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#岡本健一の架け橋 🌉

光GENJIは 伝説だった。

少年隊は 躍りが 上手かった。

では 男闘呼組は ?


男闘呼組は 4人組で デビューした。

今までの ジャニーズは 1人か 3人、7人と 必ず 奇数で 【 THE goodbye 除く 】男闘呼組の 4という 偶数は 珍しかった。

とはいえ、前田耕陽が キーボードで バックに 下がるので 実質 フロントメンバーは 3人。

当時、1番人気がある 岡本健一が センターに 立つことは なかった【 2nd.シングル 秋 では、センターに 立つ場合も あった 】。

サビでも 成田昭次が よく 歌い、岡本自身 メインで 歌うことは 2番だったり 希少であった。


男闘呼組

男闘呼組は、高橋一也と 成田昭次の 二人から 始まって、次に 岡本健一が 加入した。

その後、何人かの 加入、脱退を 経て、前田耕陽が 加入して 落ち着き、デビューに 至る。

事務所の 意向よりは、4人で 話し合った結果、人気よりも 役割重視で、岡本は センターを 譲ったのではないか ?


🎸 ギター

岡本健一は、たのきんトリオだった 野村義男から ギターを 学んだらしい。

そして、木村拓哉に ギターを 岡本は 教えたそうだ。

TOKIOや、関ジャニ∞ まで 伝播してるかは 定かではないが、ジャニーズの 演奏という カテゴリーの 礎を 作ったと思われる。


息子

岡本の子供、岡本圭人は Hey! Say! JUMPの メンバー。

今、海外に 留学しているが、ジャニーズでは 初の 親子揃って デビュー したことに なる。


解散後

よく 活動は、事務所を 退所してと 選ぶ方が 増えてきてるが、それは 良くも悪くとも 言い難い。

ただ 残っている方々は 事務所に 所属して 活躍した方が、1番 自分を 活かせるのを 知っているからではないか ?

岡本の 立ち位置は 前に 出ることよりも、仲間や 後進を サポートする、誠に したたかで しなやかな 役割を 担ってきたように 見える。

それは 少し 系統は 違うが、滝沢秀明よりの マネジメント畑だ。

選手兼 監督と までは 行かないだろうが、彼が ジャニーズ事務所に 所属する限り、安心するのだ。

岡本健一は、今も 架け橋という 要を 担っている。


最後まで お読みいただき
ありがとう ございました 🎸

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