 女性アイドル、並びに 歌手で1番売ってしまうのだ。

彼女の出現により、追う挑戦者だった少女は、追われるチャンピオンだったと 気付かされたのであった。


ー つづく ー




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